奈良 済美地区社会福祉協議会
第458回

12月せいび歩こう会

慌ただしい年の瀬となりました。今年も例年に倣って逝く年を惜しみ来る年を目出たく寿ぎ迎えられますこと願い神仏に参詣致します。ご参加下さい。
 なお、本年も東大寺絵馬堂茶屋において「大和の茶粥」を召しあがって頂きます。

日 時

12月26日(日) 御霊神社(薬師堂町) 午前8時50分集合

コース

御霊神社9:00出発…(歩く)…南円堂…初宮神社(鍋屋町)…奈良奉行所跡(現奈良女子大学キャンパスと付近)…旧二条通り油留木町経て…お髪塔…二月堂(絵馬堂茶屋にて解散)

午前中

歩行距離

 

費用

今月は諸経費不要です

 

※粥の食券は茶屋入口でお渡し致します



初宮(はつみや)神社 毎年12月17日は春日若宮の御祭り、当日お渡りに先立ち春日大社の田楽師がこの社の前で田楽を奉納されるのが習わし、祭神は第1殿に審議官八神、第2殿に伊勢内・外宮の神、第3殿は春日大社の四神と同若宮社の神、併せて五神、第4殿は大阪住吉神社の三神、総数十八神の神を祀る。
奈良奉行所跡 現在の奈良女子大学キャンパス周辺、民家も一部含んだ広大な地、10,200坪(33,724u)が江戸時代の奈良奉行所、その規模、構造は全国の他の奉行所、江戸の南・北奉行所とは掛け離れたものであったという。奉行所の館、役人のお役屋敷・牢屋敷・馬場・刑場更に奉行屋敷それに付随した奉行専用の馬場、この馬場を江戸時代最後の名奉行といわれた川路聖謨(かわじとしあきら)が江戸へ戻された時「この馬場を江戸へ持ち帰りたい」と彼の日記に書かれていることからこの馬場は如何に立派なものであったかが想像できる。奉行所を囲む土塀と堀は東西183m南北184mほぼ正方形で五・六万石の大名屋敷以上の規模・立派さがあったのに目立たなかったのは南部の社寺が如何に雄大であったからであろうと書かれている。奈良に代官所が置かれたのは秀吉の弟秀長が郡山城主の時家臣・井上源五高清を奈良代官として椿井町に代官所を置いたのが始め、江戸時代、家康が旗本、中坊秀正に奈良奉行を命じ、ここに奉行所を置いた。奉行屋敷の在った所は現在、坊屋敷町と呼ばれる所、初代奉行中坊秀正の坊をとって坊の屋敷、「坊屋敷町」と言われる。それは元奈良女子大の付属小学校現在本校南門と周辺である。
御髪塔(おはつとう) 東大寺の釣鐘建設の時、鐘の重さ約26トン(26,000kg)高さ3.9m口径2.7mの釣鐘を鐘楼に吊るす時、縄が切れて吊ることが出来なかった。その時近くに居た子守老婆が童歌を「重いものをつーるすときゃ、どんで縄がよかろーか、藁の縄がよかろーか、黄金の縄がよかろーか、それとも蚕の糸がよかろーか、いやいやそれは人間の髪の毛がよいで・・・」を繰り返し節をつけて歌った。それを聞いて大勢の女性の髪の毛を供えてもらって縄に編みやっと吊るすことが出来た。その毛髪を供養のため地中に埋め、その上に十三重石塔を建立されたのが、このお髪塔である。

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