奈良 済美地区社会福祉協議会
第504回

10月せいび歩こう会

世にこの月を神無月と申します。又天高く馬肥ゆる月、女心と秋の空など誠に取沙汰多き月。悠久の昔日、小楠公の悲話に悲憤の涙し、お染・久松の悲恋に哀れを、春の野崎参りの屋形船行き交う里の長閑な微笑ましい風景を偲び歩きます。ご参加下さい。


日 時

10 月 19 日(日)近鉄奈良駅地下東改札口 午前 7 時 40 分集合

コース

奈良A 8 : 16 発=(近鉄奈良線・三宮行急行)=生駒A 8 : 34 発=けいはんな線=( 460 円)=新石切…(歩く)…石切剣箭神社…新石切駅前=(バス) 280 円=野崎観音前…南條神社…野崎観音…専応寺…野崎三丁目…=(バス) 200 円=北条…十念寺…腹切場…北条 = (バス) 200 円= JR 四条畷駅前…小楠公墓所(昼食)…四条畷神社(飯盛山)…和田賢秀墓… JR 四条畷駅

※ここからの帰路は次のいずれかを選ぶ。

@ JR による帰路…木津乗換奈良へ

A近鉄による帰路…バスで新石切 ・生駒乗換奈良へ

歩行距離

3 . 5km

 
費用

@ JR による帰路…木津乗換奈良へ  670 円 合計交通費1,810円

A近鉄による帰路…バスで新石切( 280 円)・生駒乗換奈良へ( 460 円) 合計交通費1,880円

食事

雨天の日は、弁当を食べる場所、ありません。


石切剣箭(つるぎや)神社

凡そ 700 年前、足利時代、兵火により焼失したので由緒は詳らかでなく、 1,200 年前の神名帳にこの神名がある。伝説では 2,700 年前天照大神の御子・饒速日尊(にぎはやひのみこと)とその御子・可美真手命(うましまでのみこと)の二柱を神武天皇が東征の時、生駒山中に奉斎とある。

南條神社

牛頭天王(ごずてんのう)を祀る。素盞鳴命(すさのおのみこと)とも云う。荒ぶれ神で病魔を退散させる神威があると云われる。京八坂神社の祭神です。

野崎観音(福聚山慈眼寺・ふくじゅさんじげんじ)

禅宗。 1,300 年前天平勝宝・奈良時代、東大寺大仏開眼のため中国から日本に来た婆羅門僧正が、この野崎は釈迦が最初に仏教を説いた鹿野苑に似ていると行基に申され、行基はこの地に十一面観音像を彫り安置した。

(江口の君堂)この寺の中興の祖、江口の君を祀る。女性守護の仏と言われ、縁結び、安産、子授け、婦人病に悩む女性を守護する。像は彩色で女官風。ここより、北江口という遊郭(上流社会の人を対象とした遊郭)であると伝えられる。

専応寺(せんのうじ)

参道の石標に、「二十四輩 第22番 戸森山」と刻まれている。二十四輩とは、親鸞聖人の有力な二十四人の弟子を云う。その弟子に一人一人に一ヶ寺を持たせ、全国に分散させた。此の寺はその中の一人(一ヶ寺)。現在はそれぞれ弟子が寺を建立、全国に 100 ヶ寺ある。江戸時代、 400 年程前、元和年間の大坂城築城の際、京極丹後守高知が野崎の山麓の石を切り出した時、この寺が陣屋となり工事終了後、お札として当寺の石垣や石段を積み、手水鉢を寄進した。京極家は丹後宮津藩、藩主は京極高知。

十念寺

創建は詳らかではない。本山、大阪平野の融通念仏宗に属し、十念寺再建の費用の寄付集めの時の勧進状の木版がある。それには、四条畷の戦で死んだ武士の霊が、この地を彷徨い200年にわたり地域の人々を悩ました。その為、寺を建て霊を慰めたのがこの寺の創始。

腹切場

南朝方の楠木正行(くすのきまさつら)軍と高師直(こうのもろなお)軍との戦は午前10時から午後6時迄 8 時間に及ぶ。味方は3000余の兵、敵軍は6万、多勢に無勢、正行軍の将兵は多く討ち死にし正行自身も負傷し、弟の正時(まさとき)と差し違えて、自刃した。此処より京飯盛山麓、そして JR 線と権現川が交差する東側の辺りを腹切場と伺う。

小楠公墓所

合戦後 80 年、正行を偲び、古戦場跡に石碑を建立。その時植えられた楠二本が生長、現在樹齢 550 年、一本は幹周り 12 m天然記念物となっている。明治 8 年拡張整備、 7.5 mの石碑が建てられ、参議・大蔵卿・内務大臣大久保利通の揮毫が在る。

四条畷神社(飯盛山々麓)

正行他戦死者を祀る。創建は地元の人々が土地や資金を提供、工事にも参加奉仕、明治 23 年 4 月今から 124 年前完成。明治 28 年神社参拝のため鉄道が敷設された。当時は年間 25 万人の参拝者があった。

和田賢秀墓(塚)

楠木正成の弟・正季(まさすえ)の子、正行・正時兄弟とは従兄弟(いとこ)正行兄弟自害の後、敵陣に乗り込み敵の首に噛みつき睨んで放さなかった、その敵将は死んだと伝わる。それで土地の人は、歯噛(はがみ)さん(歯の神さん)として祀っている。

墓石に「むかし問へば すすき尾花の あらし吹く」と刻まれている。

◎霊光院と云う寺がこの地に在りその近くに「歯神さん」を祀る祠があり、和田賢秀を祀るとある。賢秀は戦の時、自分の刀が折れ、敵の刀を口で受け止め、その刀を歯で噛み切ったことから「歯神さん」と崇められ歯痛にお聞き下さる神として信仰されている。


もどる