奈良 済美地区社会福祉協議会
第477回
7月せいび歩こう会
我国の五節句の一つ7月7日は七夕(たなばた=棚機)祭り、子供の頃文字の上達を願って色紙の筆で文字を書き笹竹に吊るし屋根の上の物干場にお供物の菓子や果物、団子を供え灯明を付け「笹の葉サ〜ラサラ・・・」と歌った頃が懐かしい、そんな季節が巡ってきました。今月もシリーズとして企画している平清盛に纏わる遺跡神戸にお誘いします。六甲の裾坂や石段の多い町ですが頑張ってご参加下さい。 |
日 時 | 7月8日(日)近鉄奈良駅地下東改札口前 午前7時30分集合 |
コース | 近鉄奈良駅 A7:54発 快速急行三宮行=(近鉄・阪神)=阪神三宮・地下鉄三宮=(地下鉄)=大倉山…(歩く)…宝地院…荒田八幡社…塞神の松広場(碑)…祇園神社…雪見御所跡…氷室社…熊野社…願成寺…厳島社…神戸高速鉄道・新開地=(神戸高速鉄道)=三宮=(阪神・近鉄)=奈良 |
歩行距離 | 4km |
費用 | 交通費 合計2,200円 |
食事 |
お弁当・お茶ご持参下さい。食堂・売店ありません。(閉店の店ばかりです) |
宝地(ほうち)院 | 平清盛のすすめで福原に都を遷し、清盛の妻時子=二位尼(にいのあま)に抱かれて下関・壇ノ浦の海に入水された第81代安徳天皇の菩提を弔うため、鎌倉時代弘安2年(1279年)に建てられた寺であると伝えられる。 |
荒田八幡神社 |
元は荒田神社といい宝地院鎮守社として寺域内に在ったが明治の廃仏令に依り明治31年ここの社に合祀され現在の社名となる。この近辺は一段高い地で福原の都の重要な地であったのではと云われる。清盛の弟池大納言平頼盛の山荘があり、この境内は安徳天皇行在所跡でもあった。 |
塞神(さえのかみ)の松広場 | 塞神とは道祖神で街道の悪霊を防ぎ旅人の無事な道中を願って祀られたもので、この前の街道は有馬道で旅人も多く行き交う重要な街道であるから霊碑を建て昔は松の木がある小さな広場であったので、この名がついたのであろう又塞の神・道祖神とは猿田彦神であろう。 |
祇園(ぎおん)神社 |
第56代清和天皇の御代1,150年余前、姫路城の北にある広峰神社より京都八坂神社に素戔嗚尊(すさのおのみこと)の分霊を移す時その道中、神輿がここに一泊された。それを記念して御輿の鎮座した所に社を建て牛頭(ごず)天王=素戔嗚尊を祀った。清盛が神戸の海に経ヶ島築造の際、祇園神社の裏山で海潮の響を聞きながら計画を練ったと伝えられる。 |
雪見御所旧跡 | 西側を流れる石井川と東側を流れる天王谷川の合流する地点、巾約200m程の両川に挟まれた地、ここに清盛の別荘「雪見御所」が在った。相当広大な邸であったと想像できる。 |
氷室(ひむろ)神社 | 第16代仁徳天皇の兄額田大中彦皇子(ぬかたおおなかひこのみこ)がこの地で氷室を発見、天皇に氷を献上したことからこの社に同天皇が祀られた。清盛が後に福原遷都の際弁財天を厳島から勧請された。後白河法皇が幽閉された所と云われる。源平合戦の時教経(のりつね)がこの境内を陣とし清水は「陣馬の井」と呼ばれた。通盛(みちもり)と妻小宰相局(こざいしょうのつぼね)との別れの地という。 |
熊野神社 | 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉命(いざなみのみこと)を祀る。清盛が福原遷都するにあたり新王城鎮護のため紀州より勧請したと伝えられ、この地は先住民が住んでいたのか地下から土器に納められた貝の腕輪など多く出土した。 |
願成寺 | 元は他の地に在った観世音を祀り、観音寺と云った。法然上人の弟子住蓮坊が中興し願成寺と称するようになったと伝えられる。墓地に住蓮坊の石塔や平通盛と小宰相局(こざいしょうのつぼね)、乳母呉葉を供養する石塔がある。 |
厳島神社 | 平清盛が福原遷都、大輪田泊修築に際し成就と兵庫の地の繁栄を祈願し、治承4年、832年前平家一門の氏神として深い崇敬をする安芸宮島厳島神社をこの地に勧請したといわれる。 |