そしてその夜。
それは初めての、二人の夜。
いつもと変わらない筈なのに、なんだか気恥ずかしくてぼくは一人で風呂に入り、
母上が新調してくれた夜着を着て寝室に戻った。
いつも通りの青いパジャマのユーリが、ベットに転がって何かを読んでいた。
いつも通りの光景なのに。
なのに。
「いつも通り、なのにな。」
「ん?ヴォルフ、どうした??」
「いや、なんでもない。」
ベットに横になっているユーリの横に転がった。
「何を見てるんだ?」
「ん〜?今度の結婚式の予定表。」
「・・・今日は、まだ考えなくていいじゃないか。」
紙を取り上げ、サイドテーブルに放り投げる。
せっかく二人が『伴侶』になった初めての夜に、
紙切れごときにユーリの視線を奪われているのが悔しくて。
ユーリの首に腕を回し、ぎゅうっと抱きついた。
「でもなぁ〜、足りないものとかあって滞るの嫌なんだよ。」
そういいながらも、ユーリの腕はぼくの腰に回される。
触れ合う暖かさが、気持ちいい。
「分かってる。地球の式を挙げるのがお前の夢だったのだろう?」
そういってほんの少し身体を離し、漆黒の瞳を見つめた。
ユーリの気持ちは良く分かっているはずだった。
だってこの窓問いこそ、ぼくが夢見ていた結婚式だったのだから。
「お前が望んだドレスももうすぐ出来上がる。ベールは兄上が編んでくださっているそうだ。」
「グウェンダルが?本当に?」
「あぁ、執務もお忙しいのにそれは熱心に作ってくださっているそうだぞ。」
兄上の事を想像でもしているのか、ほんの一瞬視線を上げてから、
ユーリはぷっ!と吹き出した。
「それから式場の手配も済んでいるそうだし、今々慌てる事など無いだろう?」
「う〜ん・・・それもそっか!」
少し安心したように笑うユーリの表情を、上目使いで見つめた。
ぼくの視線に気付いたユーリが、片手でぼくの頬を包み、
額と額をこつんと押し当てる。
「なんか、夢みたいだ。初めて会った時にはこんなふうになるなんて、
想像すらしてなかったよ、おれ。」
「そうだな、お前は随分と『男同士』をカサに着て、はぐらかしてくれたものな。」
「・・・意地悪言うなよ〜。確かに今考えれば悪かったとは思うけどさ。」
「過去は、もういい。これからは、もうお前を逃がさないからな。」
「逃げないよ。でもなに?首輪でもつけて、ヴォルフに縛っとく?」
今まででは考えられないがぼくの独占欲丸出しの言葉にすら、
ユーリは嬉しそうに笑ってくれる。
そうして僕の頬に口づけようとそっと顔を近づけたところで、
突然大きな声で叫び声を上げた。
「しまった!!」
「ユーリ?どうした??」
「まずい、まずい、まずい!ひじょ〜に、まずい!!」
ベットから飛び降り、部屋を歩き回りながらユーリはぶつぶつと何かを呟いている。
「落ち着けユーリ!一体何が・・・」
「あぁ・・マジでどうしよう。_____あっ、そうだ!村田だ!」
ぼくの呼びかけも聞こえないのか、ユーリはしかと顔を上げ、部屋を飛び出していく。
「待てっ!!!待ってくれ、ユーリ!!!」
「駄目っ!!!ヴォルフは、待ってて!」
連れ立って飛び出そうとしたぼくをものすごい形相で制すると、
ユーリはそのまま闇の中へと駆け出していった。
そしてそのまま、帰っては来なかった。
大きな寝具の上に、小さく身体を預けて、差し込む朝日を見た。
朝だ。
ユーリ?
ぼくらが始めて迎える、二人の特別な朝だぞ。
そういってぼくはユーリの頬に口付ける、はずだった。
・・・初めての朝に、おはようの口づけを交わすのが、ぼくの夢だった。
なのに。
初めての夜に、そして朝に、ぼくはたった一人で捨て置かれた。
朝日が射して、目覚まし鳥の鳴き声が響く。
三番目覚まし鳥が鳴く頃には、必ずやってくるコンラートすら、今日は来ない。
メイドたちが声をかける様子も無いのを見て取ると、
ぼくは心の中で自嘲気味に呟いた。
皆・・・・一体、何を期待しているんだ?
この城の何処にも、ユーリはいない。
あの後ぼくは夜通し探したのだから。
ユーリの様子にしばし怯んだぼくだったが、我にかえりユーリを探して、
裸足で必死に城内を駆け回った。
一瞬先まで甘い二人きりの時間だったから、
一体何がユーリをあんなに焦らせたのか考えても全く分からなくて、
ユーリが部屋を飛び出す前に「村田」といっていたのを思い出し、
今日は血盟城に泊まっていた大賢者の部屋にも行った。
なのに、ユーリだけでなく、大賢者も何処にもいなかった。
重たい不安が心に押し寄せた。
それでも彼が「待て」と言ったから、部屋に戻って今まで待っていたけれど。
ユーリは帰ってこなかった。
太陽が真上に昇り、ほんの少し傾きを見せた頃、
ドアはようやく静かに開かれた。
「ヴォルフ。」
けれど現れたのは、ユーリではなく。
その声は僕の兄であり、そしてユーリの名付け親の声だった。
「・・・ユーリを待っているのかい?」
「あぁ・・。」
「ユーリは、地球に帰られたよ。」
なんとなく予想はしていた言葉だったが、聞かされるとやはり辛かった。
「・・・あぁ。眞王のご意志で飛ばされたのでは、ないのか?」
「あぁ、今回は陛下のご意志だ。」
「どうして?」
「え?!」
思わず出たぼくの言葉にコンラートは、常の彼には珍しく驚いて一瞬口を噤んだ。
「ヴォルフ・・陛下から何も聞いていないのか?」
コンラートの言葉に違和感を覚えて、問い掛ける。
「お前は、何か知っているのか?コンラート?」
「え・・、あぁ、大賢者のところに行かれる前に寄って行かれて・・」
「やめろっ!言うなっっ!!」
その言葉に咄嗟に耳を覆った。
どうして?なぜ?
ぼくには行き先も理由も何も残していかなかったのに、
どうしてコンラートには伝えていった?
どうして?
ぼくには言えない事なのか?
何一つ言葉を返してくれることのない、愛しい人に必死に呼びかける。
教えて、ユーリ。
せめて、たった一言。
この不安を消してくれる、優しい言葉を。
「ヴォルフ、陛下を信じて。彼は誰よりも深くお前を愛しているよ。」
ふいに掛けられたコンラートの言葉は、思わず寄りかかりたくなるように優しかった。
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