奈良 済美地区社会福祉協議会
第484回

2月せいび歩こう会

立春です。でも寒さはこれから、当分炬燵櫓から離れられない今日この頃です、然し関西でもとりわけ気温の緩む大阪、住吉大社界隈を歩きます。ご参加ください。

日 時

2月17日(日) 午前8時0分 JR奈良駅2階出札口前集合 

コース

JR奈良駅A8:24発=(大和路線・急行)=天王寺=阪堺・上町線=住吉…(歩く)…生野神社…一運寺…大海神社…種貸神社…楠碧神社…若宮八幡宮…石舞台…卯の花苑・車返しの桜…大灯篭・浅沢神社・浅沢池・杜若苑…大歳神社(傍らのおいとしぼし神社におもかる石と云う占い石がある)…住吉大社(第一殿〜第四殿)…角鳥居・反橋(太鼓橋)…高灯篭(国道26号線沿い)…住吉公園(駅)=阪堺・上町線=北畠…小野塚・播磨塚…北畠顕家墓…阿部王子神社…安倍清明神社…松虫塚…松虫=阪堺・上町線=阿部野…天王寺=JR大和路線=奈良

歩行距離

約3km

費用

合計1,500円
奈良〜(JR450円)〜天王寺〜(阪堺線200円)〜住吉 住吉公園〜(阪堺線200円)〜北畠 松虫〜(阪堺線200円)〜阿倍野 天王寺〜(JR450円)〜奈良

食事

食堂あります(雨天の日は住吉公園での食事はできません)



生根(いくね)神社

祭神少彦名命、創建不詳、1,900年前存在していたことが古書・日本書紀にその名がある。淀君の崇敬社で秀吉の家臣・片桐且元が現在の本殿を寄進した。

一運寺

聖徳太子42才の時、一夜の夢に西方の地より天に昇る光を見てこの地に七堂伽藍を建て法然上人等高僧が住吉に参詣の時この寺に逗留、家康もこの寺に立ち寄った。赤穂義士の大石義雄父子、寺坂吉衞門の墓碑がある。
大海(たいかい)神社 山幸・海幸の神話による海の神豊玉彦、豊玉媛を祀る。媛は彦の御女(むすめ)神=親子で神武天皇の母神。

種貸(たねかし)神社

五穀の種が授かるとの信仰がある、又子宝に恵まれると云われ、子授けの神で宇迦魂の神、お稲荷さん、伊勢外宮の豊受の神でもある。
楠?(なんくん)神社 住吉大社第一の本宮の裏にある樹齢一千年余の楠をご神木とし、宇迦魂大神を祀る。
若宮八幡宮 第16代仁徳天皇を祀る。第15代応神天皇は八幡大神、その御子を若宮とする。
石舞台 大阪天王寺、広島の厳島神社と並び日本三つの能舞台の一つである。重要文化財、秀頼の寄進。
卯の花苑 山野に自生する植物で高さ1m〜2m幹の中がウツロ(空洞)になっているので「うつろぎの花」という。
車返しの桜

鎌倉時代第69代後醍醐天皇が車でお通りになった時、あまりの見事な桜に感動され引き返させて観桜されたと伝えられる。

大灯篭 ここは紀州街道と高野街道を連携する重要な地、旅人の道中安全祈願の辻灯篭。
浅沢神社 市杵島姫(いちきしまひめ)(弁財天)を祀る。境内の池は浅沢池、奈良猿沢池、京都大沢池を併せて三沢池と称す。杜若が季節に花を添え、卯の花苑、車返しの桜を総称して住吉三花苑と云う。
大歳神社 素戔嗚尊の御子神、稲作の神、非常に艶福家で三人の妻、十人の子があって大国主と力を合せ出雲の国の建国に一翼を担った武勇の神、大歳神を祀る。そばに在るおいとしぼし社に占石の「おもかる石」で占っては如何。
住吉大社 伊弉諾尊のお子神、第一殿に底筒之男尊(そこつつのおのみこと)第二殿中筒之男尊、第三殿上筒之男尊、第四殿はこの大社創建の第14代仲哀天皇の皇后、神功皇后息長足姫(おきながたらしひめ)を祀る。鳥居柱が四角は珍しい。
反橋(太鼓橋) この橋を渡らないと住吉大社に参拝したことにならないと云われる。
高灯篭 住吉大社前紀州街道大社南側にある。日本で一番古い高灯篭は住吉神社西側国道26号線の西側に在る。住吉のランドマーク(目印)になっている。これは日本最古の海の灯台であったという。
小野塚・播磨塚 平安の歌人で宮中に仕え美貌と才能に長じた小野小町にあやかりたいとの信仰から造られた塚、又播磨塚は南北朝の戦いで楠木正行と足利方赤松貞範との戦で戦死した貞範方の多くの将兵の遺骨を納めた塚である。
北畠顕家墓 南北朝の時代、忠臣北畠顕家が足利尊氏との戦で戦死した地で顕家21才であった。
阿部王寺神社 平安半ば陰陽師安倍清明を祀る。天文・陰陽の術を学び、今後起こる事変を神の如く予見した。天皇より宅地100町歩を賜り51才で没した。境内に末社葛の葉稲荷がある。
松虫塚 道路の傍らに樹齢800年の老木の元に小さな塚がある。後鳥羽上皇の愛した女官鈴虫松虫が法然上人に学び信仰の道に入り法皇の怒りにふれ法然は四国土佐に流されそれを悲しんだ松虫はこの地に隠れ住んだ所と云う。またその町に琴の名人が訪れ共に暮らしたが引く琴の音より松虫の鳴く声が優れていたので琴の名人はその琴を捨てたという。またある日旅人二人がここを通りかかり松虫の音が気に入り、旅人の一人が松虫を探しに行き帰らず後に残った一人はその後を追ったが死体となったのを見付け、その死体をここに葬った。その塚を松虫塚と名付けたと云う。ここに三つの物語が在る。

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