奈良 済美地区社会福祉協議会
第525回

7月せいび歩こう会

京は洛西、嵯峨を散策します。盛夏です、飲み物や弁当にご配意下さい。服装にもご配意を!帽子は是非・・・。くれぐれも飲み物は忘れずに!


日 時

7 月10日(日)午前 7 時 50 分 近鉄奈良駅地下東改札口前 集合

コース

近鉄奈良 8 : 18 発=(京都行:急行:前車両)=京都( 9 : 05 着)( 9 : 38 発園部行?)=( JR 山陰本線)=嵯峨嵐山…(歩く)…清涼寺・薬師寺…祇王寺…二尊院…(昼食)…西行井戸…落柿舎…常寂光寺…大河内山荘庭園…野々宮神社…天龍寺…小督塚…嵐山頓宮…法輪寺(解散)……嵯峨嵐山=( JR 山陰線)=京都駅=(近鉄)=奈良

費用

合計4,320円

交通費 1,720円

奈良〜(近鉄・ 620 円)〜京都〜( JR ・ 240 円)〜嵯峨嵐山〜( JR ・ 240 円)〜京都〜(近鉄・ 620 円)〜奈良

拝観料・入園料 2,600円

(団体料金・但大河内山荘は団体料金ではなくお茶券が付いています)


清凉寺(せいりょうじ)

この地はもともと、左大臣・源融(とおる)の山荘があったが没後、遺志により、血縁の重明親王が亡き妻のため堂を建て、金色の等身大の釈迦如来を安置、法然上人も参籠、東大寺の「然(ちょうぜん)も釈迦如来(「嵯峨の釈迦」として世に知られる)と一切経を安置。幾度となく火災に遭ったが都度再建。仁王門には、楼上には十六羅漢が祀られ、下層に金剛力士像。本堂は徳川五代将軍綱吉の発願で、「住友」等の富豪と庶民の寄進で再建された。仁王門の右側に愛宕の社、多宝塔の後ろに嵯峨天皇の皇子・源融の供養塔がある。墓地には、嵯峨天皇の石造五十層塔と壇林皇后の宝塔や遊女夕霧の墓がある。

薬師寺

清凉寺の塔頭(たちゅう)。本尊は薬師如来。嵯峨天皇勅願所として保護された。元この地に在った福生寺は「生六道」と云い、小野の篁(たかむら)が冥途(めいど)から帰り着いた所と伝えられ、その出口という七基の井戸が近年発掘されたと云う。

祇王寺(ぎおうじ)

祇王は近江の国に生まれ、父の死後妹の妓女と共に母刀自に伴われ、京に出て白拍子となり、清盛に見初められ、寵愛を得たが仏御前があらわれて、清盛は心が離れ去って行った。祇王母娘は尼となり念仏三昧に余生を送った。

滝口寺

本堂に滝口入道と横笛の座像が安置されている。内大臣・重盛の家来斎藤時頼は人に聞こえた偉丈夫。花見の宴で横笛に魅了され、妻にと父に乞うたが許されず、嵯峨の往生院に入り出家、滝口入道と号した。これを聞いた横笛は自責の念にかられ滝口入道に詫びようと、訪ねたが入道に追い返され悲しみのあまり千鳥ヶ淵に身を投げたとも、奈良・法華寺へ出家したとも伝えられる。

二尊院

鎌倉時代湛空が師の法然上人の遺跡を慕って来往、荒廃していた寺を再興したが応仁の乱により罹災、徳川・豊臣によって寺禄が寄進。二条鷹司三条家等の菩提寺となり、寺運が栄え一名山となった。本尊は釈迦と阿弥陀の二?を安置、法然上人の御影の画像が掲げられている。

落柿舎

茅葺平屋建て、四畳半と三畳の間。炊事場、物置、生垣に囲まれた狭い庭。入口の荒壁に蓑と笠が在宅を知らせるものと伝えられる。蕉門十哲の一人、向井去来閑居の跡。庭内に 40 本の柿の木がある。ある年、柿の実を商人に売る約束をしたが、翌日、一夜の風で実が全部落ち約束を破談にした。それで落柿舎と名付けられたという。

常寂光寺

400 年余前、本圀寺の 16 世日禎上人の隠居所を寺に改め、この地が常寂光土の如しということから寺号とした。現在の保津川下りの乱調のあった所、紅葉の名所。

大河内山荘

昭和初期の時代劇俳優「大河内伝次郎」が昭和 7 年から 30 年をかけて営んだ山荘。 6 千坪( 2 万u)。持仏堂・茶室・庭園・古石仏・石灯籠等を配置し回遊式庭園。嵯峨野の向こうに京都市中が、眼下に保津川の清流が・・・。

野宮神社(野々宮神社)

昼なお暗い竹藪の中、朱の生垣と石垣を巡らし黒木の鳥居と小柴垣。天照大神を祀る。本社と末社、いかにも野にあるが如し宮。未婚の内親王が伊勢に向かわれる前、一年間精進潔斎し籠られる所。

天龍寺

吉野の行宮で憤死された後醍醐天皇の冥福と南北朝の戦で犠牲になった人々の霊を慰めるため足利尊氏が無窓国師を請じ建立した臨済宗天龍寺派大本山。約 700 年前、足利尊氏により後醍醐天皇七回忌の法要と天龍寺開堂供養が盛大に行われた。往時は境域も広大、塔頭・子院も百五十ヵ寺、室町時代は京都五山の第一位であった。

小督塚(こごうづか)

高倉天皇の寵を得たが中宮・建礼門院の実父・清盛ににらまれ、嵯峨野に身を隠した所、小督を探すよう天皇の密命が下り、見つけ出された。その時の身を隠した場所がこの塚のある所。因みに渡月橋北詰に琴聴橋有り。天皇の使い仲国がここで小督が奏でる「相夫恋」を聞いたという。

嵐山頓宮

天皇の行幸も多く、川岸に行幸頓宮(仮御所)が設けられた所。

法輪寺

嵯峨野の虚空蔵。元明天皇の勅願により、僧行基が創建、木上山葛井寺(もくじょうざんかづのいでら)としたと伝えられる。中世には和泉式部や当時の女流歌人達も、またその後、空也上人も参籠、勧進によって堂塔の改造も、本尊は虚空蔵菩薩坐像、持国天・多聞天像も安置されている。毎年、 4 月 13 日に十三参りが行われる。お詣りが済んだ後の帰路、渡月橋を渡リきるまでに、後ろを振り返ると授けられた知恵が本堂に帰ってしまうという言い伝えがある。小督局塔が奥本殿後方に、小督の隠棲地と云う伝承による供養塔であろうとある。


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