+ 業火の贖罪 +
「狙われているのは、幸いユーリじゃない。・・・このぼくだ。」
苦々しく思うがこれも仕方のないことだ、とヴォルフラムは思った。
婚約者であり、魔王の側近で武人である自分が、
側でユーリを守れないのは不本意なことだが、
『決して触れてはいけない4つのもの』といわれる禁断の箱が、
この世界に全て揃ってしまった今となっては、
鍵となる自分とユーリが一緒にいることはユーリを更に危険に晒すことに等しいのだから。
だからこの作戦は間違っていない。
上手く行けば、ユーリだけは無傷で逃せるだろう。
いや・・・ユーリだけは何があっても無事で逃がさなければならない。
「周りを敵に囲まれたこの状態では、生半可なことでは逃げられないからね。」
4000年近くもの魂の記憶を持つ、大賢者の言葉にヴォルフラムは小さく頷いた。
「出来るだけ食い止める。だから大賢者はユーリと一緒に地下の道を使って逃げて・・」
「何言ってるんだ、ヴォルフ!逃げるんだよ!皆で!!」
闇夜の深さの黒い瞳をヴォルフに向けて必死に叫ぶユーリに、
ヴォルフラムはかぶりを振った。
「ユーリ・・・他に方法がない。」
「いやだ!お前が囮になって、おれたちだけが逃げるなんて・・」
「渋谷・・・。じゃぁ、他に方法があるのか?」
「・・・っ!?そ、それは・・・」
言葉に詰まったユーリにヴォルフラムは小さく呟く。
「これは今考えられる最良の方法なんだ、ユーリ。」
「でもっ!それでもさぁっ!!!」
ユーリはいつでも自分のことより周りのことを考えてばかりだ、
そう思いながらもヴォルフラムは嬉しかった。
ユーリには今のままの優しい王であって欲しい。
そのことで傷つく事も多いだろうが、でも『優しさ』はユーリの良い所だから。
でも、もう一刻の猶予もない。
どうにかしてでもユーリを納得させなければ・・・。
「・・・お前は、ぼくが死ぬとでも思っているのか?」
心中は穏やかではなかったが、いつもの踏ん反りポーズでユーリを見る。
「だってっ!!」
ふぅ、とわざとらしく大きな溜息を落とすと、
やれやれとばかりに服の返しに隠した紙切れとペンを引っ張り出した。
「これに見覚えはないか?」
「これ・・・婚姻届!?ま、またぁ〜??」
呆れた声をあげるユーリを見ながら、署名欄に自分の名前を書き込んだ。
「見ろ!お前がいつまでも決着をつけないからここはあいたままだぞ!」
「お前だって今書き込んだんじゃんっ!!」
「全く・・・。ぼくが理解のある婚約者でよかったな。他のものだったら、
すでに愛想をつかしてお前の元から去ってるところだ!!」
はぁ〜・・と溜息を落とすユーリの手の中に、婚姻届とペンを置き、上から手を重ねた。
「ユーリ、ぼくに誓え。」
「は?!いきなりなんだよ!!」
「ぼくが生きて戻ったら、必ず決着をつけると。」
「なっなっ、何でそーいう展開になっちゃうの?!」
ふん、と鼻で笑って続けた。
「ぼくはお前と結婚したい。だから、お前が誓ってくれれば這ってでも戻ってきて見せるさ。」
その言葉に、ユーリははっとして急に真顔になった。
「分かった、誓うよ。俺も誓うから、お前も絶対に帰って来るんだ!いいか、これは命令だぞ!」
「・・・御意。お前が窓問いの儀式で聞かせてくれる歌を楽しみにしている。
ただユーリはへなちょこだからな。ぼくに恥をかかせないように、
しっかり練習しておいてくれよ。」
剣の鞘を払い、それもユーリに押し付けて、ぼくはドアから飛び出した。
扉が閉まる瞬間後ろからは、ユーリの声がぼくを追う。
「へなちょこゆーなっ!!!」
お前の決まり文句が、耳の中で小さく弾けた。
「ほら!歩け!!」
湿った、暗い牢獄から連れ出されたのは、何日ぶりだろう。
自らが囮になることで二人を逃すと言う作戦は、とりあえず成功しただろう、と思う。
十分な時間は稼いだと思うが、僕自身は捕らわれてしまったし、
ユーリたちの無事を確かめる方法もないので、とりあえず、といったところ。
とはいっても、大賢者がついているのだからユーリに無謀なことはさせないだろうから、
これは杞憂に過ぎないと無理やり自分を納得させた。
薄汚れたマントを頭からすっぽりと着せられ、非常に不愉快だが、
両腕は後ろ手に回され、法力の練りこまれた錠を掛けられているので、抵抗する気力が起きない。
引きずられるようにして歩きながら、刑場に引き出された。
今からぼくがどうなるのか、したり顔の兵士たちが下卑た笑いを繰り返しながら、
面白おかしく話している。
話を要点に絞って纏めるならば、ぼくはこれから多くの人間たちの目の前に引き出されて、
禁断の箱を開けなければならないらしい。
・・・こいつらは箱を開けることで起きるであろう、恐ろしい出来事を知っているのだろうか?
