奈良 済美地区社会福祉協議会
第532回

2月せいび歩こう会

如月の候、立春といえども、寒さ一入(ひとしお)の季、元気なお姿拝するを楽しみにお待ち致します。


日 時

2 月 12 日(日)近鉄奈良駅地下東改札口前 午前 8 時 00 分集合

コース

近鉄奈良 8 : 18 発=(京都行:急行)=西大寺=丹波橋(乗換)=(京阪)=墨染…(歩く)…墨染寺…欣浄寺…撞木町遊郭址…近鉄伏見駅=(近鉄)=丹波橋…大黒寺…金札宮…本教寺…西岸寺…寺田屋…長建寺…中書島=(京阪)=伏見桃山=(近鉄)=奈良

費用

交通費1,570円

  奈良〜(近鉄・京阪 710 円)〜墨染

  近鉄伏見駅〜(近鉄 150 円)〜丹波橋

  中書島〜(京阪 150 円)〜伏見桃山〜(近鉄 560 円)〜奈良

寺田屋入館料 : 団体料金  360 円

 

 

墨染寺(ぼくせんじ)

日蓮宗桜寺(さくらでら)と呼ばれ、秀吉の姉、瑞竜尼は日秀上人に深く帰依し、秀吉も上人を厚遇、始め深草に建立、親しく訪れた。本堂前の桜は平安の歌人上野峯雄(かんつけのみねお)が昭宣公基経の死を悼み「深草の野辺の桜し、心あらば今年ばかりは墨染に咲け。」とうたったことから墨染色に咲くようになった。これに因んで墨染寺と呼ばれ現在の木は何代目か・・・・・花は小さくうす墨色の花が咲く。

欣浄寺(ごんじょうじ)

曹洞宗。本尊は「伏見大仏」と呼ばれ丈六の毘廬舎那仏、傍らに釈迦と弥陀と大日の三如来合体仏。異相の阿弥陀坐像。道元禅師石像が安置されている。この地は昔、深草少将の邸宅があった場所で、此処から山科の小野の小町邸へ百夜通ったと伝えられている境内の池の傍に少将・小町への通い道がある。訴訟をする者は「この道を通ると願いがかなわぬ。」と避けて通ったと云う。

撞木町遊郭址

「志ゆもく町廓入口」としるした石標が、お寺の撞木(しゅもく)に似た通りからその名が付いた。慶長元年、約 400 年前は今の位置より少し西側に廓はあった。後この地に移った。撞木町廓には大夫はいなかった。赤穂浪士・大石良雄は山科に隠棲中当廓の笹屋に来遊、密議をしたといわれる。それに因んでこの廓で謀議をすれば何事も成就すると云われ、来遊する者が多かった。戦後売春防止法により廃止となる。当時お茶や九軒、接客婦 40 名の小さな廓であった。

大黒寺

真言宗、真如法親王の開基。薩摩藩主・島津家の懇望で祈願所となり、一般に「薩摩寺」と呼ばれ、墓地に寺田屋騒動で斃(たお)れた薩藩九烈士墓、又木曽川改修工事を幕命により行った同藩家老は工事費の出費が多額であった責任を取らされ切腹をした。その家老の墓もある。

金札宮

天太玉命(白菊明神)を祀る。昔「白菊」という老翁あり、ある時「我は天太玉命である。帝都を守護するため此処に住むこと久しい。」とい一首を残し化し去った。清和天皇は、その神徳を称えて金札に白菊大明神と印し社に納め、金札宮と号する旨を記された。社殿は天平勝宝二年創紀と云われるが、奈良時代 4 代目孝謙天皇の御代又は、その後 9 代目清和天皇の御代、あるいは阿波徳島県より勧請された社とも云われ、定かではない。拝殿前に樹齢千年を数える、天然記念物の「もち」の樹がある。白菊の井は今はない。此の井泉は神格化された金札宮であろうとある。

本教寺

観光寺院としては拝観するほどではないが、祀られる神様は、「秋山白雲霊神」で、珍しい痔の神様を祀る小社があるので訪れることにしました。

西願寺(油掛け地蔵)

天正八年(420年前)油売りがこの地を通りかかった時、此の寺の門前で油桶をひっくり返し、油を流してしまった。しばらく呆然としていたが、仕方がないとあきらめて、残った油をそこにおられた地蔵尊像にそそいで立ち去った。このことがあってから商運に恵まれ大金持ちになったという。それからは、祈願のあるものは、油をそそいで祈ると、霊験があると云われ世の信仰をあつめた。嵯峨の油掛地蔵と共に特異な地蔵信仰の一つである。奈良の古市のも大きな立姿の油掛け地蔵が在ります。

寺田屋

昔の船宿。表軒先に「旅籠(はたご)」と印す軒行燈(のきあんどん)が掛かっている。京都三条小橋の「池田屋」と共に、維新史跡の一つ。文久二年、薩摩藩士有馬新七等三十余人が、藩主島津久光の東上を機に公武合体派の公卿や京都所司代酒井忠義等を殺害することを計り、寺田屋に集結。これを知った久光は側近を使わせて決起を止めようと試みたが、急進派の彼らは容易に聞き入れず遂に乱闘となり有馬新七を含め六人が死亡、他の二名は重傷を負ったが、この二名は後切腹した。世に寺田屋騒動と称される。この事件で各藩の倒幕急進派を刺激するに至った。東側の旧寺田屋址に薩摩九烈士碑と恩腸記念碑がある。

寺田屋ではもう一つ、坂本龍馬襲撃事件がある。新選組が宿を囲んだ時、いち早く気付いた女将( お龍)は風呂から裸のまま裏階段を 2 階へ駆け上がり投宿していた龍馬らに危機を知らせた。そのおかげで龍馬は無事逃げ延びた。

長建寺

花柳界の御寺。伏見の奉行建部が深草から移した御寺。本尊は音楽を司る弁財天。此処中書島遊郭の女郎の人気を集め、日々参拝された御寺であった。

 



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