奈良 済美地区社会福祉協議会
第431回

2008年9月のご案内

長月の風未だ暑さ忘れ難く、つい冷気に頼る術となります。歩きませんか!徒然の語らいを共に楽しみましょう。皆様のご参加を待っています。

日 時

9月21日(日) 午前8時30分 JR奈良駅東口出札前集合

コース

JR奈良駅(8:51発)=(京都行き普通電車)=玉水(9:12着)・・・歩く・・・蛙塚・・・阿弥陀寺・・・高倉神社・・・筒井浄妙塚・・・綺原神社・・・蟹満寺・・・和伎神社・・・棚倉駅=(JR)=奈良

費用

JR奈良〜玉水 230円
JR棚倉〜奈良 230円

歩行距離

4キロ以内

食事

飲食店・売店ありません。

弁当・水筒ご持参下さい。(敷物ご用意されると重宝でしょう。)




玉井・蛙塚址

元玉井寺の庭内で現在は僅かな湧水(井泉)に過ぎない。蛙塚は、その傍らに在って見るに侘しいが故、数々の和歌が偲ばれる感がある、代表作に藤原興風(おきかぜ)の歌「あしびきの山吹の花散りにけり、井手の蛙は今や鳴くらん」鬼貫(おにつら」の句に「山吹は咲かで蛙は水の底」等・・・・

玉  川

水量少なく、水無川(みなしがわ)とも呼ばれ、長さ2.5km、昔は山吹の花多く、和歌が多く残る。井出の渡しがあった所(旧奈良街道)現在山吹や桜が多く植えられ、春は花の名所となる。

阿弥陀寺

高倉似仁王(たかくらもちひとおう)の仏事を行うため開創、境内に阿弥陀石仏がある。高倉王の極楽往生を願って鎌倉時代村人が建立したという。

高倉神社

第77代後白河天皇の皇子、似仁王と天児屋根(あめのこやね)を祀る。似仁王は平家打倒を企てたが失敗、南都に逃げる途中背後の山、光明山光明寺の鎮守、春日神社の鳥居の前で流れ矢に当り落命、御遺体をここ高倉神社の境内に埋葬、現在社の前に墳墓がある。

筒井浄妙の塚

三井寺の僧で忠臣、高倉王に従って宇治川合戦に参加、破れて逃げる途中この辺りで落命、その奮戦振りは見事であったと平家物語に記されている。現在、培塚として宮内庁の管理になっている。

蟹満寺 普門山と号し、本尊白鳳時代の釈迦仏で霊験談がある、昔この村に篤志家がいて、7才の娘がいた、娘は常に観音を信仰、ある日娘は蟹を捕らえる村人から蟹を買い放してやった。その後娘の父は、田圃で蛇が蛙を呑もうとしているのを見て、蛙を助けてくれたら娘の婿にしようと言った、蛇は呑みかけていた蛙を口から吐き出して去った、その夜、人間に化身した蛇が現れて、約束どおり娘の婿に・・・と迫った。父は困った挙句三日間の猶予を願った。そして三日の間に堅固な部屋を造り娘を隠した三日後訪れた男は部屋の戸を叩き壊そうとした。その時多くの蟹が現れ蛇と戦い、蛇の体を剪み斬って娘を救った。蟹は娘の信仰する観音の加護による者で、殺された蛇と戦って死んだ多くの蟹の死骸は一箇所に埋葬され一宇のお堂が建立された。それがこの寺の起因である。
綺原神社
(かんばら)

素戔鳴(すさのお)のおろち退治で危難を救われた娘、のち妻となった、稲田媛の命を祀る。綺原坐伊那太比売神社と言う、現在は管公と、天神と八王子を祀る。

和伎神社

(和伎坐天乃夫支売神社・わきのふじめじんじゃ)が正式名とする。境内に清水の湧き出ることから湧出(わきで)の宮とも云う。伊勢の五十鈴川の辺りにある神社から奈良時代1250年前勧請されたと伝えられる。

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