奈良 済美地区社会福祉協議会
第508回

2月せいび歩こう会

新年も早、如月、立春を迎えます。庭の水仙も目を覚ましています。今年の健勝を願い、身に適わぬながら禅定門の扉を叩いてみたいと計画しました。お付合い下さい。


日 時

2月8日(日)近鉄奈良駅前南側8番乗場へご集合下さい。

コース

近鉄 奈良駅前 8 :21 発G番=バス六条山行)=JR奈良駅前・東口E番 乗場 8 : 25 発=唐招提寺前…(歩く)…水鏡天満宮…唐招提寺…薬師寺…休ケ岡八幡宮…大池(勝間田池) 昼食…三松禅寺… 近鉄九条駅…(西大寺)…奈良

交通費

交通費 近鉄奈良駅〜(バス)260円〜唐招提寺前(老春手帳ご持参の方 100円)

 

JR 奈良駅〜 (バス)250円〜唐招提寺前(老春手帳ご持参の方 100円)

近鉄九条駅〜( 電車 ) 260円 〜 近鉄奈良駅

拝観料 唐招提寺600円(団体料金480円)

    薬師寺500円(団体料金450円)

    三松禅寺100円(心付)

昼食

飲食店ありません。弁当ご持参下さい。敷物もご持参下さい。

歩行距離

約3km


水鏡天満宮

藤原時代ざん言によって九州の大宰府に流された菅原道真がこの森の池の面、水鏡に写る我が姿を見て悲しみ旅立った池、今は森の中の小さな水たまり。祭神は道真公を祀る。

 

唐招提寺

奈良時代の高僧。鑑真和上は中国揚州の人で聖武天皇の再三の招きにより海を渡ること五度失敗を重ね、苦労の末、六度目の渡航を得て来朝、盲目となり、東大寺の大仏開眼法要をつとめ、第40代天武天皇の皇子・新田部親王の旧宅を賜り、 1,200 年、戒律の専修道場を建てられたのがこの寺の起因、仏像及び建造物の殆どは国宝。金堂は奈良時代、講堂は平城京の建物を移築、国宝・重文の構造物。御影堂は重文だが興福寺一乗院の遺構で 40 年前に移築、鑑真和上像が安置されている。御廟(墓)は御影堂の東側に鎮まります。

薬師寺

藤原時代第 40 代天武天皇の御代、 1,360 年前、皇后、後の第 41 代持統天皇病気平癒を願い造営に着手されたが、平城京に都が移ったのでこの地に薬師寺が建立された。この建物の配置は薬師寺式伽藍配置と云われます。その後の火災で当寺の建物は東塔のみ、西塔は昭和 35 年に完成。然し、構造物は国宝・重文。又仏像に於いても、何れも国宝又は重文で、講堂の薬師如来、日光月光菩は最も魅力を感じる仏像であるとあります。

薬師寺休ケ丘八幡宮

この八幡神は僧形(坊主)姿の八幡神、第 15 代応神天皇。そしてその母、第 14 代仲哀天皇の皇后、気長足姫(神功皇后)。仲津姫命(応神天皇の皇后)三神を祀ります。東大寺の鎮守社、手向山に遷座されるとこの遺跡にその後薬師寺の鎮守社として社が創建され祭祀された。

大池

此の辺りから北を西ノ京と呼ぶ。京都に都が遷った後も、奈良時代に建立された寺や、藤原京(現橿原)から移築された多くの寺々がこの右京の地に残ったので、この地を西の京都=西ノ京と呼ぶようになったと伝わる。そのことは 325 年前(元禄時代)の「和州覧記」に書かれています。

三松禅寺

平城京の七条大路に当る所に建つこの寺は元、富雄に在った。行基菩薩に帰依していたという郡山藩主の本多政勝が 340 年余り前この地に移したと伝えられる。奈良随一の達磨大使画像を安置する。本堂に釈迦如来、道元大師を安置。現在の領域や建物総て昭和 48 年全国の有志一万人余の志によって大改造、大改築、整備されたものです。

(お艶地蔵)郡山城の家老が江戸城在任の時、お艶という女性を愛した。家老は帰国の時お艶が同行を願ったので連れ帰ろうと箱根まで同行したが女性の通行は許されずお艶は芦ノ湖に入水、白蛇となりその後家老を悩ませた。正妻は当寺の住職に頼み一彫一拝し地蔵尊像を彫り祭祀した。


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