奈良 済美地区社会福祉協議会
第528回

10月せいび歩こう会

春三月に続き高取は土佐路を訪ねます。南法華寺、壺阪寺の観音様の霊験に接し土佐街道の史跡や伝説に触れ、町並みに在る、多くの案山子の誘いに一時の俳諧を、と皆様をお誘いいたします。−鶴首−


日 時

10 月 9 日(日)午前 8 時 05 分 近鉄奈良駅地下東改札口前 集合

コース

近鉄奈良 8 : 26 発=(なんば行:急行)=西大寺 8 : 49 発=(橿原神宮前行:急行)=橿原神宮前 9 : 30 発=(吉野線:吉野行)=壺阪山 10 : 15 発=(バス)=壺阪寺:拝観(入山)…(歩く:ここから土佐路散策へ)…信楽寺…(遠く高取城址を望む、高取城・下御殿跡を竹藪に偲ぶ)…家老植村家・長屋門…武家屋敷(田塩邸)・高取城松の門・夢創館・街の駅・石川医院門(高取城下屋敷門)・子嶋寺山門(高取城二の門)・子嶋寺…近鉄壺阪山駅=橿原神宮前=西大寺=奈良

※土佐街道では町家の玄関先で数々の案山子が愛嬌を振って出迎えてくれます。
費用

交通費1,480円

奈良〜(近鉄 580 円)〜壺阪山〜(バス 320 円)〜壺阪寺前

壺阪山〜(近鉄 580 円)〜奈良

 

拝観料 (壺阪寺)

30人までの団体 1人600円

31人以上の団体 1人450円

51人以上の団体 1人400円

 

高取

高取城は、二万五千石の郡山城主、秀長(秀吉の弟)の重臣本田利久の居城、日本一の山城と謳われた名城。後、徳川幕府の家臣・植村家正が藩主となる。別名「芙蓉城」とも呼ばれ「巽高取雪かと見れば、雪ではござらぬ土佐の城」と謳われた名城。

この度は城下町土佐海道を、数々の案山子に迎えられて散策します。

何故土佐なのか?それは、1300年の昔飛鳥の都建設に、労役で土佐の国からここに召しだされたものの、任務が終わっても帰郷できなかった者が住み着き、故郷を懐かしんで土地の名に土佐と付けたことからこの名前になったそうです。

壷阪寺

本尊は十一面千手観音菩薩、眼病に霊験あり、奈良の法華寺は北の御寺と呼ばれ、此処壷阪寺は南法華寺と呼ばれ、創建は 703 年、今から 1,300 年余り昔、奈良の都より古い日本最初の都、飛鳥京、元興寺の僧・弁基大徳が開基と伝えられる。第 42 代文武天皇の時代と云う。

信楽寺

壷阪霊験記の主人公、お里・沢市の墓がある。在る時大雨が降り、洪水に見舞われ、里娘お里は濁流にのみこまれた。それを見た若い男は流れに飛び込み助けあげた。男はその後目を病み盲人になった。その男は按摩となり「沢市」と名乗った。お里は郷一番の美人に育ったが沢市の押しかけ女房となり主人を助けた。妻のお里が明け方になると出掛けていくのに気付き、男ができたのではと疑い妻の後をつけた。お里は観音様に縋り(すがり)滝で水垢離(みずごり)願掛けに行っていた。邪推を恥じた沢市は、目の見えない自分がいては将来お里の足手まといになると考え、満願の日にお里に隠れて滝壺に身を投げる。夫の死を知り悲しんだお里も、夫のあとを追って身を投げてしまう。二人の夫婦愛を聞き届けた観音の霊験により奇跡が起こり、二人は助かり、沢市の目も再び見えるようになった。

高取城下の屋敷

城下町、土佐堀街道添い。竹藪の辺り、高取城総門跡が・・・

植村家長屋門・田塩邸武家屋敷・高取城松の門復元・石川医院門(高取下屋敷門)・子嶋寺山門(高取城二の門)

子嶋寺

壷阪寺と双璧といわれる古刹。第 46 代孝謙天皇、第 56 代桓武天皇の病を癒した、報恩大徳により、天平勝宝 4 年、 1,264 年前奈良時代に創建される。 21 坊の伽藍を誇り大和観音霊場として信仰を集めたが、今はその影は無い。今日土佐街道は数々の案山子が訪れる人々を出迎えてくれる。

 



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