奈良 済美地区社会福祉協議会
第486回

4月せいび歩こう会

春、今絢爛、桜花に咲き匂う季、京は西陣、織物の町、豪華絢爛な織物や友禅に触れ、神に詣で、仏に縋り、花を愛で、そんな一日を皆様と共に散策、語らいたいとお誘いしました。

日 時

4 月 21 日(日) 午前 7 時 50 分 近鉄奈良駅地下東改札前  集合

コース

近鉄奈良駅@ 8 : 18 発=(快速急行)=京都駅=(バス)=一条戻橋・清明神社前…(歩く)…一条戻橋・堀川…清明神社…西陣織会館…白峰神宮…首途八幡宮…本隆寺…三上家(長屋)…雨宝院(花の寺)…岩上神社(祠・巨石)…石像寺(釘抜寺)…バス停・千本立売=(バス)=京都駅=(近鉄)=奈良

歩行距離

3 km

費用

合計  1,660 円

奈良〜(近鉄・ 610 円)〜京都〜(バス・ 220 円)一条戻橋

千本立売〜(バス・ 220 円)〜京都駅〜(近鉄・ 610 円)〜奈良


食事

飲食店数軒有。 弁当持参の方近くに児童公園二ヶ所有り。トイレ有、雨天の時公園利用不。



一条戻橋

平安の初期、第 60 代醍醐天皇の御代役 1,100 年前文章博士・三善清行が亡くなった時、その子浄蔵貴所が熊野詣の途中であったが、父の死を察知し急いで都へ引き返し、父の葬式がこの橋を通るところに出くわした。浄蔵は柩に取りすがり泣き悲しみ、加持祈祷を行うと地獄の冥宮を動かし、不思議にも父は一時蘇生し父子が話を交わしたことから戻橋の名がついた。

清盛の夫人・二位の尼が第 80 代高倉天皇の后建礼門院難産の時この橋の畔で占を、また安倍清明がこの橋下で式神を封じ込めた等、妖怪奇談の多い橋である。

清明神社

平安時代の陰陽師安倍清明と倉稲魂(うかのみたま)を祀る。清明の屋敷跡である。

西陣織会館

西陣の絹織物の展示場、一・二階は展示即売とつづれ織や手織の実演場、一階では一日 7 回の着物ショー、三階は史料室となっており、建物は 7 階建て豪華で一見の価値がある。

白峯神宮

約 150 年前江戸末期、第 121 代孝明天皇が保元の乱で憤死された第 75 代崇徳天皇を追念されその霊を慰めようとされたが急死され、明治天皇が父帝の遺志を継ぎ、明治元年、四国讃岐の白峯より神霊を移しこの地に奉祀された。次いで僧、道鏡と恵美押勝の争いに坐して淡路に流された第 47 代淳仁天皇を合祀されたのがこの社です。

首途八幡宮

(かどではちまんぐう)

正しくは内野八幡宮という、元宮中大内裏のあった所に祀られていたが、いつかこの地に移された第 15 代応神天皇を祀る。一説に奥州の金売吉次の屋敷跡とも伝えられ、その屋敷の鎮守社であったという。 700 年の昔、牛若丸が吉次に誘われ奥州へ旅立ったのはこの地からと伝えられることから、牛若丸奥州への旅立ちの地・首途(かどで)八幡宮という。

本隆寺

日真上人が開かれた寺で度々の火災にも本堂が焼けずそれで不焼寺(やけずのてら)と云う。それは本堂に安置する鬼子母神の霊験と云われる。現在の建物は 400 年前の再建(本堂を除く)。
三上家(長屋)

石畳の路地を真中に5軒の長屋が両方に奥正面が家主の住居。両長屋は店子、家主の店の職人。京都にはこんな一戸建てのような長屋が多い。織屋・染屋に多い。それは何かと便利故。

雨宝院 第52代嵯峨天皇は脳障害があり平癒祈願のため弘法大師が一体の歓喜天を造って安置したのが当寺の起り。この寺は花の名所殊に珍しい品種の桜が多い。

岩神祠(いわがみのほこら)

岩上神社

民家の路地内に在り、祠には 2 m程の赤味の巨石がある。江戸時代初め第 108 代後水尾天皇の御所内に在ったが怪奇なことがあったので真言宗の僧がもらい受けこの地に安置し有乳山岩神寺とした。それからは何事もなく乳授祈願に霊験があると婦人の信仰を得るようになったが明治の廃仏令によってこの寺は廃寺となって巨石だけが残った。

石像寺

通称釘抜寺の異名がある。弘法大師の開基と云う。約 1,200 年前の開創で本尊は地蔵尊、大師がここで唐より持ち帰られた石を地蔵尊に刻まれた。三尺六寸の像で当初は種々の苦しみを抜き取る地蔵尊ということから苦抜き地蔵と云われたが室町時代(足利時代)紀伊国屋道林が何事もないのに突然両手が痛みいろいろ手を尽くしたが効果なくこの地蔵尊に願を掛け、満願の日に夢に地蔵尊が現れて「汝の腕の痛みは現世のものによるものではない、汝は前世において人を恨み呪い人形の両手に八寸の釘を打ち込んで呪ったその罪障によるものだ。よってその釘を抜き取り汝の苦痛を救うてとらせよう」と言って二本の釘をしめされた。道林が夢から覚めると両手の痛みはすでに無くなっていたという。それより、諸病平癒を祈願するものはすべて「体にものが刺さった」といって祈ると霊験があるという。それでお礼に釘と釘抜きを奉納する習わしがある。これは苦抜きということから、このような伝説が生まれたもので現在に至るも一向に信仰が絶えないという。

鎌倉時代重文の仏像(阿弥陀三尊石仏)は本堂背後の小堂内に安置されている。阿弥陀如来を真中に、向って右に観音、左に勢至菩薩が安置されている。本堂背後に(墓地内)弘 法大師が加持祈祷に用いたという「弘法加持水」がある。


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