奈良 済美地区社会福祉協議会
第439回

2009年5月のご案内

風薫る若葉の季節、鯉のぼりの銀鱗泳ぐ紺碧の空の下、杜若の濃紫色に太古の影残す上賀茂の地を訊ねます。ご参加下さい。


日 時

5月10日(日) 近鉄奈良駅地下東改札前・午前8時集合

コース

近鉄奈良駅=(8:19発・京都行急行)=京都=(市バス35分)=上賀茂神社前…上賀茂神社…社家町… 太田神社(太田澤)…(愛染倉)…深泥ヶ池…植物園…地下鉄・北山駅=(地下鉄)=竹田=(近鉄)=奈良

費用

交通費 合計1,750円

奈良〜(近鉄610円)〜京都〜(バス220円)〜上賀茂神社前・北山〜(地下鉄・近鉄920円)〜奈良

植物園内合計400円  (植物園入園料 200円)・(園内温室入館料 200円) 

  ※60才以上無料・但し年齢確認のため公的証明となるものをご持参下さい。(例えば老春手帳や保険者証のようなもの)

歩行距離 2km
昼食 弁当・飲物・敷物ご持参下さい。食堂・売店ありません。芝生での食事です。



上賀茂神社

別名・加茂別雷神社
( かもわけいかづちじんじゃ)

 下鴨神社の祭神、賀茂建角身(かもたけつぬみ)の娘、玉依日売(たまよりひめ)が瀬見の小川(賀茂川)の流れで矢を拾い持ち帰って床においたところ孕み、男子を生んだ。
 その子が成人したので祖父、建角身が七日七夜の祝宴をし、その席において「汝の父は誰か、その父と思う人にこの酒を飲ませ」と云うとその子は天に杯を捧げて昇天したので別雷命(わけいかづちのみこと)と命名した。
 雷は農作に必要な水の神ということから農民から崇敬された。
  賀茂氏とは、神武天皇紀州熊野から大和に入られるとき、八咫烏(やたがらす)として先導した賀茂建角身の命を祖先とする賀茂一族始め、大和葛城山の山麓高天原に住んだ豪族で後に京都山城の加茂を経て、木津川(泉川)を下り加茂川を遡り、山城の北部に定着し、この地方を開拓した古代豪族です。
  神社の創建は古く、奈良時代には既に在り、平安遷都には王城の守護神(社)となり皇女が斎王として奉祀された。
  石清水・春日と共に日本三勅祭の一つである。

(本殿)加茂別雷命
(奈良社)神饌所の守護神、難良刀自命(ならとじのみとこ)
(岩本社)和歌の神衣通姫(そとおりひめ)
(橋本社)住吉三神
(須波社)阿須波(あすは)神他4神
(片岡社)玉依比売(たまよりひめ)−別雷の母神
(楢(なら)の小川)本殿東側の流れ御物忌川(おものいがわ)と西側の流れ御手洗川(みたらしがわ)と橋殿(はしどの)の北側の合流点から下流を云う、末は社家町の流れ明神(みょうじん)川となる。

太田神社

上賀茂社の境外摂社で祭神天鈿女(あめのうずめ)命、又猿田彦(さるたひこ)とも云う(大田彦)
●杜若(かきつばた)の群落 990平方メートル(300坪)沼沢地で往古の生命を今に伝える天然記念物指定

愛染倉
(あぜくら)

奈良近鉄駅北側にあった「キクヤ」酒造店が解体され移築されたもの。

深泥ヶ池

(みどろがいけ)

周囲1.8キロメートル、水深最深部で1.8メートル、底の泥土の堆積の深さ3.6メートルを超える。水生植物、食虫植物の群落、浮島を形成、天然記念物の指定を受けている。平安初期には天皇の狩猟地、僧行基修業の地、弥勒如来池上に顕れた池、太古では大和盆地と同様京都盆地は沼池(湖)であった。その名残がのこるのがこの沼地である。

京都植物園(府立)


大正12年開園、24万平方メートル(約8,000坪)、植物の種類12,000種、12万本、観覧温室には4,500種、25,000本を展示、日本最大級と豪語している。

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