そしてこの日を境に、毎日のように入れ替わりたちかわり、やってくる人の群れ。
差し出される敵意の視線と言葉だけが、雨のようにぼくに降り注ぐ。
言葉の苛烈さは日に日に強くなり、内容も・・・自分のことだけなら耐えられたが、
さすがにグレタのことを持ち出されたときには、思わず剣を抜きそうになってしまった。
それでも、耐えて、耐えて。
ひたすらユーリの帰還を、待って待って。
誰もいない自室で、叫び、泣き疲れて。
更に数ヶ月のち。
気付けばぼくは、敵意の言葉に慣れ始めていた。
やり方は簡単。
心の中でこう、呟くんだ。
『仕方ないじゃないか。ぼくは偽りの婚約者。他に何がある?』
そうするとあまり痛みも感じなくて、言葉がただ耳元を流れていく。
流れに逆らおうとするから辛いんだ。
流されてしまおう、だってぼくは、ユーリから信用されていないんだから。
結婚の発表の時だって、いきなり婚約破棄をされると思ってもみなかったし、
今度のことだって。
コンラートには話せてもぼくには訳すら話せないなんて。
そうやって思うことで、なんとか現実に折り合いをつけていた。
そんな時。
出て行ったときと同じくらい唐突に、ずぶぬれでユーリは帰ってきた。
別れたあの日と同じように、幸せそうな笑顔で。
「ヴォルフ!ただ今!!」
プライベートルームのドアがあけられ、
濡れたユーリがタオルを片手に歩いてくる。
腹部が異様に膨れているのが気にかかるが、
会いたかった彼の姿に苦しかった日々を払拭するように、心が跳ねた。
「おかえり、ユーリ。」
「ただいま!」
何してたんだ?淋しかったんだぞ?
だけど言葉にすると涙が零れそうで、
久しぶりに見る事が出来た彼の顔を見つめるだけにした。
「随分長い事、留守にしててごめん!実はさ〜・・」
ユーリは腹部のふくらみからなにやら不恰好な包みを取り出すと、
小さな箱を探し出し、ぼくの手にそっと握らせた。
「これ、買いに行ってたんだ。」
照れくさそうにそう言って箱を開けるように促す。
中から現れたのは、二つの簡素な指輪だった。
「これは?」
「婚約指輪と結婚指輪。地球では式の時に、永遠の愛を誓って指輪を贈るんだよ。」
ぼくらのために用意されたもの。
本来なら嬉しいはずなのに、なぜだろう?
ぼくの口からは予想外の言葉が吐き出される。
「・・そんなの、こっちで、用意すればよかったじゃないか。」
「そういうわけにもいかないよ。こっちだと魔王業やってるわけで、給料が出るわけじゃないんだし。」
「なぜだ?魔王も立派な仕事だろう?」
「そうだけどっ!指輪は給料三か月分が相場なんだってば。
だからちゃんと働いて、金貯めて、おれが選んで、買いたかったの!」
婚約指輪ちゃんと入るといいけど、とユーリは笑う。
嬉しそうなユーリの姿を見ているのに、心は晴れない。
いや、むしろふつふつと怒りすら湧いてきた。
「こんなものの、ために、お前は・・・」
「失礼だな!確かにおれのバイト代なんて高が知れてるし、
そんな高いもんじゃないけど、そういう言い方しなくてもっ!!!」
段々と苛ついてきたらしいユーリの姿を見ても、言葉は止まらない。
自分でもよく分からない苛つきは言葉をきつくしてゆく。
「そんなもの、いらないっ!」
「ヴォルフ〜?いい加減にしないと、俺も怒るぞ!!」
「どうして、だ?」
その言葉に、心の中の何かが壊れた。
何も知らないくせに・・・どうしてそんな事が言える?
お前がいないあいだ、ぼくは・・・。
「ヴォルフ?」
「何も・・言わずに行ったくせに・・・」
「それは悪かったって!焦ってたんだよ〜。指輪の無い結婚式なんて俺的にはありえないわけで・・・」
「急がなくても・・用意出来る、時間はあった。」
「そうだけど、思い立ったが吉日〜って言うだろ!?思い出したときにやっておかないと・・・」
「どうしてっ、あの日でなければ、ならなかったっっーーっ!?」
ユーリは訳が分からないというような顔をしてぼくを見ている。
なぜだ?なぜ分からない?
「あの日は!ぼくらが結婚して、初めての夜だったっっ!!!」
零れ落ちる涙を止める術なんて知らない。
「なのにぼくはっ、夜中いなくなったお前を必死に探したっ!
探して探して、そしてたった一人でっっ、朝を、迎えてっ・・!」
思い出す、あの日の朝の日の光を。
輝きもぬくもりも何一つ感じなかった、あの日。
「なにもあの日でなくても良かったはずだっ!あと一日!
あと一日でも待ってくれさえすれば、僕はっーーっ・・・」
胸の中の淀んだ思いが吹き出した。
「『男同士』と避けられ続けた時よりも、『口づけも貰えぬ偽りの婚約者』と蔑まれた時よりも、
『権力に尻尾を振る犬』と謗られた時よりも!!ずっと、ずっと!惨めだったっ!!」
「なんだって?」
そのユーリの声音に、しまった、と思った時にはもう遅かった。
真顔のユーリがぼくを見ている。
苦しくて悔しくて、思わず吐き出した言葉はユーリには聞かせずにいた、言葉達だった。
「何?『偽りの婚約者』?『権力の犬』?おまえが誰かにそう言われてきたっていうのか?」
問い詰められて言葉に詰まった。
吐き出した言葉は全て真実だった。
だけど、彼には決して告げるまいと思っていた言葉だったのに。
言えばユーリが傷つく。
だから黙っていよう、そう心に決めていたのに。
「・・・ずっと黙ってたんだな。おれにはそんなこと言われてる素振りさえ見せないで。」
ユーリの顔を見ればそこには怒りが満ちていて、
らんらんと輝く瞳が恐ろしくて直視できなかった。
「そ、れは・・」
「もぅいい!返せよっ、それ!!」
「あっ・・っ!」
掌の中にあった指輪のケースを奪い取られた。
ユーリが『愛の証』と呼んだ、ぼくの為の指輪。
「ま、って、ユーリ!ぼくはっ・・!」
「五月蝿いっ!!!」
振り向きもせず去ってゆく背中と、乱暴に閉められた扉を見た。
歪んだ視界の先で。
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