奈良 済美地区社会福祉協議会
第544回

2月せいび歩こう会

寒さもひとしお身に染む候、然し野に咲く水仙は早、目を覚ます頃。

この月は奈良の西部、尼ヶ辻から菅原の里、そして西大寺へ2km余りの道を歩きます。

ご参加ください。

日 時

2月4日(日)

コース

近鉄奈良駅から乗られる方  (六条山行)近鉄奈良駅前道路 南側8番バス乗り場8時43分発

JR 奈良駅から乗られる方  (六条山行) JR 奈良駅東側 南6番バス乗り場8時47分発

 

=(バス)三条大路五丁目(下車して西へ)…(歩く)…尼ヶ辻交差点西南側角(地蔵堂)…伏見ヶ崗…垂仁天皇陵・陪塚(大小数か所あり)・皇大神社…喜光寺…菅原天満宮…菅原道真産湯の泉(天神堀)…西大寺(石落神社)大茶盛 解散(ご自由にお帰り下さい)

費用

交通費 

 往路 近鉄・ JR  奈良駅〜(バス  210 円)〜三条大路五丁目

 帰路 西大寺駅〜(近鉄 210 円)〜奈良

拝観料 

 喜光寺  500 円(但し 老春手帳提示の方は無料)

                   西大寺拝観料  1,000 円 (大茶盛り菓子付き)

 

尼ヶ辻地蔵

地蔵尊(地蔵菩薩)とはお釈迦様が亡くなられてから、弥勒菩薩が現れるまでの間、全ての生き物をお救い下さる菩薩さまです。こちらの地蔵菩薩立像は鎌倉期の作で、右手に錫杖を持たず右手を垂らして与願印、左手は胸前で宝珠を持つ古式の印相の像です。奈良には杖を持たない地蔵尊がもう一体、平城宮跡の北側西四ツ辻の中央にあり ます。

尼ヶ辻伏見の崗(おか)

東大寺大仏建立の時、老翁(伏見の翁)に化身した文殊菩薩が、大仏創建から開眼まで、絶食・無言でこの崗に伏し祈られたと云われています。大仏開眼の折には、「鯖売りの翁」として現れ、また、華厳会(けごんえ)の時には講師を務められたと云われます。此処は菩薩回向(えこう)の霊地です。

垂仁(すいにん)天皇陵

11代垂仁天皇の墓。御陵のそばに浮かぶ小さな島は家臣であった田道間守(たじまもり)の塚(陪塚<ばいちょう>・墓)があります。

喜光寺

行基菩薩(奈良時代に架橋や土木事業等社会に貢献、大仏造立にも貢献した僧)の創建。伏見の翁とも縁のある寺で菅原寺とも呼ばれます。東大寺大仏殿の雛型として建てられたので、「試み(こころみ)の大仏殿」とも呼ばれています。

菅原天満宮

天穂日命(あめのほひのみこと)、野見宿祢命(のみのすくねのみこと)、菅原道真公(すがわらみちざねこう)を祀ります。菅原道真は野見の宿祢の子孫。野見の宿祢は天穂日命の子孫で出雲の出身です。

天神堀 菅原道真の産湯の泉。この土地の地名をとって菅原氏(元は土師氏)と改名されました。

西大寺

奈良では東大寺に次ぐ大寺。創建は天平宝字8年(764年)、9月11日に藤原仲麻呂(恵美押勝)の反乱が発覚、孝謙上皇は勝利を願い、四天王像を造立することを誓願されました。仲麻呂は乱を起こしたが、9月13日に近江にて誅殺される。翌年(765年)孝謙上皇は再び天皇(称徳天皇)となられ、四天王像を鋳造されました。それを皮切りに西大寺を造営、東西11町・南北七町という広大な寺域に百十数宇の堂塔がそびえる大伽藍であったようです。

※石落(いしらく)神社   西大寺の鎮守社。東塔建立の時の心礎(心柱の礎石)の石で破却の際欠けてしまったので、その石の祟りを畏れ、御寺の守護神として祀られました。

※大茶盛式由来   延応二年(1239年)、778年前叡尊上人が八幡神社に献茶した余服を民衆に振る舞われたことが始まりです。

 



もどる