いや、知っていたとしたらこんな見世物を見るように、楽しげに待つとは思えない。
思考を繰り返すうちに刑台までの道に出た。
大衆の罵声や歓声が入り乱れて、ぼくの鼓膜を揺する。
飛び交う石や物の隙間から辺りを見回した。
目の前にある刑台の上には、古ぼけた箱が見える。
あれが「凍土の業火」か。
視線を上げれば、ひときわ高い場所にニヤついた顔の権力者の姿が見えて、
これから自分があんなやつらのための余興になるのかと思うと、
気分は更に不快になった。
けれどこの場から逃れるには、策はもう選べるほどはなかった。
箱を開けるというなら、僕自身にそれをさせるか、鍵となるぼくの体を使うかだが、
彼らはぼくが簡単に屈しないことを閉じ込めていた数日の間に学んでいるはずだ。
このまま首を落とされてしまえば、箱を自らの意思で操作することは叶わない。
箱が開けば、あの気持ちの悪い権力者ももろとも敵対するこの国を消し去ることは出来そうだが、
それでは制御の利かなくなった「創主」が眞魔国へ影響を与えないとは限らない。
ただもし、うまく手順を踏んで開ける事が出来さえすれば、
この場を収めて逃げおおせることも・・・。
けれどそれすら箱の力に飲み込まれないという保障はないのだけれど。
答えの見えない思考に、溜息が一つおちた。
あぁ、ユーリはもう、安全な場所まで逃げ切れたろうか?
こんな場に彼がいなくて良かったと思う。
ぼくがどんな行動を取ったとしても、
この場にいる命あるものが全て無傷で済むという事はないだろうから。
誰かが血を流せば、ユーリはきっと悲しむ。
彼の望みは、戦いのない世界を作ること。
誰もが命を脅かされることのない、そんな世界を作ることだから。
刑台の上、箱の前に跪かせられる。
ひやりとする剣の刃で顎を持ち上げられ、視線をあたりに巡らせながら、
罪状が読み上げられるのを聞いた。
でもその内容が上手く耳に入らないうちに、
ぼくはこの場にいないはずの人の姿を見つけてしまった。
「ユーリ?なぜ・・・」
逃げたはずなのに・・・と更に続けて零れ落ちそうになった言葉をグッと飲み込んだ。
人の群れの只中にいる為、瞳も髪も色を変えてはいたが、
別れたあの時と変わらぬ美しい人がそこにはあった。
『ヴォルフ・・!!』
愛しい人の唇がそっと動いて、ぼくの名前を呼ぶ。
「ユー・・?!」
思わず呼びかけそうになったそのとき、視線の端に四方から兵士が集まる姿が見えた。
目的はわかっている。
彼らが捕まえようとしているのは、ユーリだ。
眞魔国の正統な王であり、もう一つの箱の鍵を有するもの。
彼らにとっては、最高の獲物だろう。
そう理解した瞬間、ぼくの体は意思とは違う場所で勝手に行動を開始した。
「愚かな人間どもよ!!」
周りにいた兵士を叩きのめし、叫ぶぼくにユーリを捕らえようとしていた兵士も
大声で喚き散らしていた大衆すらも、そしてユーリすらも一瞬で静まり返った。
「このようは無礼な真似をしてただでは済むと思うな!!
