奈良 済美地区社会福祉協議会
第498回
4月せいび歩こう会
花の4月、京都御所とその周辺を歩きます。皆様ご参加を |
日 時 | 4 月1 3 日 (日) 近鉄奈良駅地下東改札口 午前7時50分集合 |
コース | 奈良=(近鉄)=竹田=(地下鉄)=烏丸丸太町…(歩く)…京都御苑(堺町御門)拾翠亭(厳島神社)・宗像神社・仙洞御所・大宮御所・御所建礼門・承明門・蛤御門・車返しの桜・御所見学(昼食)縣井・猿ヶ辻・祐の井…本禅寺…盧山寺…梨木神社…護浄院…府立鴨沂高校…荒神橋…山紫水明処…女紅場址…新島襄旧邸…烏丸丸太町=(地下鉄)=竹田=(近鉄)=奈良 |
歩行距離 | 広い御苑内です。 約 3 km余り |
費用 | 合計 1,720 円 交通費 奈良〜(近鉄・地下鉄)〜烏丸丸太町 860 円(往復 1,720 円) 消費税 UP の関係から料金上がります。乗車券購入の時ご確認ください。 |
食事 |
京都御苑内の食堂をご利用下さい。 弁当持参の方、食堂内左半分の席(無料)か、食堂前苑内芝生に椅子があります。 |
京都御苑 |
御所周辺を公苑とした所。東西 700 m南北 1,300 m。御所はその内にあり、東西 249 m南北 448 mの周廻、築地塀。外側築地塀に沿って御溝水 ( みかわみず ) が流れています。 |
拾翠亭(しゅうすいてい) |
旧九条家屋敷址。二階建ての拾翠亭、茶会や歌会に使われたいくつかの茶室と庭園、勾玉(まがたま)池が残っている。厳島神社が庭園内にあり、九条家の鎮守社。鳥居の上部が唐破風で珍しい。 |
仙洞(せんとう)御所 |
上皇・法王の住居。仏院ともいわれる。 |
大宮御所 |
(上記の北側)皇太后(天皇の生母)の御所、女院とも呼ばれる。 |
建礼門 |
御苑の中、御所には二重の塀、外側の御門(正門)を建礼門。内側、築地塀の御門を承明門といいます。 |
蛤御門(はまぐりごもん) |
御苑の西側、新在家町に面することから新在家門と昔は云った。常に開かずの門であることから蛤門と呼ぶ。 |
車返しの桜 |
108 代後水尾天皇がここを車で通られた時、桜 花 の余りの美しさに車を引き返させ再びご覧になったのでその名がある。 |
縣井(あがたい) |
この井戸端に縣の宮という小祠があり、毎年正月、全国に派遣されている役人が年賀のご挨拶に参内した時、先ずこの井戸で身を清め社に詣で出世を祈った。その社、今はない。 |
猿ヶ辻 |
御所の東北の角、表鬼門の築地塀を少し入れ込み、その屋根の下に烏帽子をつけ御幣を持った猿像がある。その為、前の道は猿ヶ辻と呼ばれる。 |
祐の井(さちのい) | 明治天皇御降誕された地。その母・中山慶子様のお里。 権代納言・中山忠能(ただやす)邸跡。ここで天皇は 4 年間養育され、二才の時邸内の井戸が皆涸れたので新しく井戸が掘られた。宮のご幼名祐宮(さちのみや)に因んで名付けられました。現在はこの井戸のみが残る。因みに生家は平屋6畳二間であった。 |
本禅寺(ほんぜんじ) |
法華宗陣門派の大本山、秀吉寄進の銅鐘がある。後、家康が大坂の陣で陣鐘として使い、後、家臣・大久保彦左衛門に与えられたがまたここに寄進された。四方撞き座(つきざ)があり百八の乳が配されている。 |
盧山寺(ろざんじ) |
元三大師・ 良源が北山に創建したのが始め。現在この寺の本尊は元三大師像を安置、枯山水の庭があり、「源氏の庭」と称し、「紫式部邸宅址」としるした石碑がある。 |
梨木(なしのき)神社 |
三條実万(さねつむ)・実美(さねとみ)父子を祭神とし、明治維新功績者、遠ヶ辻の凶変で倒れた姉小路公知(きみとも)郷を後に配祀された。染井は極めて清冷、涸れることのない御所三名水の一つ。萩の花で知られ京三名水の一つ。 |
護浄院 |
三宝荒神で有名。清荒神(きよしこうじん)という。本尊は日本最初、一番古い荒神、尊天堂には福徳恵比須神。この神は元、禁裏に奉安されていた。明治維新に当院に移された。 |
府立鴨沂(おうぎ)高校 |
新英学校、女紅場(にょこうば)が前身、我国最初の女学校。当初の校門がある。 |
荒神橋 | 護浄院前道路。鴨川に架かる御幸橋を云う。又、河原を荒神河原。 |
山紫水明処 |
頼山陽が晩年住んだ水明荘。書院入母屋造り、平屋建て藁屋根の棟のみ残る。京の町は「山紫にして水明らかなる所」、「山紫水明の都」。その景色はこの家から望めた此処と自負した所。 |
女紅場(にょこうば)址 |
現府立鴨沂高校旧跡 |
新島襄旧邸 |
同志社大学発祥の地、和洋折衷、明治初期の建物(現在同志社が管理)生徒僅か 8 名で発足。木造の建物は新島両親のために士族屋敷をまねて建てたものという。 |