奈良 済美地区社会福祉協議会
第521回

3月せいび歩こう会

春三月、頃は弥生の春の頃と謡われし候、心うきうき弾む三月、早春なれど、もう春の息吹、里の息吹嗅ぐに相応しい飛鳥の奥里、高取山の名城跡を訪ね、土佐の街並みに花開く里、ご自慢の雛達を満喫、楽しい一日をと、皆様をお誘いしました。ご参加下さい。


日 時

3月13日(日)午前8時5分 近鉄奈良駅地下東改札前 集合

コース

近鉄奈良 8 : 26 発=(奈良線・急行:なんば行)=西大寺 8 : 49 発=(橿原線・急行:橿原神宮行)=橿原神宮前 9 : 30 発=(吉野線・吉野行)=着 9 : 37 壷阪山 9 : 45 発=(バス)=壷阪寺…(歩く)…高取山(高取城址)散策・昼食…下山・土佐街道散策(石畳の道)…信楽寺…竹藪の中(下屋敷跡)(植村家、長屋門)(田塩邸、武家屋敷)…黒門・雛人形館・民家の雛人形見て歩き…壷阪山駅=(近鉄)=奈良

注)お手洗いは少ないので見つけた時済ませて下さい。その際必ず誰かに声を掛けて下さい。

費用

1,480円

奈良〜(近鉄・ 580 円)〜壷阪山〜(バス・ 320 円)〜壷阪寺(前)

壷阪山〜(近鉄・ 580 円)〜奈良

歩行距離 9km(2里半)

食事

昼食・飲物ご持参下さい。食堂・売店ありません。敷物あれば重宝です


高取城址

高取山は海抜約 584 m、生駒山と比し梢低く、海抜を除くと事実上の高さ約 300 m春日山より漸く高い。 1,500 年前南北朝の時代、越智氏の居城として築城、桃山時代豊臣秀長(秀吉の弟)の命により本多氏が、江戸時代には植村氏の居城となる。明治 6 年廃城。典型的な山城。本丸は三層の大小二つの天守閣、 33 の門、 27 の櫓、誠に美観。土塀の長さ併せて 2,900 m、橋は 9 つ、堅固で難攻不落の城として、日本三山城の一つと云われた。城内は約 10,000 平方メートル。また、籠城しても城内に 7 つの井戸があったという。高い山上にあり、余程深い井戸であったのでしょう。堀切も 5 ヶ所あり、威風堂々とした構えです。

日本三山城とは岡山は備中の松山城・岐阜は美濃の岩村城そして此処、高取城。

信楽寺(しんぎょうじ)

『壷坂霊験記』(つぼさかれいげんき)の主人公、お里・沢市の墓があります。

壷坂霊験記とは・・・盲目の沢市は、妻のお里が明け方になると出掛けていくのに気付き、男ができたのではと疑い妻を問い詰める。お里はこの三年間、沢市の目が治るようにと壷阪寺の観音様に願掛けに行っていたと打ち明ける。邪推を恥じた沢市は、お里とともに観音参りを始めるが、目の見えない自分がいては将来お里の足手まといになると考え、満願の日にお里に隠れて滝壺に身を投げる。夫の死を知り悲しんだお里も、夫のあとを追って身を投げてしまう。二人の夫婦愛を聞き届けた観音の霊験により奇跡が起こり、二人は助かり、沢市の目も再び見えるようになる。

この物語の作者は人形浄瑠璃の作者豊沢団平と妻千賀女が補筆、作曲した物語です。

壷坂寺は南法華寺と云われる真言宗の寺。 1,300 年前の藤原京の時代に創建された寺です。

土佐街道

全面石畳の道です。後方高取山(城跡への道)に沿って東南に竹藪が城の下御殿跡、又道の北側に植村家長瓦門これは廃城後の城主植村氏の住宅?その下道の北側に武家屋敷田塩邸(家老邸)?がある。その下街道沿いに黒門があり旧城門を復元した門とある。廃城後小学校の門として利用されていたが焼失しこの地に復元されたと説明がある。

雛人形展示館

数段の雛段は見事、他に数々の雛(男女)官女や大臣、囃子人形、小物や道具類等が展示される。又、道中両側の民家の入口、玄関にそれぞれご自慢の雛人形が飾られ通行人の目を楽しませてくれる。


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