奈良 済美地区社会福祉協議会
第435回

2009年1月のご案内

皆様には佳き新年を迎えられ、目出度く年頭を寿がれたことと存じます。今年も例年に倣い地域の氏神様へ初詣致します。ご参加下さい。

日 時

1月11日(日)午前9時御霊神社へご参集下さい。

コース

御霊神社(9:10出発)…南円堂…一の鳥居…(参道の石灯籠見学)…二の鳥居…祓戸(はらえど)神社…奥の院(紀伊社)…金龍社…恵比須社…夫婦大黒社…若宮社…本社…感謝友生の館(荷茶屋の甘酒を頂きます)解散

午前中の解散です。本社参拝は中門にて拝します。老春手帳ご持参下さい。
本年は春日さんの灯籠についてご案内します。(このお話は或月刊誌登載文からも引用しています。)

歩行距離


 




 

境内には灯籠の数日本一、それ程信仰が篤い証し、石灯籠2,000基、銅製釣灯籠1,000基、最近再確認された結果、石灯籠1,830基であった。室町、桃山、江戸期の献納。公家大名豪商等の奉納。伊勢藤堂家は毎年釣灯籠を奉納、幕末迄200基余とある。(蔦の紋所)

春日大社灯籠の起因


灯籠は神仏に奉納する浄火を灯すためのもので、春日の祭神第1殿武甕槌(たけみかづち)命の郷里社、千葉県鹿島大神宮が火災で焼けた鹿島の神主が神へのお詫びにと春日社に灯籠を奉納したのが始め、本来の春日灯籠とは本殿前にある木製4つがそれと云われている。

貧者の一灯

奉納は二基で一対となす。一つの火は忌む、その謂れは伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が黄泉国(よみのくに)を訪れ、伊弉冉尊(いざなみのみこと)の姿を見ようと真暗闇に一つの火を灯したのが起因。昔、長野の善光寺に貧者の一灯を献じられたのが起り、それから社寺に一灯を奉納されるようになった。春日さんには祓戸(はらいど)の社の前、東大寺大仏殿、三月堂、興福寺南円堂前に在る。春日の献灯は昔は毎晩献灯、一晩に一石六斗(280リットル?)の油が消費され明治になって節分と中元の二回万灯会が献じられるようになった。油屋連のあった所は現在の油阪。

灯籠の種類

境内にはさまざまな灯籠がある。まるで灯籠の博物館、本殿と若宮社の間の道、御間(おあい)道には火袋が木製ですらりとした姿、御間型という、姿形は勿論、火袋、竿、中台、基壇に家紋、動植物、花鳥、昆虫、爬虫類(蛇や百足)玩具、鳴物、道具、鹿の角や尻、子連鹿、彫り飾られている。竿に書かれた文字は大部分春日社、他に春日大御神、春日大明神は15基あるといわれる。一晩に大明神を三基、又総数を数えられたら長者になるという。最も異質なのは二匹の獅子が向い合って仏を彫った火袋を捧げる一対の灯籠がある。

蓮(はす)灯籠の由来

春日おん祭に供される蓮根は特殊な細いもので門真にしか生産されていない。長年奉納がとだえていたが、春日神官の努力によって今はおん祭に供されている。昔門真から奈良春日社に運ばれる途中生駒の峠で山賊に襲われ蓮根を奪われた。村人達は話し合いの結果、春日さんに灯籠を献納し春日の御用提灯を頂こうと衆議一決、お金を出し合い灯籠を奉献し春日御用提灯を頂いた。その後その提灯を前に立てて蓮根を運んだが山賊は現れることなく無事献納したという。灯籠の基壇に「河州蓮屋中」とある。

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