奈良 済美地区社会福祉協議会
第531回

1月せいび歩こう会

新年あけましておめでとうございます。本年も変わらぬ御厚誼のほど、よろしくお願い致します。


日 時

1 月 6 日(金) JR 奈良駅二階改札前 午前 8 時 15 分集合

コース

JR 奈良@ 8 : 34 発= JR (高田行)=京終駅 8 : 38 発=三輪駅 9 : 02 着…(歩く)…三輪明神…活日神社…狭井神社…市杵島姫神社…展望所…久延彦神社…大直禰子神社(若宮)…三輪駅=天理駅…天理教本部…おせち場(おせち拝受) 自由解散

※おせちは何杯でもお代わりを。但しお餅の持ち帰りは厳禁です。

費用

交通費740円

奈良・京終〜( JR320 円)〜三輪〜( JR210 円)〜天理〜( JR210 円)〜奈良・京終

 

 

大神(おおみわ) 神社

 

(三輪明神)大和盆地の東、標高 467 mの三輪山の麓にあり、本殿は無く、山をご神体とする。中腹にこの社独特の三ツ鳥居を通してご神体のお山を拝します。国造りの神、医薬・造酒の神、を祀る、日本最古の神社。大和の国の一宮で在らせられる。主神(大物主神)は白蛇、拝殿前、南側にある杉の古木の根方近くに、蛇が出てくると云われる穴が開いており、参拝者が清酒を供されます。

「三輪の白蛇伝説」三輪山の西北、 JR 桜井線・巻向駅の近くに箸墓古墳がある。実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁より、第 7 代孝霊天皇の皇女・倭迹迹日百襲媛( やまとととひももそひめ) の墓に認定されている。日本書紀によると 百襲姫は大物主神の妻となったが、大物主神は夜にしかやって来ず昼に姿は見せなかった。百襲姫が明朝に姿を見たいと願うと、翌朝大物主神は櫛笥の中に小蛇の姿で現れたが、百襲姫が驚き叫んだため大物主神は恥じて三輪山に登ってしまった。百襲姫がこれを後悔して腰を落とした際、箸が陰部を突いたため百襲姫は亡くなってしまいました。葬られた墓を人々は「箸墓」と呼んだという。そんな物語からその墳墓は、「箸墓古墳」と云われます。

活日(いくひ)神社

祭神は高橋活日命。本社の祭神・大物主の命(大国様)に供える酒を造った杜氏の祖神を祀る。小さな社が石段上に祭祀される。

狭井(さい)神社

薬水の湧き出る井戸がある。この神水は万病に効くと云う。霊験あらたかな神、荒魂の大神を祀ります。

社の南側に三輪山の登山口があり、許可を頂いた登山者が三々五々登る姿が見られます。

市杵島姫(いちきしまひめ)神社

安芸の宮島の主祭神。印度の神、弁財天の社が池の中央に浮かぶ島に祀られる。前の道の分岐点に山の辺の道と記した看板に狭井神社とそこまでの距離が記されている。狭井神社とは元伊勢の社を云う。伊勢の内宮、皇太神功が、元此の地に奉られていた、それで元伊勢と云う。

展望台

石段を登る少し高い所に展望台が在り 180 度視野が開ける。大和盆地(奈良方面を除く)樫原辺り迄一望できる。大和三山・そして西に生駒・二上・葛城・金剛と遠く近く山並みが続く。三輪明神の一つの鳥居が手前に大きく浮かび立つ。昭和天皇もご参拝になられた。高さ 32 m余り、重さ 18.5t の鋼板製だ。

久恵彦(くえひこ)神社

祭神は田の中の案山子(かかし)、山田の曽富謄(そぼと)「朝から晩までただ立ち通し、歩けないのか山田のかかし」の歌にもある案山子です。どこへも行けず、一生同じ場所にいる案山子だが世の中のこと全てを知る知恵者。ある時大国主の命が蛾の羽のような着物をまとった、小さな神に出会われ、「あの小さな神は誰か?」と久恵彦に尋ねると「少彦名という神です。」と答えた。その後、大国主の命は少彦名の神と力を合わせて日本の領土、大八洲(おおやしま)を造られた。それが「国引き」と云う。古代史にそうあります。

大直禰子(おおたたねこ)神社

三輪明神の若宮社。本社三輪明神の大物主(大国神の子孫)で歴代の宮司を務めた魂を祀る社であります。

 



もどる