奈良 済美地区社会福祉協議会
第499回

5月せいび歩こう会

五月の空、春も酣を過ぎようとしています。薫風に真鯉・緋鯉が蒼空を泳ぐ美、今なお燦然と輝く白鷺の城を訪ね、戦国のロマンに皆様と共に接したいと企画しました。

日 時

5月11日(日) 近鉄奈良駅地下東改札口 午前7時30分集合

コース

奈良@ 7 : 54 発=新大宮 7 : 56 発=西大寺 8 : 01 発=学園前 8 : 05 発=(近鉄・阪神)=三宮(乗換)=(神戸高速)=山陽姫路…(歩く)…お夏の家(宿屋・但馬屋跡)…(昼食)…好古園(姫路城西御屋敷跡庭園)…姫路城(入場口)…菱の門…西の丸入城口…ワの櫓(入口)…長局百聞廊下…化粧櫓…はの門…十字紋(瓦)…はの門…ろの門…ぬの門(二の丸入口)…一の渡櫓・二の渡櫓(黒田官兵衛歴史館)…お菊井戸…ぬの門…るの門…菱の門…入場口……山陽姫路駅=(神戸高速)=三宮(乗換)=(阪神・近鉄)=奈良

 

※帰宅時間は少し遅くなります。

費用

合計3,310円

交通費 往復2,750円(往復 1day パス)奈良〜(近鉄・阪神・神戸高速)〜山陽姫路 

     ※ 「往復 1day パス」  は帰りの奈良駅まで紛失しないようにしてください。

参観料 560円(好古園入館料と姫路城入城料のセット料金です )

食事

食堂あります

※雨天の時、弁当を食べる場所、ありません。


お夏の家跡

商家、旅籠、但馬屋久右衛門邸跡、お夏の家。お夏は評判の美人、数多くの縁談を袖に奉公人の清十郎と恋仲となったが、大商家の娘と手代という身分の違いで許されない。二人は大阪に駆け落ち、捕らえられ、清十郎は町中引き廻されて処刑され、お夏は狂乱。死後父親は哀れみ檀家寺の慶雲寺に二人の比翼塚を建立した。

札の辻(高札場)

江戸時代の掲示板。重罪人等記した立札のあったところ。

好古園

姫路城主の下屋敷(別邸)。姫山の原始林を借景とした池泉式庭園、深山幽谷の流れや瀬戸内海をイメージした四つの区画、九つの庭園に異なる植物でそれぞれ違った趣が楽しめるように配意した庭園です。

姫路城

我国の数ある古城の中で唯一完全に近い形を残しているはこの城だけ。城の歴史は鎌倉時代680年余昔、第96代後醍醐天皇の第一皇子護良親王の令旨(皇族の命令)により賊を討伐し、此処に砦を築いたのが始め。家康の娘婿、池田輝政が8年の歳月をかけて現在の城を築いた。城主の三代目・忠刻(ただとき)は正室に千姫を迎えた。その時、化粧櫓と西の丸が築かれた。この城はその後松平、酒井と城主は変わり最初の赤松氏以後13氏48代540年、太平洋戦争においても被爆を免れ今なお白鷺を思わせる雄姿を見ることができる。城域は約70万坪という。

西の丸長局

局(つぼね)とは、御殿の中で仕切られたそれぞれ部屋をいう。原則的に女性の部屋。

(百聞廊下)本田忠政の嫡男、忠刻(ただとき)と家康の孫娘千姫の居館として、千姫の持参金、化粧料10万石で元和元年約400年前建てられた長廊下240m(121間)。

所々に局(女中頭とそれぞれの腰元の部屋)があり、戦の時には武器の控部屋となる。長廊下には石落とし、鉄砲穴があり、城内側の外側に武士走りと称する通路が石垣上にあり、局部屋から城内へ忍び入る出入り口が設けられている。長局の最も奥に千姫の化粧櫓と称する、日常千姫が暮らす部屋がある。その西側の窓から千姫が信仰する男山天満宮が遠く山中に望め、朝夕櫓の窓から遥拝していたという。

十字紋瓦

にの門「乾曲輪」東方土塀の鬼瓦に「十字紋」を印した瓦がある。黒田官兵衛はキリスト教の信者で洗礼を受け、その時贈られた官兵衛の信者名は「シメオン」。瓦は、官兵衛の信仰の深さを知ることができる象徴であり、城の守護を願ったものであろう・・・

黒田官兵衛歴史館

「りの渡櫓」、ぬの門内、二の丸内。官兵衛の甲冑等が展示されている。同館の入口面に舞台らしきものがある。時々、能や狂言等演じられた舞台ではないかと同館の説明人が言っていた。

お菊井戸

城主小寺則職の執権(城主に代わり政権を執る人、城主に次ぐ権力者)青山鉄山の屋敷址。鉄山はお家乗っ取りを図り、城主の殺害を企てた。それを知った忠臣・衣笠元信は許婚のお菊を青山家に住み込ませ阻止しようとした。感付いた鉄山はお家の宝「十枚の皿」を隠し、一枚を紛失したとお菊に罪を被せ井戸に投げ込んだ。その後、お菊は亡霊となり毎夜現れて鉄山を悩ませたという。この話の根源は江戸の番町皿屋敷の逸話から創作されたものであろう。その後には、この辺り秋近くなると髪を結った虫「お菊虫」が現れ、鳴くという話もある。鳴く声は「一枚・二枚・・・・」と鳴くのでしょうか?


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