奈良 済美地区社会福祉協議会
第452回
2010年6月のご案内
梅雨の候、憂うつな季節です。気晴らしに歩いてみませんか、京は山科の里を散策致します。赤穂義士大石良雄討入の策を巡らすため又敵の目を欺くため閑居の暮らしの地を訪ねます。 |
日 時 | 6月13日(日) 近鉄奈良駅地下東改札前 午前7時50分 集合 |
コース | 近鉄奈良駅C8:19発=(京都行快速)=西大寺8:25発=京都9:16発=(JR近江舞子行)=山科9:45発=(京阪バス:29系統・大宅行)川田道…歩く…元慶寺…花山稲荷…大石神社…岩屋寺…山科神社…折上神社…朝日神社…坂上田村麻呂の墓…椥辻(なぎつじ)駅…=(地下鉄:東西線)=JR六地蔵駅=(JR)=奈良 |
歩行距離 | 3km強 |
費用 | 奈良〜(近鉄 610円)〜京都〜(JR 180円)〜山科〜(バス 200円)〜川田道 運賃 合計1,810円 |
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食堂ありません、弁当・飲物ご持参下さい。途中にスーパーあります。 ※トイレはに山科駅でお願いします。(京都駅では時間がありません。) |
元慶寺 「花山(カザン)寺」 |
第57代陽成天皇ご誕生に当り桓武天皇の女御(にょうご)が建立、延暦寺の僧、遍照(へんじょう)が無事誕生を願掛けした寺。65代花山天皇が女御祇子(ぎし)の死を悲しみ出家入寺された寺。花山天皇は法皇になられ西国の寺々を巡り西国33番札所を選考された所。本尊薬師瑠璃光如来を祀る。 |
花山稲荷 (花山神社) |
第66代一条天皇の勅願による、三条小鍜治宗近が稲荷神の御威徳により名刀「小狐丸」を鍛えた所、大石良雄が大願成就を祈った神社、鳥居を寄進している。又四十七士が血判状に血判台として使用した血判石がある。 |
大石神社 |
浪曲家吉田大和之丞奈良丸が創祀建立した社、大石良雄を祭神とし、末社に天野屋利兵衛を祀った義人社がある。 |
岩屋寺 |
昔は比叡山の一坊で現在は永平寺派の末寺で山科神社の神宮寺、赤穂の浅野家の親戚、京都町奉行浅野長祚(ながよし)の再建という。大石良雄の隠栖地であったことから大石寺とも云う。本尊不動明王像は良雄の念持仏、浅野頭長矩の位牌や四十七士の像が安置されている。向って右下の窪地が良雄の住んだ屋敷跡、良雄お手植えの梅がある。 |
山科神社 |
日本武尊、古代の伝説の英雄、第12代景行天皇の皇子、本名小碓命(おうすのみこと)とその子稚武王(わかたけおう)を祀る。59代宇多天皇の祭祀とあるが明確でない。 |
折上(おりがみ)神社 (正式名:折上中臣之頭神社) |
倉稲魂(うがのみたま)神、保食(うけもち)神、稚産霊神(わかむすびのかみ)を祀る。伏見稲荷大社の奥の宮、大社とこの社の間の道を裏参道という。大社から東、東方からの参道であり先ずこの社に詣で裏参道を経て大社へ参詣することになる。織物を織り上げるという意味から折上社と呼ばれ、本殿横の塚は中臣家(藤原氏)の祖先の墓という、墳上に白狐を祀る。 |
朝日神社 |
祭神、天照大神、倉稲魂、徳川家康を祀る。徳川三代将軍家光の息女千代姫が大山崎の観音寺に寄進したこの辺が栗栖野、後に農民の開拓者が移住、社を創建し鎮守社とした。 |
坂上田村麻呂墓 |
桓武天皇の御代東北に乱があり、坂上田村麻呂は征夷大将軍に任じられ兵4万を率いて出兵鎮圧し大納言左大臣に任命、嵯峨天皇の御代、田村麻呂は亡くなり天皇は深く悲しまれ山科の丘上に埋葬されるに及び完全武装の姿で御所に向けて埋葬、その後国に大事が起る時は鳴動した。また東国に出兵する時はこの墓に詣で武運を祈った。鎌倉時代足利尊氏が地蔵尊像に乗馬させ武装・ならびに武器を持たせた将軍地蔵を造らせ各地に祀らせた。その一体で奈良県下においても他に例のない仏。 |