奈良 済美地区社会福祉協議会
第494回

12月せいび歩こう会

師走です。この一年の整理、来る年への指針を為すべき月、神への感謝と喜びに共々社寺に参り神仏を拝し、目出度く来る年を迎えたいと例年に倣い皆様をお誘いしました。ご参加下さい。

日 時

12月5日(日) 午前8時10分 薬師堂町 御霊神社に集合

コース

御霊神社…(歩く)…脇戸町鎮守社…南円堂…春日野…手向山八幡山…二月堂 (解散後例年通り二月堂茶屋で大和粥賞味)

歩行距離

出発から解散まで3km弱

費用

今月は費用不要です。

 

※年の瀬何かと心忙しい毎日です。この一年のご厚誼に感謝致します。

ご協力頂きました方々有難うございました。来る年も宜しくお願い致します。

  拙い説明ですがご容赦下さい。また来年もお会いできますこと、その喜び楽しみに浸りおります。


御霊神社

此処は薬師堂町、元興寺の薬師堂の址、元現井上町に在り江戸時代元興寺と興福寺の争いに火災で焼け、後この地再祉にされた。創建は1,150年前平安時代初期。第50代桓武天皇の勅命により創建された京都上御霊社に次いで創祉された社。当神社の由緒略記によると延暦19年とあるので1,213年前となる。いずれも宮中での政権争いにより現中辻町(旧名篭の坂町)に幽閉され五条に流された。井上皇后(井上内親王)を始め早良親王(崇道天皇=諡号)他計八神が祭祀されている。

若宮は菅原道真・天神さん、豊臣秀吉が京都二条城北側に祀ったお稲荷さん、髪に鍵の型をした櫛を差し稲穂を荷い白狐に乗った弁財天を祀る。その南側土塀際に瀬織津比売(せおりつひめ)・気吹戸主(いぶきどぬし)速佐須良比売(はやさすらひめ)速開都比売(はやあきつひめ)、お祓戸の社、本殿参拝に先ず手を洗い口を漱ぎ祓戸に詣で心身の穢れを祓う。

脇戸町・鎮守社

元興寺の西門、高御門・下御門という二つの門の間に脇門という小さな門があったことからこの町を脇戸と言うとあるが、もう一つの説では画師の腋胴(わきどう)という人が住んでいたから、又天皇の鎧を造る鎧師が住んでいて、天皇に鎧を造る時、宮中に伺候(しこう)の際脇戸という所から出入りし、天皇から脇戸という姓名を賜った。その脇戸という人に因んで町名となったとあるが定かな資料はない。奥に古びた三つの祠がある前に大きな古びた提灯がぶらさがる。正面に天照大神、左に倭文神社、右に蛭子(えびす)神社と書かれている。蛭子とは伊弉諾(いざなぎ)・伊弉那美(いざなみ)の夫婦神の最初に生まれた神、蛭(ひる)のような骨のない子。気持ち悪いと天の川に流され捨てられ西ノ宮の浜に辿り着き漁師の恵比寿に救われ育てられた。 蛭子神=エビス神。一昔前迄は御霊神社の秋の祭礼のお旅所であった。天照大神を祀るところから、皇大神宮とも又御霊社では兼務社と呼んでいる。祭事を司ることからでは・・・・・

春日野

この辺りは江戸時代には野田村と、春日社の禰宜が住んだ所、北郷と呼ばれ元禄時代39軒在ったとある。明治維新、社領が取り上げられ神官も少なくなり、明治22年この辺り、奈良公園に指定、明治35年工事費7万円で812坪の春日野グランド、その後再整備され、大きくなったと云う。


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