誰が為に鐘が鳴る

 

 

それから約1ヶ月。

彼がこちらに戻る事は無かった。

それでも確かにぼくは魔王の伴侶になった。

そしてそれは眞魔国全体の周知の事実になった。

けれども同時に、最初の夜に捨て置かれた事も、皆に知れ渡っていた。

 

ユーリ不在の日々。

地球に帰った理由はコンラートにも聞かなかった。

話して貰えないものを聞くのは、怖かったから。

静かな日常。

だがその裏では、結婚する前よりももっと辛い日々が続いていた。

 

贈られたお祝いの手紙に自筆での返事を書くようにとの兄上からの言葉を受けて、

ぼくは魔王のプライベートルームで手紙を書いていた。

静かな自室での仕事。

それはユーリのいきなりの地球帰還後のぼくの様子をコンラートから聞いた兄上の、

心遣いだとすぐに気付いた。

本当なら虚勢を張ってでも仕事に出るべきだったのだが、

追いつかない気持ちをもてあまし気味な今、その好意に素直に甘える事にした。

だから殆ど尋ねてくるものはいないのだが、その日は急にドアが開かれた。

「おやおやこれは、フォンビーレフェルト卿!いや、王妃殿下とでも、お呼びした方が宜しいかな?」

意地の悪い笑みを浮かべ、十貴族の誉れある名を持つ男はずかずかと部屋に入ると、

机に向かうぼくを上から見下ろした。

こんな気持ちの時に会いたい相手ではなかったが、

精一杯胸を張り、笑顔で挨拶をする。

「ごきげんよう。本日は陛下はこちらにはお戻りではないのですが?」

「それは残念。陛下のご結婚のお祝いを述べに参ったと言うのに。」

「それでは私から陛下にお伝えしましょう。」

この男がぼくにいい感情を持っていないことは知っていた。

だからなるだけ早く、ここから追い出してしまいたかったのだ。

だが男はいっそう作られた笑みを深くして、こう言った。

「『純潔の王妃殿下』」

その言葉が意味するものに思い当たり、思わず目を見開いて相手を見つめた。

「あなたのあまりの麗しさに陛下もお手を差し伸べるには至らなかったようだ。

初めての夜の帳すら、隠す事の出来ない美貌の王子よ。」

歌うように続けられる侮蔑の言葉が、胸に刺さる。

「その瞳も、頬も、唇も、陛下の為に開かれているはずだのに、それを受け取らぬとは、

陛下も存外勿体無い事をする。いや、それとも・・・」

笑わぬ瞳と歪んだ唇が目に焼きついた。

「陛下が欲していらっしゃるのは、あなたの美貌や愛ではなく、あなたのお持ちの血縁か?」

怒りで目の前が真っ赤に染まる。

確かにあの夜、ぼくはひとりぼっちだった。

愛を語る事も、共に寄り添う事もしなかった夜だったけれど、

でもぼくには胸を張って言える事がある。

宴のあとたった二人で踊ったチークタイム、そして、初めての口づけをして、

ユーリはぼくを愛していると言ってくれた。

それは紛れも無い事実。

何も知らない男に汚されていい思い出ではない。

けれどここで事を荒立てても、何一つ利は無い。

必死に、怒りで震える声を抑え、平静を装って応えた。

「確かに。陛下が欲していらっしゃるのは、私のこの身でも愛でもないのかもしれません。

なぜなら常々陛下が欲していらっしゃるのは、この国の平和な姿ですから。

けれど、ユーリという一個人の男の思いは、また別のところにあるのでしょう。」

できるだけ凛として応えたつもりだった。

男はしばし言葉を止めると「それはそれは・・。お幸せなご様子で。」と捨て台詞吐くと、

あとは下卑た笑いを残して去っていった。

 

シュトッフェルを始め、前魔王時代に栄華を極めた貴族たちの中で、

新王ユーリの政権に携わる事が出来なくなった者たちにとって、

ぼくは厄介この上ない存在だった。

まずユーリがぼくを伴侶にした事で、ユーリと姻戚関係を結ぶ事が困難になった。

その上、ぼくの兄二人がぼくの面目の為と言う理由で、

こちらの内情に詳しくない新王の護衛と摂政をかってでたため内政にも手を出せなくなった。

教育係はギュンターなので、兄二人との結束も強い。

またグウェンダル兄上とのつながりも強い、アニシナの存在も考えれば・・・。

ビーレフェルト、ヴォルテール、クライスト、カーベルニコフ。

ユーリはまず十貴族の四家を味方として手に入れたことになる。

更に前王である母上が発言すればシュトッフェルを差し置いて、

シュピッツヴェーグを動かす事が出来るし、

加えてウインコット一門と縁の深いウェラー卿が手を回し、

現在蟄居中のグランツを差し引いて考えてみれば・・。

すでに十貴族の過半数がユーリのものだ。

実際今現在の政治が成り立っているのは、こういった事が重なっているからに他ならない。

では、これを覆すには??

最も簡単な方法がある。

それは「ぼくとユーリを別れさせてしまう事」だ。

そうすれば自分の血族からユーリの伴侶を選び、側につく事も出来るし、

僕を廃する事で兄上たちをも廃する事が出来るのだから。

でも、それは、意外な形で終わりを告げた。

それはユーリが「求婚者」として、窓問いを済ませたからだ。

これはある種の政略結婚ではないのか?と疑う者たちも、

ユーリ自身に求婚者として公に立たれてしまった今、否を唱える事は出来ないし、

ぼくとの仲が決定的になり、本当ならこれで、

奴らの画策が全て閉ざされる事になるはずだった。

なのに。

ユーリはここにはいない。

そして初めての夜に捨て置かれたという話が、政略結婚を疑うもの達の動きに、

拍車をかけているのだろう。

 

僕に残されたのは、ユーリの伴侶と言う立場と、

婚約者であった頃より苛烈になる反勢力の者からの心無い言葉だけ。

「くやし、い・・・」

涙が零れた。

寝台に上り、枕の下に頭を入れて必死に声を、涙を殺した。

だって、こんなところで膝を折るわけにはいかなかった。

ユーリのためにも。

ぼくの為にも。

愛する国の為にも。

 

 

→ 10


.