奈良 済美地区社会福祉協議会
第445回

2009年11月のご案内

晩秋の候、清澄の里めぐり、錦の菩提山正暦寺と十三詣りの霊場弘仁寺を訪ねます。御参加下さい。

日 時

11月15日(日) 午前9時20分JR奈良駅バス乗場へ集合

コース

奈良A9:40発=(正暦寺行・臨時バス)=正暦寺…(歩く)…弘仁寺…森本(バス停)=(定期バス)=奈良

費用

バス 奈良〜(530円)〜正暦寺  森本〜(360円)〜奈良   計890円

拝観料 正暦寺400円(団体)   弘仁寺100円(団体)    計500円
但し、正暦寺本堂拝観料400円 御希望者はご自由に参観下さい。

歩行距離 3km余り ほとんど下り坂 寺内石段少しあります。

持ち物

弁当・飲物・老春手帳必携して下さい。敷物があれば重宝です。

※臨時バスです。近鉄奈良駅前の乗車はできますが、季節柄満員の可能もあり、JR奈良駅前でご乗車下さい。




正暦寺

平安時代、第66代一条天皇の勅令で僧兼俊の建立で龍華樹院(りゅうげじゅいん)と云った。堂塔伽藍を中心に86坊を数える塔頭があったが、平の重衡(しげひら)の焼討ちにより全山が全焼、廃虚と化した。南都興福寺門跡、僧信円が38年後再興した。平家が正暦寺を焼き打ちしたのは、信円が平家を亡ぼそうとした一番の重要人物であったのでこの信円を殺そうと思い興福寺を焼いたが、信円はこの正暦寺に逃げ込んだので南都焼討に続いて正暦寺を焼いた。然し信円は更に天理石上神宮近くの永久寺に逃げたので、その永久寺も焼き尽くされた、信円は無事逃げ助かった。間もなく平家は源氏に亡ぼされ信円は興福寺を再興、正暦寺も信円によって再建されたが永久寺は再建されなかった。その後、織田・豊臣・徳川時代になって全国の寺の勢力を衰えさせるため寺領は取り上げられ兵器も取り上げられて寺の勢力は衰えた。現在は本堂と鐘楼と塔頭1つ残すのみとなった。本堂前の石段は観音菩薩の誓願33段、阿弥陀如来の誓願48段、その下にかつての塔頭86にあった石仏群が最上段中央に1,007体の地蔵尊像が納められていた鎌倉期の宝篋印塔がある、その地蔵さんは現在塔頭の福寿院に格納されている。この地(寺)は日本酒発祥の地、菩提仙川に沿って山上迄塔頭跡の石垣が多く残り遠く大寺を想像することができる。又この里は錦の里という。参道門前跡近くに泣き笑い身替り水子地蔵2対が座す光背が珍しい。

弘仁寺

平安時代1200年の昔52代嵯峨天皇の勅願により小野篁(たかむら)の建立、弘法大師開基とある。松永久秀に焼かれ、江戸時代再興、本尊虚空蔵菩薩、十三参りの寺として有名。本堂近く鎮守の杜、滝蔵社が坐る、東石段は33段と48段の仏の誓願に基き段の中頃に不動尊をまつるうっそうとした奥の院があり弘法大師の杖で湧水したという「閼伽井(あかい)」と書かれた井戸がある。本堂軒下に江戸時代の数学者、石田算楽軒の門弟が奉納した算額があるのは珍しい。

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