奈良 済美地区社会福祉協議会
第434回

2008年12月のご案内

心忙しい大晦日の月となりました。一年の健勝のお礼と新年を迎えるに当り、恒例による地元氏神様と観音詣でを致します。ご参加下さい。今月は興福寺を中心にご案内します。

日 時

12月21日 薬師寺町御霊神社へ午前9時集合

コース

御霊神社(9:15出発)・・・歩く・・・南円堂(興福寺境内堂塔伽藍の由緒案内)・・・(植桜楓の碑・大湯屋・春日神社の東西の塔跡を歴訪)・・・鴎外の門・・・木魂塚・・・(九重桜の森)・・・二月堂(解散)

歩行距離


2km余り 午前中で終ります。 絵馬堂茶屋で「大和茶粥(ちゃがゆ)」賞味




興福寺

約1,300年前奈良時代飛鳥から都が奈良に遷都されたとき、藤原不比等が飛鳥の厩坂(うまさか)寺を移し寺号を興福寺とし貴族の創建した寺として権勢を誇った。最盛時には110数棟の堂塔僧坊が林立、聖武天皇、光明皇后の創建した堂塔もあり皇室の尊崇も厚く官寺としての取扱いを受けた。平家による南都焼討で全焼し、現在の建物は鎌倉時代以降のもの。

南円堂

八角円堂とも云われ、藤原冬嗣の創建、不空羂索(ふくうけんさく)観音を本尊とし、西国三十三所の第9番札所である。

一言観音堂

一言だけの祈願を聞き届け下さるとの伝承、元春日山の南の谷合にあって、ここに移されたとある。

三重塔

待賢(たいけん)門院の願により創建された。弘法大使が吉野天川の弁財天を勧請、窪の弁財天と称されて安置されている。

北円堂

43代元明(げんめい)、44代元正(げんしょう)天皇(母と娘)の創建、本尊弥勒如来他多くの国宝仏が安置。

東金堂 文殊さんと呼ばれ、本尊薬師如来と文殊菩薩が安置、学業と共に書道の信仰に篤い念じ仏。
五重塔

高さ51m、京都東寺の塔に次ぐ日本第2番目の高さ。光明皇后の創建、西方に阿弥陀仏、南方に釈迦、東方は薬師、北方に宝生(ほうしょう)、四方仏としていずれも如来仏で二層目に安置されている。

中金堂

本尊釈迦如来を中心に多くの仏像が安置されている。

額塚 第47代奈良時代、第5代の天皇淳仁天皇の時代、南大門に「月輪山(げつりんざん)」の額を掲げたら不思議なことが次々に起り、霊夢により取り外すと治った。その額を埋めた塚で現在も山号がない。
植桜楓の碑
(五十二段上西側)
江戸末期奈良公園を始め、佐保川堤等に桜、楓等多くの植樹をし今日の奈良公園を造った奈良奉行川路聖謨(かわじとしあきら)の顕彰碑である。
大湯屋

中に大釜があり浴場で衆議所であった。足利氏の建立とある。

大御堂 塔頭。僧玄ム(げんぼう)の創建、本尊阿弥陀如来を安置、菩提院とも云う。この寺の鐘は明け七つと暮れ六つに鳴らすことから、十三鐘の名もあり、境内に三作の石子詰めで知られ、花札の鹿に紅葉の発祥となっている。
春日神社東西塔跡 東塔跡74代鳥羽天皇(上皇)の願により藤原良房の建立
西塔跡、藤原忠実の建立
森鴎外の門 明治・大正時代の小説家で評論家、軍医、帝室博物館(東京・京都・奈良)総長、正倉院展の間奈良に滞在した時の宿舎で門だけが今に残る。
木魂(こだま)塚
(武蔵塚、樹神塚とも云う)
塚の上に昇り北東大寺南大門に向って「コダマ」と呼ぶと奇なことが起ると云われ、これは東大寺に悪神、鬼神の入るのを防ぐ鬼門除けの塚とも又、往古日曜をまつる旧跡とも云う、日曜とは太陽(日輪のことか?)

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