奈良 済美地区社会福祉協議会
第455回

2010年9月のご案内

ここ、伏見は鳥羽と同様、慶応4年(明治元年)1月3日第15代将軍慶喜を奉じた幕軍と薩長の藩兵が戦った激戦地。幕軍は大敗、維新の大局を決した地。
中書島は、秀吉の家臣の屋敷のあったことからその家臣の名をとって地名となった。また宇治川と疎水を源とする宇治川派流という流れに囲まれたこの島内は68軒180人の遊郭があった。今ではその一部に面影を止める。

秋分の季節、台風も無事に過ぎる兆し何よりです。最近は、江戸末期の勤皇家坂本龍馬が人気を博しています。それに因み寺田屋騒動の地を中心に、伏見の史跡を訪ねます。ご参加下さい。

日 時

9月12日(日)近鉄奈良駅地下東改札前 午前8時 集合

コース

奈良C8:19発京都行=(近鉄・西大寺経由)=丹波橋(乗換)=(京阪)=中書島…(歩く)…長建寺…寺田屋…京橋渡船場跡…西岸寺…大光寺…本教寺…源空寺…金札宮…大黒寺…丹波橋駅=(近鉄)=奈良

歩行距離

2km弱

費用

費用 合計1,590円
運賃 奈良〜(近鉄・京阪)〜中書島 690円  丹波橋〜(近鉄)〜奈良 540円
寺田屋見学料 360円(団体)

 

弁当・飲物ご持参下さい。 飲食店(少し)・弁当等販売店あります。
※雨天の時は飲食店をご利用下さい。



長建寺 元禄時代伏見奉行が京の深草から移した寺で、弁財天を祀る。音楽の神ということから花柳界の信仰があった。寺の前の河原は十石船の渡船場であった。
寺田屋 船宿で江戸期末、文久2年4月23日公武合体の穏健派と勤王討幕の急進派との争いで乱闘となり6人が斬られ、2人が重傷の上切腹、世に寺田屋騒動という。又坂本龍馬が新選組に襲われた時、寺田屋の女将の気転で危うく逃げることができたという。
京橋渡船場跡 江戸時代水陸交通の要所、淀川30石船、高瀬船、今井船、柴船、淀船など江戸、京、大阪、西海への夜船、昼船の船着場。30石船の港、付近は船宿と遊里でたいへんな賑わいのある所であった。
西岸寺(油掛地蔵) 地蔵院とも云う。鎌倉時代800年余前、92代伏見天皇より伏見院別御殿を下賜された堂宇であったが、明治維新、鳥羽・伏見の戦いで焼失、地蔵尊は昔油売りが油を掛けて商売繁盛した伝説により商売繁盛の仏として知られる。
大光寺 本尊は阿弥陀仏、薬師堂の薬師如来は奈良の新薬師寺より移したと伝わる。薬師堂は華頂の宮(伏見の宮家)から下賜された建物で、瓦に菊の紋、また造りも豪華で各所に干支や天女の彫り物があり見応えがある。他に北向地蔵、日限地蔵、庚申堂がある。
本教寺 家康の娘・督姫が姫路城主池田輝政に嫁ぐ時自分の屋敷を当山に寄進、秀吉から賜った姫御手植えの牡丹があり慶長牡丹の寺として又境内に痔疾の神、霊神社有り。
源空寺

二層の山門は元秀吉の伏見城巽櫓、大黒天は秀吉の念持仏である。

金札宮

第56代清和天皇が金札に白菊大明神を記し、それを奉納した社、この社建設中突然金の札が降り「我は天照大神より遣わされた天太玉命なり。我を祀るには瑞垣(みずがき)を作るべし」の声があったという。祭神は天太玉の命(あめのふとだまのみこと)、天照大神、倉稲魂命(うがのみたまのみこと)。

大黒寺

薩摩藩縁の寺で大黒を安置。寺田屋事件、九烈士と家老の墓がある。京六波羅の幽霊飴物語りと同じ幽霊飴事件の八代美津女(じょ)の墓がある。

   

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