奈良 済美地区社会福祉協議会
第475回

5月せいび歩こう会

春の移ろい爽やかな五月の空の下、今、平家物語で人気の史蹟を今月からシリーズとて、今月は第1回神戸大和田周辺を散策します。ご参加下さい。

日 時

5月13日(日)  近鉄奈良駅地下東改札口前 午前7時50分集合

コース

近鉄奈良駅@8:16発快速三宮行=(近鉄・阪神)=阪神三宮…(乗換)…JR三ノ宮=(JR)=兵庫…(歩く)…柳原蛭子社…福海寺…七宮社…来迎寺…古代大輪田泊の石椋…金光寺…能福寺…真光寺…清盛塚・琵琶塚…清盛橋…薬仙寺…和田社…三石社…和田岬=(地下鉄)=三宮花時計前…阪神三宮=(阪神・近鉄)=奈良

歩行距離

約4km弱

費用

交通費 合計2,270円
奈良〜(近鉄・阪神940円)〜阪神三宮〜(JR160円)〜兵庫・和田岬〜(地下鉄230円)〜三宮花時計前・阪神三宮〜(阪神・近鉄940円)〜奈良

食事

弁当・飲物・敷物ご持参下さい。
雨天時は近くの飲食店のご利用を(但し少ないです)



柳原蛭子(えびす)神社

伊弉諾(いざなぎ)尊・伊弉冉(いざなみ)尊の第一子蛭子(ひるこ)神を祀る、地域の鎮守社。
境内社=稲荷社、江戸期230年前既に鎮座する古社。

福海寺

清盛の信仰した庚申で平家一門が大いに栄を受けた社。又堂前の時雨松を愛でた清盛は不思議な力を得て大成功した。松は戦災で焼けその後枯れた。

七宮神社

大己貴命(おおなむちのみこと)の怒りにふれ暴風雨が起こった、清盛は命(みこと)を遷座し社を建てたところ風雨は治まり兵庫港築造の経ヶ島工事が完成した。

来迎寺(らいごうじ)

日宋貿易の拠点とするため清盛が兵庫港修造の際、経ヶ島築造工事は難航した。すると17才の侍童松王丸が自ら進んで人柱となり無事工事は完工、この寺は彼の菩提を弔うため建立されたので念仏道場となった。境内にその供養塔があり近くに清盛の愛した京・堀川の白拍子・妓王(ぎおう=祇王)・妓女(ぎじょ=祇女)姉妹の供養塔がある。
古代大輪田泊の石椋(いわくら) 日宋貿易の拠点とするため清盛は奈良時代行基が造営した大輪田泊を修築、これにより日宋貿易は盛んになり、平家の隆盛を支えられた。
金光寺(こんこうじ) ある夜清盛の夢枕に童子が現れて「ここから五町程沖の海底に尊像が沈んでいる」というお告げをした。早速大輪田泊に網を下ろした、海中から黄金の薬師如来像が出現「これは当地の守護仏だと大伽藍を建立したのが当時の草創。
能福寺 兵庫大仏、840年前平安後期第80代高倉天皇の時、清盛は太政大臣(最高の位)に任命され翌年剃髪出家して入道となった。その3年後京で亡くなり遺骨は持ち帰られてここに平相国廟を建立、境内に高さ11m日本三大仏の一つに数えられる盧舎那仏が安置されている。
真光寺 「おどり念仏」で全国に教えを広め、時宗の宗祖と仰がれる一遍が生涯を終えた地に建立された寺院で境内に兵庫七弁財天のひとつ「真野弁天」の塔頭がある。また経ヶ島築造に際し、祟りをなした大竜を鎮めた寺と伝えられる。
清盛塚・琵琶塚

清盛の死後100年、北条貞時が清盛を弔うため8.5mの石造十三重塔と平家物語の琵琶の名手として謳われている平経正の塚があり清盛像は昭和43年建立

清盛橋 兵庫運河に架かる橋で欄干に「源平合戦屏風」や「平家物語絵巻」をモチーフにした銅板のレリーフが数々飾られている。
薬仙寺 福原遷都の際、清盛自らの別邸=萱(かや)の御所に第77代天皇(後白河法皇)を幽閉、別名「牢の御所」とも呼ばれ、その邸は本寺の近辺にあったと伝えられる。近くの新川運河の地にあったのであろう。そこに「萱の御所跡」の碑がある。現在当寺の奥境内にある萱の御所は復元されたものであろう。
和田神社 清盛が大輪田泊の修築に成功を祈願し安芸の宮島より市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を勧請した際に祀られた七弁天の一つと云われている。元々は葦の船で「おのころじま」から流されてきた蛭子の森と呼ばれ和田神社で蛭子大神を祀っていた。
※おのころ島とは大八島、つまり日本国大八島をいう。伊弉諾・伊弉冉の夫婦神が天の浮橋に立って天の矛(ほこ)で蒼い海を深くかき混ぜ引き上げた時、矛先から八つの島が滴り落ちた。それが日本国大八州である。
三石神社 ここ和田岬は第14代仲哀天皇の后、第15代応神天皇(八幡社祭神)の母神功皇后凱旋の帰途に上陸、三つの石を立て神占いをして広田・生田・住吉の神を祀らしめた地で、後第33代推古天皇が「みそぎ」をされたので祓殿(はらいどの)塚といわれ玉座された石を三石という。奈良時代には行基も立ち寄り、神功皇后の神霊によって和田岬往来の船の安全航行鎮護を願って祓殿の旧跡に祠を立てた。境内に神功皇后と幼き応神天皇を抱いた武内宿禰の像がある。

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