奈良 済美地区社会福祉協議会
第534回

4月せいび歩こう会

二月歩こう会で訪れた伏見の欣浄寺(深草の少将、旧宅跡)でしたお話

少将が小野小町に言い寄ったところ、小町曰く「私に想いがあるなら百夜、私の住まう深草へ通って下さい。そうすれば、貴方の想いを叶えましょう。」と応えた。そこで少将は毎夜通い、百夜目に小町の屋敷入口で倒れ生涯を閉じた。・・・

今月はその地、深草を訪ねます。また、四月の桜にちなみ、秀吉が一世一代の花見を催した醍醐寺も訪ねます。

日 時

4月2日(日)JR 奈良駅 2F 改札前 8時10分 集合

コース

JR 奈良 8 : 28 発=(京都行:みやこ路快速)=六地蔵駅…(歩く)…大善寺(境内地蔵堂)…地下鉄六地蔵駅=(地下鉄)=小野駅…栢木(かやのき)・小町ゆかりの巨木…隋心院…醍醐天皇陵…朱雀天皇陵…長尾天満宮…三宝院…下醍醐寺…善願寺…一言寺…一言寺バス停=(京阪バス 22 ・ 22A 系統:京阪六地蔵駅行き)=六地蔵駅=( JR )=奈良

費用

合計 3,390 円

交通費   計 1,640 円

 JR 奈良〜 JR 六地蔵駅  片道 580 円×= 1,160 円 (往復)

 地下鉄六地蔵駅〜小野   260 円

 一言寺バス停〜 JR 六地蔵駅 バス 220 円

拝観料   計 1,750 円

  隋心院  500 円  ( 団体料金: 450 円 )

  三宝院と醍醐寺(セット料金) 1,500 円  ( 団体料金: 1,300 円 )

食事

弁当・飲み物・敷物ご持参下さい。(食堂・売店ありません)

 

 

隋心院

(ずいしんいん)

真言宗善通寺派門跡。小町縁の寺(小町旧宅)仁海僧正の建立、仁海僧正亡き母が牛に生まれ変わったのを夢に見たため、その牛を探し出して養った。その牛の死後、その牛の皮に曼荼羅を描き、本尊としたことから、曼荼羅寺と呼ばれた。その五世が子房を建立したが兵火で焼失した。後再興され今に至る。旧小野家の宅跡。小町への恋文の張り像がある。境内に化粧部屋、井戸、文塚化粧橋、少将百夜通いの道跡等もある。二月に訪れた伏見にも少将の小町通いの道があり、また奈良の法華寺にも小町への恋文を張った小町像があります。

醍醐天皇後山科陵

第 60 代宇多天皇第一皇子、 13 才で即位、 46 才で没、山陵は無く平地に卒塔婆三基、空堀を巡らせただけの陵。

朱雀天皇陵

第 61 代天皇、醍醐天皇十一人目の皇子、 8 才で即位、在位 16 年、その後 30 才で崩御、御陵は円丘。

長尾天満宮

醍醐天皇が道真の怨霊をなだめるため勧請した。道真は没後北野に祀られたが、在世中この地を自分の墓所とすることを望んでいたので、改めて此処に再祀された。さぞ霊も心安んじたのでは・・・。社の細部に豪華な桃山風彫刻が施されています。

三宝院

醍醐寺塔頭の一つ。十四世座主(円主)が創建、山伏の修験道当山派の総本山。醍醐寺の座主となり、大いに勢力を得たことから、この三宝院の門主が本山の醍醐寺の座主となり栄えた。秀吉の庇護も得られ諸堂の再建もなった。

下醍醐寺

真言宗醍醐派総本山。醍醐の山上、山下にわたり多くの諸堂が建ち並ぶ醍醐寺。理源大師が創建。寺の名は理源大師が真言布教でこの地に来た時、白髪の老翁が現れ、落葉の下から湧き出る水を汲み飲み「あゝ醍醐味なるかな」と嘆賞した。そこからこの寺の名とした。今なお水は湧き出ている。

善願寺

恵心僧都が一宇を建立し一体の地蔵尊を安置した。像高 2.7 m、右手を延ばし、左手には宝珠を持った巨像。月の下(裳もすそ)の結び目はあたかも腹帯のようなことから、腹帯地蔵とも呼ばれる。

一言寺(金剛王院)

少納言信西のむすめ、阿波内侍(宮中の内侍所に奉仕する女官)が清水寺本尊の夢告によって建立したと伝えられる。本堂の本尊・十一面観音は一心に祈れば言下に諸願がかなうと云われ、それが寺名の起因。内侍像が境内に安置され、桜や紅葉が多く植えられている。

六地蔵

平安時代の歌人であり学者でもあった小野篁(たかむら)が一度息絶えて冥土に行き、生身の地蔵菩薩を拝して甦った後に、一本の大木から六体の地蔵菩薩を刻んだ、その一体が大善寺の境内、地蔵堂に安置される。毎年 8 月 22 日・ 23 日の六地蔵巡りには多くの人々の参詣がある。像高 1.6 m右手に錫杖、左手に宝珠を持つ等身像。

 



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