奈良 済美地区社会福祉協議会
第428回

2008年6月のご案内
うっとうしい梅雨の季節、緑濃き初夏の候、皆様にはご健勝のこと何よりです。

今月も滋賀の里に、江戸時代五街道のなかでも最も繁栄をみた東海道、

更に中山道の分岐点、草津の宿、その面影を尋ねます。ご参加下さい。

日 時

6月8日(日) 午前8時00分 近鉄奈良駅地下集合

コース

近鉄奈良駅(C8:19発)=(近鉄急行)=京都(9:03着) JR京都(A9:37発・米原行)=南草津…(歩く)…新宮神社…(歩く)…清宗胴塚…(歩く)…一里塚…(歩く)…矢倉道標…(歩く)…立木神社(旧追分道標)…(歩く)…追分道標…(歩く)…小汐井神社…(歩く)…近鉄百貨店(昼食)…(歩く)…草津本陣…(歩く)…草津駅=JR京都=奈良

費用

交通費 :合計1,940円

 奈良〜(610円)〜京都〜(320円)〜南草津 

 草津〜(400円)〜京都〜(610円)奈良

本陣入館料 160円(団体)

歩行距離

3km 

食事

近鉄百貨店内レストラン街をご利用下さい。

弁当ご持参の方JR駅前、空中広場をご利用・・・但し雨天の場合はレストラン街をご利用下さい。




新宮神社

祭神 速玉男命(はやたまのおのみこと)・事解男命(ことさかのおのみこと)、45代聖武天皇の御代、行基が野路寺創建の時鎮護の神として49代光仁天皇の御代野路宿祢(のじのすくね)が社殿建立、現在の社殿は戦国時代のもの、野路神社と記録ある。

清宗胴塚

源平合戦で義経に敗れた平氏の総大将・宗盛と長男清宗は捕らえられ、宗盛は野洲で首を切られ、清宗はここ野路で首を切られ京の六条川原で晒され、胴はこの塚に埋められた。

一里塚

昔の街道に一里(4km)毎に土が盛られ木を植えて里程(りてい)を示した。木は木陰を作り休息所を兼ねたもの。

矢倉道標(やくらどうひょう) 東海道草津のここ矢倉から矢橋港への街道分岐点、大津港迄の渡船のための道を示す道標。
立木神社(たちきじんじゃ) 春日大社の祭神、建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)を祀る、鹿島神宮から奈良の春日に渡御の時この地に立ち寄られたと伝えられる、坂上田村麻呂や江戸時代参勤交代の大名が通過する時道中祈願をした社である。境内に旧追分道標がある。現追分道標以前のもの。
追分道標 草津宿の中心、東海道と中山道との分岐点(追分)200年ほど前諸国定飛脚(じょうびきゃく)の宰領中(さいりょうちゅう)が寄進した火袋付の珍しい道標、現在は草津川の下をトンネルで中山道に抜ける入口にあるが昔は川の堤防上にあった。旅人は川の中を渡ったか木橋があったのか想像の便もない。
小汐井神社(おしおいじんじゃ) 田心姫命(たごころひめ) (奥津島比売命)を祀る。中仙道第一の宮として旅人の信仰が厚い社で「おしおい」とは海水にて潔斎する意味、境内から今も清水が湧き本殿の横に小汐井池と呼ばれる池がある。昔は池の上に本殿があった。
草津本陣 寛永12年から明治3年まで235年間本陣として栄えた大名公家等高貴な人の休泊所を云う、現在は本陣一軒を残すのみであるが最盛期には本陣二軒、脇本陣四軒、旅人宿(旅籠)72軒、最も多い時は130軒という記録があるそうな、それだけに国内第一の東海道、それに次ぐ中山道また伊勢路から東海道に抜ける旅人の多きを物語る重要な宿場町であったであろう事が想像される。、

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