ぼくを一体誰だと思っているのだ!!ぼくは眞魔国第26代魔王の嫡子であり、
我らの敬愛する最も気高き双黒の魔王の正式な婚約者だ!」
戦いのためにマントが落ち、露わとなったぼくの顔に大衆が慄く姿がはっきりと見えた。
口々に『魔族が!魔族が!』と呟くのすら見て取れる。
「わかっているのか?!人間どもよ!!この世界の始まりを・・・そして、
今まさに来たるこの世界の終わりを!!」
じりじりと周りの兵士が距離を詰めてくるが、視線を向けることで何とかそれを制した。
「箱を開けるがいい、愚かな人間どもよ!そして、手にするといい!自らの死を!」
ユーリが何かを叫んでいるのが見えた。
必死にそれを押さえる大賢者の姿も。
そして再び、彼らのもとへと向かう兵士の群れも。
選択すべき策は、もう一つだけしかない。
_________________ここでぼくが消えること。
そうすれば箱は永遠に開かない。
確かに抉じ開けることはできるかもしれないが、
ぼくの血を受け継ぐ子供が居ない以上、鍵である子供は現れないだろう。
・・・もっとも、大穴覚悟で狙うなら、ぼくの父上と母上が復縁して、
ぼくの弟か妹でも出来れば話は別だが。
だけれどぼくも、ただで消えてやるわけには行かない。
どんな事があっても、誰を犠牲にしても、ユーリだけは救い出す。
「あぁ我らが眞魔国に栄えあれ!そして我らが王の御世に栄えあれ!!」
・・・そしてぼくの愛したシブヤユーリに幸多からん事を。
「炎に属する全ての粒子よ・・・」
盟約を唱える。
法力に満ちたこの地と、この枷がキシキシと体を締め上げるが、構わなかった。
魔力を無意識に制御しようとしていた生への執着が消えた今、
力を使うことに何一つ恐れはなかった。
ただどうか無事に逃げてくれ、と切に願った。
これが、今のぼくに出来る最期の手段なのだから。
「創主を屠った、魔族に従え!そして・・・」
ぼくの体に纏う、炎の壁に誰も手を出せないでいる。
そして大衆が逃れようと無差別な流れを作り、自ら退路を無くす中、
ぼくを呆然と見つめ立ち尽くすユーリを見つめた。
ユーリ・・・どうしてそんなに悲しそうな顔をするんだ?
笑ってくれ、お願いだ。
最期に見た貴方の顔が、泣き顔では淋しすぎる。
「我が意思を読み、そして従え!!!」
慟哭にも似た叫びをあげて、両腕の枷を引きちぎった。
自由になった両の掌から放たれた無数の炎の鳥が、兵士たちを的確に燃やしてゆく。
「やめろ、ヴォルフラム!!!止めてくれーーー!!」
早く逃げて欲しいのに、大賢者を振り切り、まだユーリは叫んでいた。
「逃げるんだ!さぁ、一緒に!!!」
手を伸ばすユーリの元に走り寄りたい気持ちはあったが、もう体が動かなかった。
ユーリの退路を確保する為に刑場の上を旋回させている炎の鳥たちも、
底を尽きようとする魔力の前では、もはやあまり意味をなさないと言うのに。
「ユー・・リ、逃げて・・」
「嫌だっ!!ヴォルフラム!!決着は?!俺との約束はどうなったっ・・っ!!!」
「あ、いして、る・・ユー・・リ・・」
彼を繋ぎとめているのは、ぼくか?
その場を動かないのは、ぼくのせいか?
薄れゆく意識の中で、最後の魔力を振り絞った。
言いたいことも一杯あった。
話したいことも一杯あった。
託したい事も一杯あった。
でも、もう。
遺髪も遺体も、何も残せない今。
貴方のために残せるものは、たった一つの愛の言葉。
人間の世界で、法力の満ちた場所で魔力を使うなと、ぼくがユーリに言ったのだっけ?と、
頭のどこかで暢気にも考えた。
「水底の懺悔」へ続く・・・
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