奈良 済美地区社会福祉協議会
第446回

2009年12月のご案内

年の瀬が迫りました、慌ただしい季節です。この一年を無事息災に暮らさせて頂いたお礼参りと新しい年を迎えるにあたり地域の氏神御霊の社に詣で、観音様に礼拝、三月堂前の絵馬堂茶屋にて「大和粥」をご賞味頂きます。皆様と共にこの一年の締めくくりを致したいと思います。是非ご参加をお待ちします。

日 時

12月20日(日) 午前9時20分JR奈良駅バス乗場へ集合

コース

御霊神社9:05出発…(歩く)…興福寺(三重塔・北円堂・西金堂跡・何円堂・一言観音堂・南大門跡・中門跡・五重塔・東金堂・中金堂跡・講堂・鐘楼跡・食堂跡・東西北室跡)…二月堂(解散)

※解散後、絵馬堂茶屋において、名物「大和粥」をご賞味頂きます。入口で食券を受けとって入店下さい。
 歩くのが困難な方は直接茶屋へお出で下さい。午前11時頃になります。

費用

費用は不要です。  

歩行距離 2km余りです

午前中の解散です。




 

興福寺

大和時代、中臣鎌足(後の藤原鎌足)が山城の山科に創建した山階(やましな)寺で飛鳥時代に飛鳥に  されて廐坂寺(うまやさかでら)となり、平城遷都の際、鎌足の次男・不比等(ふひと)によって奈良に移され興福寺と改称、藤原氏の氏寺として又、官寺となり皇族を門跡として迎え、多くの僧兵を抱え、春日神社を鎮守として鹿島から迎え豪勢を振ったが、伏見・桃山・江戸時代になって織田・豊臣・徳川氏により石高は徐々に取り上げられ、僧兵から武器を取り上げられて寺は衰微し、明治維新の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により一時は廃寺となったが16年後、明治21年復興現在に至る。

昨今の発掘調査又一部復元計画による現況

三重塔 
弘法大師が天川の弁財天を勧請、窪の弁天さんと呼ばれる。第82代後鳥羽天皇の皇后・待賢門院(たいけんもんいん)の御願により創建された(鎌倉期国宝)

北円堂
奈良時代右大臣鎌足の次男・不比等の追善供養のため元明・元正天皇が創建した(現建物は鎌倉期の再建)国宝弥勒菩薩他安置

金堂
寺の本尊を安置する仏殿を云う。
中金堂: 最初のお堂は藤原不比等の建立、釈迦如来を中心に諸仏を安置。現在の建物は江戸時代。
東金堂:(文殊さん)聖武天皇が太上天皇(元正天皇)の御病気平癒祈願のため建立、本尊は薬師三尊と文殊菩薩(国宝)を安置、現在の建物は室町時代のもの。
西金堂跡が在る。

南円堂
不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)を安置、西国九番札所、藤原内麻呂の遺願により北家藤原冬嗣」が北家の隆昌を祈願して平安時代に創建した。

一言観音堂
一言の願いをきく、元春日山南旧柳生街道(通称地獄谷)龍華院(りゅうげいん)谷にあったのをここに移された。

講堂(跡)
説教や講義をするお堂で堂前西側に鐘楼跡がある。

食堂(跡)
現国宝館の位置、僧侶の食する所。

室(跡)
僧坊を云う。南大門復元される。中門礎石が復元された。
北・東・西室 コの字型にその北側に正倉(院)があった。

五重塔
光明皇后の御願により創建、現在のは室町の再建日本第2の高さで四方阿弥陀が安置されている。

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