奈良 済美地区社会福祉協議会
第482回
12月せいび歩こう会
年の瀬師走となりました。この一年を通して最も日の短い月、心忙しい季節です。また、無事息災に過させて頂いた喜びに感謝の意を捧げ新年を迎える喜び、皆様と共々神に詣で仏に縋り願いを捧げたいと思います。 |
日 時 | 12月16日(日) 御霊神社 午前8時20分集合 |
コース | 御霊神社8:30出発…(歩く)…南円堂9時ごろ着(予定)額塚…万葉歌碑…雲井坂・轟橋・一里塚…井徳井橋…祇園神社…焼門跡(二条門)・聖武天皇大仏遙拝所・八木翁碑…子安社…辛国社…鐘楼・俊乗堂・行基堂・五十二段…六道…遠敷神社…不動明王堂・十一面観音路座坐…飯道神社…(西国三十三番・番外観音像)…万直地蔵…(少し引返す)…山手如意輪観音堂…遠敷神社…二月堂…五十二段(天国から下界へ)解散…(茶屋) |
歩行距離 | 3km程度(片道) |
費用 | 費用 要りません 万直し地蔵でお金の交換を致します、小銭(1円玉)ご用意下さい。 |
食事 |
二月堂茶屋にて大和粥ご賞味頂きます。 |
興福寺の額塚 | 淳仁天皇の御代、南大門に「月輪山」の額が掲げられた。その後度々珍事が起り霊夢により取り外すと治った。その額は土中に埋められた。 |
雲井坂の万葉歌碑 |
「見渡せば、春日の野辺に、霞立ち、咲きにほいけるは、桜花かな」作者不明。奈良八景の「轟橋の行人」。轟橋とは押上町に流れる吉城川に架かる井徳井橋がそれであろう?と思われる。 |
祇園神社 | 八坂神社とも。素戔嗚尊・妻神の奇稲田姫と二神の子神を祀る。 |
焼門 |
二条通の東大寺、中の御門跡。400年前江戸時代焼失した。 |
聖武天皇お立ち台 | ここから第45代奈良時代3代目聖武帝が大仏を拝された所。 |
八木逸郎翁碑 | 文久3年、東向北町の生まれ、衆議員10期31年勤められ、正和20年81才没。 |
子安神社 | 子守明神とも、良弁僧正の母を祀る。安住の地(場所)であった。 |
辛国社 | 猫段の上にある。様々な障害を人に及ぼすため良弁僧正がその天狗達を改心させ仏法護持を誓約させ社を建て祀った。 |
鐘楼 | 釣鐘高さ3.9m・口径2.7m・重さ約26トン=26,000kg、堂の柱12本、日本一の鐘楼。 |
俊乗堂 | 俊乗坊重源像安置、鎌倉時代東大寺の再興に尽力した。 |
行基堂 | 和泉の人で東大寺の創建に努め聖武帝より僧正に任じられた。 |
五十二段 | 菩薩修行の段階と六道の辻。 |
不動明王堂 | 明王は如来の使者、世の悪を打ち砕く、その心を姿で現している仏で髪は怒りを表す炎、同じ明王でも愛染明王や孔雀明王は温和で、悪を善に導く慈悲心の姿で現されている。 |
露座の観世音菩薩 | (十一面)観音には七観音おいでで、そのお姿はそれぞれお救い頂く手法により異なっている。 |
西国三十三番 | 西国三十三番及び番外の観音霊場の観音像が山側に御座る、礼拝の心算で静かに・・・ |
間直し(まんなおし)地蔵尊 |
悪い運を直して下さる尊像、域内を捜し地蔵尊に捧げられたお宝を拝受し代わりに吾の持つ小銭同額か、それ以上を域内にお供えする。即ち悪運を祓い良運を頂く。 |
遠敷社 | 毎年3月13日お水を若狭よりお送り下さる神、遠敷明神を祀る。 |
二月堂 | (裏側拝所にて拝す)十一面観音を本尊とする。あまりに小さいため前後が分からないといわれる、又一説には、お厨子の中に座す像で安置されてより秘仏とし、お厨子の扉は開けられたことがなく、従って拝顔した者も無いので正面が分からない。そのため拝所が四方にある。全国他のお堂や社には無い。然し一般的に西側を拝所(正面)にすることが周囲の地形から見て良いと考えられたのでしょう。 三月五日と十二日に東大寺に縁のある.亡くなった人の名が書かれている過去帳が読み上げられます。順番に過去帳が読まれていると「なぜ、わたしの名を読んでくれないのか」と青衣の女性が現れた。が、名前が分からないので即座に「青衣女人(しょうえのにょにん)」と言われた。すると姿が消えた。その後過去帳にその名が書き込まれ今も読み上げられている。 |
飯道(いいみち)神社 | 食堂の神を祀る。本社は滋賀県飯道山に祀る祭神、神名不明。食堂神。 |
五十二段 | 上段に神仏の世界を雲で現し、最下段に海、波を表現。永い修行の歴を・・・ |