奈良 済美地区社会福祉協議会
第476回

6月せいび歩こう会

水無月の季節、梅雨の候となりました。一昨年5月神戸須磨に次いで、昨今のテレビによりブームになっています源平合戦の主人公、平清盛に因み5月は神戸和田岬を尋ねました。今月その第三弾滋賀の野洲、妓王・妓女の里を散策します。ご参加下さい。

日 時

6月10日(日) 近鉄奈良駅地下東改札口前 午前7時50分集合

コース

近鉄奈良駅@8:18発・急行京都行=(近鉄)=9:03着 京都A9:22発普通野洲行=野洲(北口)=(臨時バス)=江部(バス停)…(歩く)…土安神社…祇王寺…祇王屋敷跡…北村季吟碑…浄專寺(永原御殿門)…永原御殿門跡…菅原神社…家棟住宅前(バス停)=(バス)=野洲駅北口…南口…(祇王井川・中山道 朝鮮人街道)…背くらべ地蔵…野洲駅南口=(JR)=京都=(近鉄)=奈良

歩行距離

4.5km

費用

交通費 合計2,660円
奈良〜(近鉄610円)〜京都〜(JR480円)〜野洲〜(バス臨時特別250円)〜江部・家棟住宅前〜(定期バス230円)〜野洲駅(JR480円)〜京都〜(近鉄610円)〜奈良
※バス料金は現金をご用意ください(カード類は使用できません)


祇王寺入山料200円徴収致します

食事

自治会館を借用 弁当・飲物必携、周辺田園都市のため食堂・売店ありません



土安(てやす)神

約800年の昔、江部の荘の荘司で橘時長の娘、妓王(ぎおう)と妓女(ぎじょ)の姉妹は父の死後母と共に京に出て白拍子になり、平清盛に見初められ愛されてお前の要望があるならかなえてやろうと云われ、それなら私の里は水田の水が欲しい、用水路を・・・と望んだ。清盛は早速工事に掛かったが工事が難航、そんな時清盛の夢枕に童子が現れ、工事の手法を教えられ、工事は完成、上流を妓王川、下流を童子川と名付けられ、その童子と工事を担当した工事奉行・瀬尾兼安が奉祭されている。

祇王寺

第76代近衛天皇の御代870年前荘司・橘次郎時長は宮中の北面の武士で保元の乱で後白河法皇と崇徳天皇の内乱により戦死。その妻は娘妓王と妓女を連れ京に出て二人の娘は白拍子となり平清盛に見初められ姉から妹への清盛の心移りに耐えかねる髪を切り嵯峨往生院に隠れ尼となった。妓王は38才で亡くなった。里の村人達は妓王の恩に感じ妓王生地に一宇を建て祇王寺と名付けた。妹の妓女も同じ道を辿った

妓王屋敷跡

妓王・妓女の生地屋敷跡

北村季吟(きぎん)碑

江戸時代当地に生まれ幕府に呼ばれ我が子と共に江戸に下った国文学者で土佐日記・大和物語・伊勢物語・源氏物語など注釈、伊賀上野の松尾芭蕉の俳諧の師「妓王井川に とけてや民も やすごおり」と碑に刻まれてある。
浄專寺 関ヶ原の合戦で大勝した家康は本隊や諸大名の軍勢は上洛させ自身はここの国侍永原氏の永原城に宿泊その後二代将軍秀忠、三代将軍家光等度々宿泊したが廃城され一部石垣や堀を残すのみ、竹やぶや雑草やぶになっていてその門だけがこの寺の西の出入門となっている。
永原城跡 「長原御殿」と呼ばれる。
菅原神社 源頼朝の勧請、創立の社、明治の神仏分離までは枩梅山長榮寺という寺坊があった、元天満神社と呼ばれ道真を祀る。境内に昭和之宮がある。昭和天皇・皇后を祀る。又桧の老木が一本ご神木とある。家康・家光の朱印状があり、境内の竹木諸約免除とありその為築材調達から守られた。全国的に非常にめずらしい。
妓王井川 中山道に沿って流れ妓王が清盛に請願して造らせた水路。ここは上流、下流は妓王の里江辺ノ庄を通り童子門となり800年を経た今も水田を潤している。人呼んで安らぎ川。12kmに及ぶ長さである、その先は湖に流れる。
背くらべ地蔵

「背競地蔵尊」という。像高1.3mの阿弥陀如来像と像高70cmの室町時代末期約500年前の地蔵像が昔は野ざらしだったそうで現在は4本柱に覆屋(おおいや)のお堂にまるで背比べのように並ぶ、昔は幼児の死亡が多くその為、この地蔵像のように早く大きくなれと祈願、この像と比べ同じ以上になれば安心と祈願したので、背くらべ地蔵の名がついたと云う。

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