奈良 済美地区社会福祉協議会
第469回
11月せいび歩こう会
五色の流れる水面、暮秋の琵琶湖を眺め志賀や小野、更に錦織の里、大津京を流離い、行く秋を皆様と楽しみたいとお誘いしました。ご参加下さい。 |
日 時 | 11月20日(日)近鉄奈良駅地下東改札口前 午前7時50分集合 |
コース | 奈良A8:18発京都行急行=(近鉄)=京都=(JR)=志賀…(歩く)…志賀の浜…樹下神社…志賀清林墓…志賀=(JR)=和邇…小野神社・小野篁神社…小野道風神社…和邇=大津京…大津宮錦織遺跡…近江神宮…大津京=(JR)=京都=(近鉄)=奈良 |
歩行距離 | 約4km |
費用 | 交通費 合計2,520円 奈良〜(近鉄610円)〜京都〜(JR570円)〜志賀〜(JR180円)〜和邇〜(JR320円)〜大津京〜(JR230円)〜京都〜(近鉄610円)〜奈良 |
昼食 |
弁当・飲物ご持参下さい。飲食店・売店ありません。敷物お持ち下さい。 |
志賀の浜辺 | 長閑なひと昔前、猟師の里の風景を偲んで下さい。志賀廼家淡海(しがのやたんかい)、松竹家庭劇の曾我廼家(そがのや)五郎・十郎に次ぐ役者の、ここは故郷。志賀の浜辺を偲んで唄った淡海節「船を引きあげて船頭は帰る、後に残るのは櫓と櫂、よいしょこしょう、浜の松風」この歌をこの浜で味わって下さい。 |
樹下(じゅげ)神社 | 鎌倉時代近江の国を領した佐々木兵庫が、妖怪が出没し旅人に危害を与えたので日吉の十禅師に祈って退治したのでここに日吉の神を分祭した。祭神は鴨玉依姫命(加茂神社祭神) |
志賀清林(せいりん)墓 |
奈良時代聖武天皇の御代、日本最初の相撲行事として召し抱えられ相撲四十八手の基本を創案した功績者、傍らに板垣退助の篆額(てんがく)がある。(篆とは書体の名=流儀) |
小野神社・小野篁(たかむら)神社 |
飛鳥時代から平安時代に栄えた豪族小野妹子はこの志賀に住し又小野氏は第30代敏達(びんたつ)天皇の流れで篁、小野道風等多くの官人に名を残す一族。小野神社と併せ篁を祀る社が並列する。祭神は天足彦国押人命(あまたらしひこくにおしひとのみこと) 米餅搗大使主命(たがねつきおおおみのみこと)。両神は小野一族の祖。 |
小野道風(とうふう)神社 | 平安時代中頃の書家で或、雨の日、柳の枝に苦労して飛びついた蛙を見て努力を教えられ書家として成功した。第60代醍醐・第61代朱雀・第62代村上の三朝に仕えた官人でもある。蛙の話は戦前小学校教科書にもあった。 |
大津宮錦織遺跡 | 第38代天智天皇が1,300年の昔、奈良県飛鳥より遷都、6年の都で天皇の第1皇子大友皇子が第39代弘文天皇に就任されたが第34代の舒明の第3皇子大海人(おおあま)が自分が天皇となるため謀反(むほん)、大津に攻めた。弘文天皇は敗れ自殺。大海人は都を飛鳥に戻し、第40代天武天皇に就任、この戦を壬申(じんしん)の乱と云う。この遺跡は昭和49年、6年の調査で発見され現在国の史跡として指定されている。錦織の名は大陸から渡来した渡来人がここに住し、機織りをしたことから地名となった。 |
近江神宮 | 38代天智天皇を祀る、この神社は、昭和15年の創建、約20万uの境内、朱塗りの楼門、白木造りの外拝殿と内拝殿、中門、本殿他からなり、時計発祥の地、庭内には幾種類もの時計が在る。 水・砂・日等、又、境内には時計博物館が在る。 拝殿から振り返ると眼前に琵琶湖の雄大な景観が望める。 |