奈良 済美地区社会福祉協議会
第522回

4月せいび歩こう会

春爛漫、桜狩りして行く道の眺めも飽きぬ空の下、京は今花の盛り、大原女や水尾の里女と共に赤前垂れの白河女の里、程近く下り松の辺り、京は洛北を訪ねます。


日 時

4月10日(日)午前8時 近鉄奈良駅地下東改札前 集合

コース

近鉄奈良 8 : 18 発=(京都行:急行)=西大寺=丹波橋=(京阪)=出町柳=(叡電)=一乗寺…(歩く)…・一乗寺下り松…金福寺…詩仙堂…八大神社…下り松(バス停)=(バス)=銀閣寺=(バス)=平安神宮=(バス)=京都駅=(近鉄)=奈良

費用

総合計 3,960 円(参加者 30 名以上の時)

    3,910 円(参加者 50 名以上の時)

  交通費計  2,400 円

奈良〜(近鉄&京阪・ 890 円)〜出町柳〜(叡電・ 210 円)〜一乗寺〜(バス・ 230 円)〜銀閣寺〜(バス・ 230 円)〜平安神宮〜(バス・ 230 円)〜京  都駅〜(近鉄・ 620 円)〜奈良

拝観料計  1,550 円(参加者 30 名以上の時)   1,500 円(参加者 50 名以上の時)

詩仙堂 500 円

銀閣寺 500 円

平安神宮  550 円( 30 名以上の時)   500 円( 50 名以上の時)

食事 弁当・飲み物ご持参下さい。(敷物あれば重宝です)

一乗寺下り松

約 760 年前、足利時代、後醍醐天皇の時、新田義貞と楠木正成が此処にて対陣した所。平家の敦盛が神戸一の谷で熊谷直実に破れ、戦死、その一子は母北の方にこの松の根方に捨てられて後、僧になった等、数々の伝承地です。

金福寺

慈覚大師の創建で松尾芭蕉がしばしば此処に杖を止め 蕪村も訪れて芭蕉庵と名付けた。又江戸時代末、徳川幕府の大老・井伊直弼が江戸城登城の時「桜田門外の変」において水戸藩士に暗殺された。その愛人(村山たか)は大老の政策を助けて隠密を勤めた為大老の死後水戸の浪士に捕らえられ、京の三条河原に三日三晩晒し者にされて後助けられ、この寺に入寺、尼となり大老直弼の霊を弔った。寺の門前左側の弁天堂は「たか女」が奉納した像で、この像に朝夕祈ったと云う。

詩仙堂

石川 丈山(いしかわ じょうざん)の創建。丈山は徳川家康の家臣で大坂夏の陣の時武人として犯してはならない軍規を抜け駆けし、家康に忌避された為、禄を返上。後、京に住まいこの地に山荘を建て詩仙堂とし、 90 才で没した。

八大神社

素戔嗚尊(すさのおのみこと)と妻・稲田媛(櫛名田姫ともいう。櫛名田姫とは出雲の手名椎 [ てなづち ] ・足名椎 [ あしなづち ] の娘で、素戔嗚尊により八岐大蛇(やまたのおろち)から助けられた)、その御子八王子を祀る。

皇居の十二社の一つに数えられる。明治 6 年、付近に在った同じ祭神をこの地に合祀された社です。

御子八王子は京から大阪を経て和歌山熊野詣の道中にそれぞれ社があり熊野詣の時各社に参詣されます。

銀閣寺(慈照寺)

金閣寺(鹿苑寺)と共に京屈指の名刹で室町幕府 8 代 将軍 足利義政 が晩年隠棲(隠居)の時、 5 年の歳月をかけてこの山荘を建てた。義政は一子義尚が病没するとその年の新盆・ 8 月 16 日に東山の如意嶽に大文字を点火、義尚の精霊を送り弔った、その年 10 月中風を患いその翌年正月七日 55 才の生涯を閉じた。東山(銀閣寺の山号)での生活は 7 年足らず。没後遺言によってこの別荘を慈照寺とした。

平安神宮

明治 28 年平安遷都 1,100 年を記念し、桓武天皇と孝明天皇を祭神として創建された旧官幣大社で京都市民全体の氏神として尊敬される社です。社は平安京宮中大内裏の正庁である 朝堂院 を凡そ 3 分の 2 に縮小して、約三万平方メートル東・西・中・南の回苑となり、西の神苑に白虎の池、中神苑は蒼龍の池、東神苑は池泉廻遊式庭園、殊に白虎楼のある西神苑の花菖蒲、南神苑の八重紅枝垂桜(やえべにしだれざくら)は有名で花時には参観者に人気があります。


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