奈良 済美地区社会福祉協議会
第464回

6月せいび歩こう会

うっとうしい梅雨の季節、陰気に家内に籠りがちです、友人、知人を誘って語り歩いてみては如何ですか。5万3千石の雄姿眩しい古城の佇む南泉州岸和田を訪ね、我国第2の玄関口、関西空港を暫し覗き近代化学の先端に皆様と一時浸ってみたいと企画しました。ご参加下さい。

日 時

6月12日近鉄奈良駅地下東改札口前 午前7時40分集合

コース

奈良A7:53発(三宮行・快急)=西大寺=なんば9:10発(南海電車・堺和歌山港行・特急)=蛸地蔵(駅)…(歩く)…三の丸神社…蛸地蔵…一里塚弁財天…だんじり会館…岸和田城…岸城神社…五風荘…蛸地蔵(駅)=(南海電車)=関西国際空港=(バス)=見物=空港(駅)=(南海電車)=なんば=(近鉄)=奈良

歩行距離

3km弱

費用

旅費 3,240円

 奈良〜(近鉄540円)〜なんば〜(南海480円)〜蛸地蔵〜(南海590円)〜空港〜(南海890円)〜なんば〜(近鉄540円)〜奈良

 空港内バス 100円×2回=200円

入館料 610円  城とだんじり会館

 

弁当・飲物ご持参下さい。食堂売店ありません。



三の丸神社 城の三の丸に在ったので社名となった。だんじり発祥の神社、約300年前藩主岡部長泰は京の伏見稲荷を城内に勧請し、広く領民に参拝を許した。この時行われた稲荷祭が岸和田だんじり祭の始まりと伝えられる。
蛸地蔵(天性寺) 戦国時代、城が紀州の根来寺の僧兵や雑賀衆の集団に攻められ早落城となった時、大蛸に乗った一人の僧と数千匹の蛸が現れ敵兵と戦って救った。数日後城内堀から矢傷、玉傷を負った地蔵像が発見され城内に祀られた。後天性寺に移された。
一里塚弁天 ここは紀州街道、江戸時代300年の昔、徳川幕府が一里は36町歩と決め各街道に一里毎、道路の両側に丘を築き榎や松の木一本を植え旅人が休息できるようにし、その木の根方に弁財天を祀った。木は枯れ市街化した今日、丘がなくなって弁財天が残った。
だんじり会館 三の丸神社のだんじり祭りは300年前元禄時代に始まった。ここはその祭を映像により紹介、実物のだんじりや飾り物、ハッピ、まとい等展示、体験もできる館です。
岸和田城

別名本丸と二の丸を合せた形が織物の糸を巻く「ちきり」に似ていたことから千亀利(ちきり)城と呼ばれ、最初に築城したのが楠木正成で鎌倉時代、甥の和田高家に命じて築かせたので和田氏の名と岸の里の岸をとって岸和田城と呼ばれた。最後の城主岡部氏は江戸期末13代目6万石の小名の城であった。

岸城(きしき)神社 創建650年前京の八坂神社祭神・牛頭天王(ごずてんのう=素戔嗚尊)を勧請、城主小出氏が城内二の丸に遷し城の鎮守とした。この宮はだんじり宮入が行われる。
五風荘 元城主岡部公のお茶屋跡、南木荘と言った。廃藩後富豪家、岸和田市長寺田利吉氏が昭和4年買収して10年を掛けて邸宅に改装、総面積2,400坪、建坪300、後利吉氏のおくり名になぞり「五風荘」と名付けられ三つの茶席、回遊式庭園と本館からなり南木門は奈良東大寺中性院表門を移築したものである。
関西国際空港

一期1,994年開港、二期2,007年開港、一期3,750m、二期4,000mの滑走路いずれも巾60m、便数国際線(年間)79,408便、1日217.6便、1,011万人、貨物661千t世界13国75都市を結ぶ、国内線(年間)49,855便、羽田へは1日18便、総工費4,200億円、JR・南海電車の空港駅ビルと旅客ターミナルビル2棟、5階建て、展望室ショッピングフロア、レストラン街、カフェ、団体スペース、多目的ホール等からなる建造物、又東北に全体を見る展望棟があり空港内バス1回の乗車100円に乗り往復する。

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