奈良 済美地区社会福祉協議会
第432回
2008年10月のご案内
秋は深まりゆきます。京は東山粟田の辺り、親鸞剃髪・徳度の寺、またその本廟を訪ね、伊勢皇大神宮に準じての内・外宮に詣でます。ご参加下さい。 |
日 時 | 10月19日(日) 午前7時50分 近鉄奈良駅地下集合 |
コース | 近鉄奈良駅(8:19発C線)=(京都行き急行)=丹波橋(9:10発)=(京阪特急)=三条(9時21分着)・・・歩く・・・光秀首塚・・・(金剛寺)・・・花園天皇陵・・・青蓮院・・・鍛冶社・・・粟田神社・・・(良恩寺)・・・仏光寺本廟・・・(蹴上・船溜・インクライン・・・日向大神宮・・・蹴上駅=(地下鉄東西)=京阪三条駅=(京阪)=丹波橋=(近鉄)=近鉄奈良駅 |
費用 | 合計 2,140円 |
歩行距離 | 3キロ余(石段・坂道あります) |
食事 |
飲食店・売店ありません。 弁当・水筒ご持参下さい。 |
光秀首塚 |
天正10年山崎の合戦で秀吉に敗れ、江州坂本城へ逃亡中伏見区小栗栖(おぐるす)の竹薮で土民に襲われ、竹槍で突き殺され首は粟田で晒し首にされ埋められた。その後子孫によって自宅に塚を移したのがここ、首より上の病気にご利益ありと賽客が絶えないとある。 |
金剛寺 | 天平時代の僧行基の創立した東岩倉寺、応仁の乱で焼失、喜捨により再興。 |
花園天皇陵 | 95代 鎌倉後期の天皇幽閉の地 華頂山の頂上 円墳 |
青蓮院(しょうれんいん) | 延暦寺の三門跡(三千院・妙法院・青連院)天皇の御所焼失の時、2回皇女敏宮・和宮の仮御所となったことがある。明治に失火で全焼、現建物はその後のもの。 |
粟田口 | 平安時代、衰微した粟田氏一族の居住地、その名に由来町名となる、京七口の一つ東玄関口に当ることから粟田口と言う。刀工、陶工、絵の名手が多く住み粟田口の名が知られるようになった。 |
鍛冶社(相槌の宮・相槌稲荷) | 三条小鍛冶宗近 狐の相槌により鍛えられた名刀「小狐丸」が有名。 |
粟田神社 | 素戔鳴を祀る。平安時代創祀、八坂の神の神託によるとされる。 |
(出世恵比須社) | 牛若丸東国へ下向の折、祈念したと伝えれられる。 |
良恩寺(念仏堂) | 尊氏の守本尊導引(みちびき)地蔵を祀る、秀吉の手取釜がある。 |
仏光寺本廟 | 四条烏丸の仏光寺別院、元禄時代親鸞上人の祖廟(遺骨と肉付歯)をここに移した祖廟と舎利塔がある。 |
蹴上の船溜りとインクライン(琵琶湖疏水) | 第一工期と第二工期合わせて16km余、内約11kmはトンネル発電・上下水道・運便・御所や動物園等に利用 延べ8年間の工期であった。 |
日向大神宮(ひむかい) | 神明山の中腹に鎮座、東海道往来の旅人たちの旅の安全祈願の社、また京の都人の伊勢参拝の伊勢大神宮に準じた社(内宮−上の本宮・下宮−下の本宮とする)、内宮は天照大神と素戔鳴の子、宗像三神《奥津島・市杵島・多岐津比売)を下宮は瓊瓊尊と天地創造の第一の神天御中主を祀る。社は神明造り棟に千木と勝男木がある。創祀由緒は不明、23代顕宗天皇の御代、日向高千穂の峰の神跡を移した。又、38代天智天皇は神田を寄進、日の山と名付けられた。更に56代清和天皇は日向宮の勅額を下賜されたとある。再々兵火で焼失したが、江戸時代徳川氏が再興したのが現在の社である。 |