奈良 済美地区社会福祉協議会
第467回
9月せいび歩こう会
月は満ち昼夜等しい長月の候、九月は重陽の節句、真に芳しい季節です。一休さん縁の寺、紫野の大徳寺を訪ねます。室町時代十年間、足利将軍の跡目争いにより洛中を灰塵と化した応仁の乱において同族一方西方の陣屋地となった船岡山、その周辺、また、牛若・常盤源氏縁の地、紫竹牛若町の古蹟を尋ねます。 |
日 時 | 9月11日(日) 近鉄奈良駅地下東改札口前 午前7時50分集合 |
コース | 奈良A8:18発急行=近鉄=京都(乗り場B1の9)=バス=北大路堀川…(歩く)…小野篁・紫式部の墓…玄武神社…若宮社…常盤の化粧井…建勲神社…船岡山…今宮神社…牛若丸胞衣塚…源義経産湯井址・常盤の住し所…大徳寺…大徳寺前=バス=京都駅=奈良 |
歩行距離 | 3km弱 |
費用 | 合計1660円 |
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弁当・飲物ご持参ください。食堂・売店ありません |
小野篁・紫式部の墓 | 平安時代の官人・学者・歌人で彼は現世の人でありながら、この世とあの世を往来したという。紫式部は藤原為時の女(むすめ)で一時は嫁したが一条帝の中宮に仕え高位の女官、源氏物語の作者としても有名。 |
玄武神社 | 文徳天皇第一子惟喬(これたか)を祀る。1,130年余前この辺りの郷士が親王の愛剣を祀った。更に都の北方鎮護とし、北方の守護神、亀と蛇の絡む玄武に因んで社名となった。 |
若宮社 |
源氏の祖、清和天皇を祭神とする。石清水八幡宮に対し若宮という。 |
常盤井 |
常盤の化粧井と石壁に彫されている。浅い水の枯れた井戸とは名ばかり、路地奥に塚らしきものがあり、大樹の下に五輪塔の残欠有、一名鏡塚とも、また衣懸塚とも。その由緒は不明、近隣に聞いたが全く知らない。 |
建勲神社 |
信長を祀る。明治帝が信長の忠誠心に追彰、始め東京の織田邸内と織田氏の旧藩地、山形県に祭祀され五年後この地東麓に移されたが、現在は更に山頂に祀られている・ |
船岡山 |
高さ100m余、東西200m、南北100m船を俯けにした形で景勝地、円融天皇の頃からこの山麓で宮中行事として「子の日遊び」をされた所王朝時代の小松引き、若菜摘みの宴遊である。足利時代将軍の跡目争いで二つに分かれ東軍は吉田山に西軍はこの山を本陣とし、10年間争い京の都は焼け野原とし足利氏滅亡のきっかけの元となった。世に応仁の乱という。 |
今宮神社 |
大国主・事代主・稲田姫とその左社殿に疫神素戔嗚を祀る。千年余の昔天下に疫病が流行、船岡山に神輿二基を安置、御霊会を行い数年後ここに神殿三宇を建て御霊会を行われたのが、始め、境内に神占石「阿保賢さん(あほかしさん)」と宗像社の壇石に弁天さんの使者、鯰の彫があるのは面白い。 |
今宮神社東北 |
牛若丸胞衣(えな)塚と産湯井、常盤の住居跡がある。 |
大徳寺 |
大灯国師妙超が700年前ここ紫野に一小院を建立、10年の後花園・後醍醐両天皇より深い帰依をうけ元亨(げんこう)4年寺地を賜り大徳寺と号した又後醍醐天皇のご宸翰(しんかん=天皇自筆の文書のこと)により祈願所とされ南禅寺と並んで禅宗五山の上位に列せられた。56才で寂した。室町時代火災により、またその後応仁・文明の乱で罹災衰微、一休和尚の時堺の富裕な商人によって再建、信長の寄進などにより庇護を受け隆盛なお江戸期においても徳川幕府や諸大名の外護により洛北随一の巨刹となった。明治維新の廃仏令により一時衰えたが茶の湯の流行と共に観光に訪れる人が多くなっている寺地東西800m南北500m法堂等多くの伽藍と24院の塔頭が甍を並べる。名実共に大寺院を誇る紫野大徳寺一休さんの寺である。 |