奈良 済美地区社会福祉協議会
第465回

7月せいび歩こう会

程なく梅雨の候も明けましょう。小暑とはいえ暑気の季節に入りました。皆様にはご健勝のこと、喜ばしい限り、7月は大和高田市の源義経が愛妾静の里と、巷説八百屋お七の旧居跡等訪ねます。皆様のご参加を…鶴首

日 時

7月10日 近鉄奈良駅地下東改札口前 午前7時50分集合

コース

近鉄奈良駅A8:05発(三宮行き)=西大寺@8:21発(橿原神宮前駅行)=橿原神宮前=高田市駅…(歩く)…龍王宮…静の衣掛松…静旧居(里跡)…(大中公園)…春日神社…不動院…八百屋お七旧居跡…八幡神社…高田城址…常光寺…大神宮高灯篭…天神社

天神社…JR高田駅=王寺=奈良
天神社…近鉄大和高田駅=橿原=奈良

歩行距離

3km余

費用

運賃 計1,020円

 近鉄奈良〜近鉄高田市駅 540円
近鉄高田市駅〜JR高田駅 480円 若しくは 近鉄高田市駅〜橿原〜奈良 480円

 

弁当・飲物ご持参下さい。飲食店少ないです。



龍王宮 石園坐多久虫玉(いわぞのにますたくむしたま)神社 
神武(じんむ)、綏靖(すいぜい)、安寧天皇の住居の浮孔(うきあな)宮跡に祀る。大10代崇神天皇の勅祭により安寧天皇から400年後今から2,000年前。祭神は多久虫玉命(武玉依比古命たけたまよりひこのみこと)・妻神健玉依比売命(たけたまよりひめのみこと)・豊玉比古(とよたまひこ)・妻神豊玉比売命(とよたまひめのみこと)
衣掛(きぬかけ)松(三本松) 源義経の愛妾静が病で倒れ里のここ磯野に帰っていた時、龍王宮に詣でた帰路この松の木に掛け暫し休息した所、現在の松は新しく植えられたもの。
静の遺跡 磯野の裕福な家の一人娘、後京に出て白拍子となり義経に見染められ愛妾となる。義経は兄頼朝に疎んじられ不仲となり、静は頼朝に捕えられ鎌倉へ送られた時、頼朝の気に触れ妻政子の取りなしにより助けられ京へ戻され、義経の身の心配の余り病に患い故郷高田の磯野に帰った。ここが静の終焉の地。
春日神社 義経が兄頼朝に追われ吉野へ逃げる途中、静を里の磯野に送り届ける時この地に来て静を加えて主従8人が協議した所、主従7人の座石、7石が今に残る。伊勢の三郎が静の里に手が廻っていないか物見をさせ片岡経春が静を送り届けた。
不動院

第31代用明天皇皇子聖徳太子の創建、三町四方の大伽藍で、金輪山證菩提寺と云った。現在の本堂は500年前高田城主当麻氏の建立、本尊大日如来

八百屋お七(志ち)住居跡 江戸時代天和2年12月江戸は大火で八百屋お七の家も全焼、檀那寺に避難した。寺の小姓吉三郎とお七は情を通じ、自宅が完成した為お七は自宅に戻されたがお七は吉三郎を忘れられず火事になれば又会えると火をつけた。お七は捕えられ引き廻しの末火刑に処せられた事件、それは江戸ではなく、ここ高田本郷三丁目八百屋でおきた実話である。
八幡神社 鎌倉時代奈良興福寺の末寺で相当大きな寺伊福寺のこの社は鎮守社。
高田城址

室町時代600年昔、当麻為貞の築城、150年間栄えたが信長の命により秀吉の家臣筒井順慶によって落城、為貞は切腹お家は断絶した。

常光寺 八百屋お七(志ち)が火事により預けられた寺で小姓と情を通じた檀那寺で、お七の墓があり過去帳に享和10年10月14日志ちと名が有、お七の念珠子の親玉にも志ちの名と死亡の日が刻まれていたが先年の本堂火災の時焼失した。
大神宮高灯篭 伊勢大神宮献灯の灯篭、常夜灯として毎夜灯火されていた。この前の街道は高田の中心を東西に通る主要街道、大阪街道、伊勢街道、長谷街道として一番賑った道、旅人の安全を祈願されて建てられたものである
天神社 崇神天皇の御代、約2,100年の昔、鎮座された。祭神は造化三神、最初に現れた神の内の二神目の神、高皇産単日神(たかみむすびのかみ)、神皇産単日神(かみむすびのかみ)、と天児屋根(あめのこやね)の祖父神、津速産の神(つはやむすびのかみ)を祀る。

もどる