奈良 済美地区社会福祉協議会
第511回

5月せいび歩こう会

五月の空鯉泳ぐ季、源氏物語終結の地「宇治十帖の舞台」を訪ねます。ご参加下さい。


日 時

5月17日(日)  JR 奈良駅2階 改札口前 午前8時10分 集合

コース

JR 奈良C 8 : 28 発=( JR 快速急行・京都行・ 平城山駅止まりません )=宇治…(歩く)…橋姫神社…県神社…平等院…(喜撰橋)…浮島・十三重の塔…中之島・柿本人麻呂歌碑・宇治シダレ桜…(朝霧橋)…(琴坂)…興聖寺…宇治十帖碑…(さわらびの道)…宇治神社・宇治上神社…放生院(橋寺)…(宇治橋)・橋姫(瀬織津姫)祭祀

…紫式部像・夢の浮橋古墳…宇治駅=( JR )=奈良

費用

合計1,500円

 

   交通費 奈良〜 500 円〜宇治 往復1,000円

   拝観料 ( 600 円) 団体500円

      ※平等院「鳳凰堂」には入りません(待ち時間 3 〜 4 時間のため)

        代わりに「ミュージアム」(無料・映写や説明有り)に入ります。
昼食

必携のこと。敷物・飲み物ご持参下さい

食堂数軒、当月は大変な混雑が予想され、飲食店利用困難。
歩行距離 4km以内

橋姫神社

この社は、始め宇治橋の守護神として宇治橋の上三の間に祀られていたが、明治3年の洪水で橋と共に流失、その後、この地に祭祀、又、同じ橋上に祀られた住吉神も合祀された。橋の守護神とは古来より女神とされた。この女神は嫉妬深い神、それで縁切り神と云われ、悪縁を断つ霊験があると云われる。

 

県(あがた)神社

平等院の鎮守。県とは皇族の領。祭神は 「木花開耶姫命 ( このはなさくやひめ ) 」又の名は「吾田津姫」これを訛って「あがた」の社。 毎年 6 月 5 日の 深夜、暗中の祭事「暗がり祭(奇祭)」が執り行われます。

平等院

10 円玉の図柄で知られる鳳凰堂。平安時代半ば 960 年前、太政大臣(最高の地位)藤原頼通が宇治に平等院を建て、そこに閉居、世に「宇治関白」と云われた。第 68 代一条天皇、第 69 代後朱雀天皇、第 70 代後冷泉天皇、三代 52 年間勤めた。頼通はこの世に極楽浄土を具現しようと創建した。

特に鳳凰堂は極楽浄土の宝楼閣を現した建物で当寺の代表的建築物。近年大改修が行われ、此の程、修復が完成、この世に居ながら、あの世の極楽浄土を味わってください。

浮島・十三重石塔

(国の重文) 日本の最古・最大の石塔。( 15 m)此処は宇治川の中州、浮島。鎌倉時代 700 年程昔、宇治橋が架け替えられた時、橋の流失は魚霊の祟りと称して奈良西大寺の高僧・叡尊が宇治川で魚類を殺すを戒める供養塔を建立した。

興聖寺

中国で修業した道元禅寺が道場として深草に開いた曹洞宗の御寺で、後に淀城の主・永井尚政によって宇治七名庭の一つ、朝日茶園跡に移設した寺。入口石門から境内に通じる坂道は琴坂といわれ風情がある。参道坂両側に流れる水音が琴を弾じる音のように聞かれることから、そのような名前がついたのでしょう。桜・紅葉の季節には絶賛という。宇治十二景に数えられる。

宇治神社

兔(う)の伝説の古社という。祭神は菟道稚郎子(うじのわきいらつね)が河内から宇治へ向かう時、道中兔が現れ、道案内をしたとの伝説から兔が神の使いとして祀られた。宇治上神社と併せ、宇治の離宮明神と総称される。

宇治上神社

平等院の鎮守社で小規模ながら世界遺産、平安後期に建立されたと伝えられる。神社様式としては日本最古、宇治離宮の遺構とも伝えられ、第 15 代応神天皇墓とも伝えられる。祭神は主神第 15 代応神天皇、菟道稚郎子(皇太子)、第 16 代仁徳天皇を配祀される。

放生院(橋寺)

1,370 年前、南都元興寺の僧道昭(どうしょう)が宇治橋架橋の時創建し、西大寺の叡尊が橋寺供養を行った御寺と伝えられる。

宇治橋

瀬田唐橋・山崎大橋と共に古来三名橋と云われる、我が国最古の橋で、大和と近江、京都を結ぶ橋として、街道重要な橋。何度も流失するも南都の協力で都度架橋、橋の欄干上流側の三の間という張出のある所、橋を守る神、橋姫の祭祀場所がある。

橋際(西側)に紫式部像、夢浮島古跡がある。

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