奈良 済美地区社会福祉協議会
第463回
5月せいび歩こう会
皐月のさわやかな季節を皆様と共に謳歌したいとお誘い致しました、ご参加下さい。 |
日 時 | 5月22日(日)近鉄奈良駅地下東改札 前午前7時50分集合 |
コース | 奈良A8:08発(ナンバ行準急)=西大寺8:21発(橿原行急行)=畝傍御陵前…(歩く)…大窪寺…神武天皇陵…綏靖天皇陵…太子堂…畝火山口神社…安寧天皇陵…懿徳天皇陵…橿原神宮…橿原公苑(若桜友苑)殉国の碑第13期海軍甲種飛行予科練習生の碑・航空母艦瑞鶴之碑…久米寺…橿原神宮前駅=西大寺=奈良 |
歩行距離 | 5km(急坂道・石段等ありません) |
費用 | 960円(往復運賃) 奈良〜(近鉄480円)〜畝傍御陵前・橿原神宮前駅 |
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弁当・飲物・敷物ご持参下さい。近くに飲食店・販売店ありません |
大窪寺(おおくぼでら) | 1,300年余昔40代天武朝の時在った寺とある。日本書紀にも記述があり、春日大社の文書にも寺の名が見える。鎌倉時代、今から700年程前迄存在したと思われる近くの民家の間に塔の心礎(柱座)がある。 |
神武天皇陵 | 第1代天皇の陵、神大和磐余彦(かみやまといわれひこ)又の名を若御毛沼命(わかみけぬのみこと):畝傍山東北陵 |
綏靖(すいぜい)天皇陵 | 第2代天皇の陵、神武帝第3皇子神淳名川耳(かむぬなかわみみ) |
太子堂 | 山本のお大師さん。平安時代ここに一軒の荒家があり、ある日貧しい坊さんが立ち寄り、そこで糸を紡いでいた老婆に水を願った。老婆は「この辺りは水が不自由で」と云って手桶を持って東方に流れる水を汲み「どうぞ」と差し出した。旅僧は水を頂いてから持っていた杖で地をトントンと突くと水が吹き出した。僧は棒4本を立て縄を張った(井戸枠)その後一人の僧が現れ、その僧は空海様、弘法大師様と告げた。今も井戸水はこんこんと湧く |
畝火(うねび)山口神社 | 気長足姫(おきながたらしひめ)・豊受比売・表筒男命( うわつつのおのみこと )を祀る、430年程昔の古地図や大和図絵等にはこの社は畝傍山山頂に画かれている。15年皇紀2,600年祭の時橿原神宮を見下げることになると、ここに下山遷座された。 |
安寧(あんねい)天皇陵 | 第3代天皇の陵、磯城津彦玉手看(しきつひこたまてみ)、綏靖天皇第1皇子。 |
懿徳(いとく)天皇陵 | 第4代天皇の陵、安寧天皇第2皇子、大日本彦耜友(おおやまとひこすきとも) |
橿原神宮 | 昭和15年、皇紀2,600年に向けて大改修全国国民の建国奉仕隊によって創建された。その時神宮周辺近鉄関係施設も併せて大事業により今日の橿原市、都市の形相となった。第1代神武天皇を奉祀する、天皇即位の地、神日本磐余彦の皇子(かみやまといわれひこのみこ)。 若桜友苑(橿原公苑内) ・殉国の碑 大13期海軍甲種飛行予科練習生の碑、昭和12年〜20年、1期生〜16期生148,115名の供養・顕彰の碑。 |
久米寺(西国薬師7番霊場) | 本尊、薬師如来、凡そ1,400年前29代欽明天皇皇女、30代敏達天皇皇妃、33代推古天皇(女性)の勅願により聖徳太子御弟君が眼病を患われ薬師如来に祈願、平癒されたとあり、そのお礼として大使が建立されたとある。また久米の仙人が奈良東大寺大仏建立にあたり神通力を以って大木、巨石を運びその功績により聖武帝より30町の田を頂きそれを久米寺建立に役立てた旨、今昔物語や徒然草に記されている。久米の仙人とは吉野龍門寺に籠り仙人となり飛行術を身につけ飛行中吉野川で衣を洗う女の脛を見て神通力を失い墜落した話がある。 |