パレスチナ点描

 バスで移動し住宅地に到着すると、各ホストに率いられてグループごとに各家に行く。バッセム君の家は周囲と比較するに私の目では中の下ぐらいのものだろう。家の入口はカーテンが掛けられていた。入口を入るとすぐに居間がある。シャワー、トイレ部屋のほか数部屋があるのだろうが、奥行きはわからない。同居人は母親と幼い姪との3人らしい。父親と兄は戦争で亡くなった様子だが確認するのは忍びなかった。
 ホストである21歳になるバッセム君とその友人3名、そして我々7名の客人で深夜遅くまで談話交流した。お互いの拙い英語での交流である。バッセム君が主導的なので話題の中心はパレスチナ建国、イスラエルの横暴ぶりの話である。インティファーダー(民衆蜂起)で左脚太ももをイスラエル兵の銃弾が貫通した時の話、イスラエルはユーフラテス河とナイル河に挟まれたエリアを征服するまでは満足しないし、そのやり方の汚さを熱く語った。予備知識と会話力があればもっと有意義だったのだが、残念だ。

 中年男性3人は12畳ほどの大きさの部屋に寝た。その部屋のひとつの壁には毛布が一面いっぱいに積重ねられていた。難民時代の姿を彷彿とさせた。残念ながら写真には収めなかった。今回の旅で1000枚以上の写真を撮ったのだが、思い出や記録として会心のものはほんの10枚程度である。それらは名所旧跡というより、なんの変哲も無い日常の一風景であるというのが面白い。次回にまたチャンスがあれば、経験を生かそう。
 夜中に苦しんだ。腹痛が起こり、下痢吐き気の連続であった。トイレに駆け込むが、紙は見当たらないし、トイレの使い勝手もよく分からない。失礼かもしれないが、このトイレも入り口カーテンの右奥にあった物置も写真に撮らせてもらうべきだった。

住宅地の一角

玄関先

居間

2 ガザの民家にて