奈良 済美地区社会福祉協議会
第507回

1月せいび歩こう会

新年を迎え慶賀に存じます。皆様のご健勝、誠におめでとうございます。本年もご交誼の程お願いいたします。


日 時

1 月 6 日(火) 午前 8 時  JR 奈良駅・西側バス停 6 番乗場 集合

コース

JR 奈良駅 8 : 09 発=バス(天理行)=近鉄奈良駅前・北側 3 番乗場 8 : 17 発=別所(天理)…(歩く)…廟所(豊田山舎)…お墓地(教祖様の代々の真柱様・奥様初め教会関係者の墓地)…天理教本部・お廊下(神殿・教祖殿・祖霊殿)…お節場…石上神宮(午後 3 時頃 解散)

交通費

JR 奈良駅(近鉄奈良駅)〜 530 円(老春手帳持参者は 100 円)〜天理(別所)

 

    帰路・バス=同額   Jr 210 円  近鉄  400 円

昼食

※昼食の携行は不要。

お節を頂きます。満腹感迄御代わり自由、お餅を多くと希望される方は遠慮なく申し出て下さい。ただし、お餅の持ち帰りは出来ません。


豊田山舎(納骨堂)

天理教信者の希望者の廟所(霊所)、希望者の永久霊安所。

 

お墓地

教祖(中山みき)・真柱様・奥様初め教会関係者の広大な墓地。

天理教本部

江戸時代天保 9 年 177 年前、教祖(中山みき)が神の教を説かれたのが始め。世間からは勿論、お上(警察)からあらゆる迫害を受けられたが、その苦難に耐え、漸く認められ、今や天理教の教は世界中に広まり、世界中に教会、布教所がある。

(神殿)神静まる所。中央に神霊の宿る所、神露(かんろ)台がある。天井に蓋い(おおい)屋がなく雨露が神露台に降り注ぎ、神坐(かみおわす)所であります。従って四方拝、四面に教会本部員の役員が30分交替で座している。一般拝所は東西南北解放され、深夜から翌朝間のみ南側一か所が出入口となっている。

(神祖殿)教祖殿ともいう。教祖(中山みき)が祀られている。

(神霊殿)天理教代々の眞柱とその奥様を眞中の社に、その右側は本部役員、左に各大会長の霊が鎮まる。

お廊下は本部全建物を連繋し各所に昇降口、便所が設けられ障害者のため、エレベーター敷設箇所もある。又、各所の昇降口には番人が奉仕し「お帰りなさい」の挨拶・履物を揃え汚れを拭く奉仕の精神から、又硝子や戸、板壁や柱・廊下は常に白布で拭いている。それは自身の精神を磨く心にあります。

石上神宮

日本最古の神宮の一つ、ご祭神は布都御魂大神 (ふつのみたまのおおかみ)・布留御魂(ふるのみたま)大神 ・布都斯魂(ふつしみたま)大神を祀る。ご神体はそれぞれの剣、いづれも国宝、七支刀(しちしとう、ななつさやのたちともいう)神功皇后に百済の王より献上された剣、神代春日大社の神、建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)が帯びておられた平国之剣、そして素盞嗚尊が大蛇を退治された天の十握剣。大和朝廷の時代1,900年の前、聖徳太子が仏教を推進されることに腹を立てた物部の守屋は仏像を難波の池に投げ捨て、太子と争い戦死、その守屋の系統、物部氏は軍事・警護・司法の家筋、又物部氏の先祖は饒速日(にぎはやひ)命、又の名天火明(あめのほあかり)命、瓊々杵命の兄弟神、天照大神の血を引く氏族、当社は物部氏の氏神で今も預かって祭司をされている。昔は本殿がなく、拝殿の後、向うに三神の霊が土中に埋められ、その周囲に剣先の型をした石の瑞垣(みずがき)で囲んであり、その囲中は神宿る禁足地。本殿が創建された今もその瑞垣の中は禁足地として清められています。本殿の創建は大正2年、三神の御霊本殿に、拝殿は平安時代当社を崇敬された第72代白河天皇が宮中の神嘉殿を寄進されたものと伝えられます。

(摂社)出雲建雄神社 第40代天武天皇の御代 670 年余前、神主がある夜、布留川の上に八重雲が棚引きその中に神剣が光を放つ夢を見た。翌朝その場所に行ってみると、その場所に八つの霊石があり「吾は今天下った諸々の人を守ろう」との託宣を受けたので、本社の布都御魂の神の御子として祭祀されたとあります。

(本社)七座社とその右の社の祭神は生命守護の神を祀る。

(鏡池)県の天然記念物(魚)ワタカの生息池、鯉の一種で体は細長く体長のわりに頭小さく背中は緑色、他の部分は銀白色、馬面、奈良東大寺大仏殿前池に生息するといわれています。


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