奈良 済美地区社会福祉協議会
第437回

2009年3月のご案内

東風吹き梅の香匂う季節です。京は東山三十六峰中最も魅力の地、鳥辺野・熊野権現垂迹の地を尋ねます。


日 時

3月15日(日) JR奈良駅東口改札前・午前8時集合

コース

JR奈良駅=(8:14発・快急京都行)=東福寺…即成院(伊東甲子太郎・那須与市墓)…新善光寺…悲田院…(観音堂・宝物館・仏殿・舎殿・月輪陵)…来迎院…観音寺…剣神社…新熊野神社…夢の浮橋址…宝樹寺…滝尾神社…東福寺駅=JR=奈良

費用

交通費 奈良〜(JR690円)〜東福寺  往復1,380円

拝観料 泉湧寺 500円

歩行距離 3km弱
昼食 飲食店・売店ありません。弁当・お茶・敷物ご持参下さい。



即成院

(そくじょういん)

那須与一信仰の阿弥陀如来を本尊とし、与一の墓と、新撰組最初の組長、伊東甲子太郎の墓がある。

新善光寺

長野善光寺本尊摸刻の阿弥陀如来を本尊とするところから寺名となった。

悲田院

貧窮者や孤児の救済施設を後に寺院化した。

泉湧寺

(せんにゅうじ)

弘法大師の草庵香華院が始まり、境内に清泉が湧出したので泉湧寺と改められた。歴代天皇や皇妃、宮の仏壇寺である。塔頭は9ヶ寺。
(月輪御陵)第87代四条天皇、第108代後水尾天皇から120代迄の天皇に至る歴代天皇・皇妃・親王の奉葬地、25陵5灰塚9墓がある。天皇は九重の層塔、皇妃は無縫(むほう)塔、親王は宝篋印(ほうきょういん)塔、総て花崗岩製である。

来迎院

(らいごういん)

本尊は阿弥陀三尊、荒神堂には三宝荒神、唐風の衣冠像は日本唯一の像、皇后や宮様の安産祈願所で「胞(えな)衣荒神」と呼ばれる。弘法大師修業の場で大師の独鈷(どっこ)(=武器・仏具)を以って湧出した霊水「独鈷水」がある。
茶室は大石良雄の建立で額の文字「合翠」は直筆。良雄の念持仏「将軍地蔵」や浪士の遺品が蔵す。良雄が京・山科に隠棲したとあるが、その殆どがここ、来迎院に住んだというのが当寺の伝説。
観音寺(今熊野観音) 西国15番札所、弘法大師が山中で出会った老翁から授かった十一面観音が当寺の本尊、当時の始まりで、藤原氏出身の多くの皇妃がこの山中に葬られるようになって葬儀や仏事を司る寺となった。
剣神社 瓊瓊杵の命(ににぎのみこと)、白山姫他2神を祀る。元泉湧寺の管理社で現在は地域の社で子供の虫除け祈願に霊験があり、そのお礼に太刀魚(たちうお)の小絵馬が奉納される。剣神社の社名 剣と太刀は同じということで太刀魚の絵馬。

新熊野神社

(いまくまのじんじゃ)

第77代後白河天皇(上皇)が熊野権現を深く信仰、平清盛に命じて社殿を造営、現建物は御所を移築、建礼門院の安産祈願を高倉天皇がされたことから安産の神といわれる。神域の大樟(くす)樹は当社造営の際、御神霊と共に移植された巨木、三代将軍足利義満が境内で大和結崎の観世父子を招き大和猿楽を勧進興業された遺跡で父子は面目を施し将軍より、父は観阿弥・子供は世阿弥の名を賜った。後に世阿弥により能楽に成功させた。今日の能の起源である。
夢の浮橋址 今は暗渠となったが元、今熊野川に架けられた橋で、これより東山岳地は墳墓地、娑婆との結界の地、源氏物語の「夢の浮橋の巻」に因んでこの名がついた。天皇・皇后・親王の葬儀は総てこの橋を渡ったが特に天皇の葬列が渡るとこの橋を落とすという、落橋の名がある。
宝樹寺 常盤御前が三人の子供を連れ大和に逃げる時、寺内にあった松の木の下でしばし吹雪をしのいだ。本尊薬師如来は安全祈願した常盤縁の寺

滝尾神社

(たきおじんじゃ)

大国主を祭神とし藤森神社の境内外の末社で毎年5月の藤森祭にはここ迄お渡りがある。現社は大丸百貨店初代社長の時寄進によるものである。

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