奈良 済美地区社会福祉協議会
第529回

11月せいび歩こう会

霜月の候、立冬の声聞く候となりました。今月も頑張ってご参加下さい。今は昔、京は傾城の地、島原界隈を歩きます。そして都の中心、雅の地、里内裏を巡ります。


日 時

11月13日(日) 7時50分 近鉄奈良駅地下東改札口前  集合

コース

近鉄奈良@ 8 : 18 発=(京都行:急行)=西大寺=竹田(乗換)=(地下鉄)=烏丸御池…(歩く)…御金神社…二条陣屋…神泉苑… JR 二条駅=( JR )=丹波口…島原西門址…角屋・旧曲輪内(散家)・置屋(館)・お茶屋(揚屋)…東大門…松尾大社のお旅処(朱雀・西七條)二か所…権現寺…水薬師寺…若一神社(旧清盛西八條殿址)…西大路=( JR )=京都駅=(近鉄)=近鉄奈良

費用

交通費  合計1,760円

奈良〜(近鉄・地下鉄・ 880 円)〜烏丸御池 

二条〜( JR ・ 140 円)〜丹波口

西大路〜( JR ・ 120 円)〜京都〜(近鉄・ 620 円)〜奈良

 

 

御金(みかね)神社

日本神話に登場する最初の夫婦神、伊邪那岐(いざなぎ)・伊邪那美(いざなみ)の御子、天照大神・月読神・金山毘古の三神を祀る。殊に金山毘古はこの社の主神、天の神の第一位、金属(鉄)の神、鉱山の神、従ってお金の神、機械・金属の道具等の神、又転宅や建築の神でもあり、広くは、方位のことや旅行の安全にも信仰がある。

二条陣屋

小川平太郎氏(先祖は秀吉の家臣)の住居で陣屋的機能を持つ。京の都に屋敷を持たない大名は上洛の砌(みぎり)、一行の宿舎として利用した。そのため大名屋敷の構造を持ち、もし忍び等が侵入しても対応できる仕掛けが施されたからくり屋敷でもある。邸内には 12 ヶ所の井戸があり、建物にも随所に防火の備えがある。

神泉苑

平安京造営の時、御所の庭として造られた。常に清泉が湧く南北 200 m東西 200 mの池を中心に、周囲林苑、季節の行事、御霊会等に使用される。家康が二条城を築城する時、神泉苑の敷地の大部分が城内に取り込まれて著しく規模を縮小した。

島原遊郭界隈

方 200 mの地。日本最初の公許された廓。昭和 33 年売春防止法により廃止、今は揚屋(遊女を招いて遊興させる家「角屋」他)や置屋(女郎や芸者を抱える家)など遊興の場が幾らも無く、町は色町らしさを失い、昔の面影は無くない。西大門・東大門にその影を止める有様。

松尾大社のお旅所

朱雀・西七条に二か所ある。松尾大社は嵐山の南、松尾山の麓、桂川に架かる松尾橋の西正面に祀られている。松尾七社(月読神社・櫟谷社・宗像社・四之社・大宮社・衣手社・三宮社)合同の神幸祭(おいで)の際には、七社のお神輿(一社は唐櫃)を、松尾橋から船渡御し途中から陸路となる経路を経て、松尾大社西七条御旅所へとお迎えし、 3 週間ほどそのままお過ごしいただきます。神幸祭から 21 日目の還幸祭では、西七条御旅所を出発し、朱雀御旅所での神事を経て、帰って行かれます。

権現寺

愛宕権現の勝軍地蔵を祀る。朱雀の権現堂と世に呼ばれた。元は奈良元興寺の勝軍地蔵尊が何故此処に・・・。おそらく、南都焼き討ちの際、元興寺は焼かれ、地蔵は転々と移され此処に・・・との説がある。表門西側には源為義の塚がある。この塚は元京都駅西側にあったが駅拡張の際、中央卸売市場の地に、更に市場拡張によりこの地に移された。

水薬師寺

現在は幼稚園、寺の面影は無い。単立寺院。寺域に岩井(石井)が一昔前には在ったが今は幼稚園のプールの下に埋没、寺伝によれば、福井県若狭の国から奈良の二月堂にお水取りの水が送られているが、この寺の門前、東西の道の下がその水路という。それでこの寺に水が湧出していたのであろうと。

若一神社

祭神は紀州熊野の一の神、若一王子。奈良時代光仁天皇の御代、威光上人が唐より来朝、天王寺に住し、紀州熊野に詣でた時、世に迷い苦しむ人があれば救わんと、若一王子の御神体を笈に背負いこの地に来られた、森の中の古いお堂で一夜を明かした時、御神意があり、お堂内に安置し、鎮座願い祭祀された。その後、清盛がこの地に来た時、お告げがあり「その霊を世に出し祀れ」との命通りにすると、土中より若一王子の御神体現わる 。清盛は社を建て鎮座したところ、翌年天皇より太政大臣に任ぜられた。社前にある楠の大木の根方に楠大明神が祀られている。

 



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