奈良 済美地区社会福祉協議会
第491回

9月せいび歩こう会

残暑未だ厳しい季節、平安遷都1,220年の昔、都の四方の山に大乗経を納め王城の鎮護とした。ここは都の東北その磐座(いわくら=岩倉)を訪ねます。

日 時

9 月 8 日(日)午前 7 時 50 分 近鉄奈良駅地下東改札口前集合

コース

近鉄奈良駅 8 : 18 発=(西大寺・ 8 : 25 着)=丹波橋 8 : 54 着=(京阪)=出町柳=(叡山電鉄)=岩倉…(歩く)…十王橋(十王 堂・岩倉地蔵)…心光院…山住神社…岩倉観音道…目無し地蔵・目無し橋…実相院…桜の馬場…藤原藤房碑…三面仏…大雲寺…観音水(閼伽井)…一言神社…石座神社…冷泉天皇昌子内親王陵・不動院 . 妙見堂・閼伽井・智弁大師墓・実相院宮墓地・東山天皇皇孫・霊元天皇皇子峯宮塔・後西天皇皇子・後伏見天皇十五世皇子墓・銀杏の樹…岩倉具視幽棲旧宅…岩倉(駅)=(叡電)=出町柳=(京阪)=丹波橋=(近鉄)=奈良

歩行距離

3 km程度

費用

合計  2,990 円

交通費往復 2,240 円 奈良〜近鉄・京阪 860 円〜出町柳〜叡電 260 円(片道 1,120 円)

拝観・入場料:計 750 円   実相院 450 円 岩倉旧宅 300 円

食事

弁当・飲物 必ずご持参ください。飲食店ありません。小さな売店あるのみです。



心光院

紫雲山 浄土宗知恩院派の尼寺、正保2年江戸時代初め創建、本尊阿弥陀三尊、大原三千院と同じ来迎の姿、脇侍の右観音、左勢至は跪座(きざ=ひざまづく)する姿で珍しいと云われる。

 

山住神社

社殿のない一個の巨岩をご神体とし、古代の磐座(いわくら)の 形体をなし、元岩座神社と号し実相院の東に在る。岩座神社の祭には此処がお旅所となる。

実相院

鎌倉時代初期775年前の創建。始め北区の紫野の近くにあったが後、上京区の人形寺の辺りに、そして此処。兵火で再三焼失、三回移転、江戸時代に復興。その後は天皇の皇子が次々入室(実相院門跡)。岩倉の地に因んで岩倉門跡と呼ばれ、大津の三井寺に属していたが、現在は単立寺院。門跡寺院にしか許されない狩野派の襖絵や板壁が多く、庭は蹴鞠の庭、現在は枯山水の庭となっている。殊に客殿は傷みが進んでいる。

(銅鐘)元、大運寺鐘楼があったもので1m程の高さで元々は比叡山西塔宝幢院より大運寺に移されたものである。

大雲寺

天禄二年、平安時代中頃1,000年余前の開山、十一面観世音を本尊とし、大津三井寺の別院で創建当時は諸堂甍を連ねた大寺でその後火災等によって荒廃していたが108代後水尾天皇の中宮の援助によって再建された。それが現在の姿。観音院は再建されなかった。源氏物語の光源氏と若紫のロマンの舞台はここ。

境内閼伽井屋の前智弁水は智弁僧正の井戸。念珠を切って水中に投げたところ三井寺の三井に浮き出たという。

銀杏の樹(こころの樹)

大運寺は古きより心の病に罹った多くの人達の苦しみ、悩み、悲しみを癒す霊験あらたかなお寺として知られ、大銀杏も初夏には青々と繁り秋には黄金色に輝き、実が成り冬には天空に枝を突き上げ慈愛に満ち溢れる「心の樹」と云う。

この地周辺は、福祉施設、心の病の病院や収容施設等散在する所

岩倉具視幽棲旧宅

維新の元勲(国家に尽くした功績のある人)岩倉具視は前の中納言・堀川康親の次男で後に岩倉家の養嗣子(家督相続人となる養子のこと)になり、朝廷に仕え、幕末騒乱に際し、公武合体に名を借りて朝幕の融和をはかり、和宮の降嫁に尽力したが倒幕急進派の弾劾にあい官を辞し剃髪してここ岩倉に幽棲した。明治維新に新政府の実権者となり富国強兵や皇室制度を確立、貴族の繁栄策を講じ明治18年59才で亡くなった。


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