ぱすてるチャイム
Pastel Chime

アナザーシーズン
Another-Season
〜もうひとつの恋の季節〜







第W章 夏の剣






「だるい…」
「…」
「…」
 でろん…と弛んだスライムのように机に寝そべる。
 関節の節々が摩擦で焦げ、ギチギチと軋む。
 錆びついたランサーのようなぎこちなさ。
「眠ぃ……腹減った……」
「とに…イラつく」
「あ、あはは」
 信楽焼きの狸の置物のようにカイトを無視していたコレットだが、早々に我慢できなくなる。
 向かい合わせに机を並べてお弁当を広げているミュウも、曖昧に笑うだけだ。
 最近のカイトの教室での腑抜けた様は、正直ミュウでも目に余る。
「最近、暑くなってきたからね」
「それで済ませちゃうわけ? ミュウ」
 それならばいっそ構わなければいいものの、律儀にカイトの隣でお弁当開きを日課としてたりする。
「腰痛い………」
「えっちいタワゴト抜かさないでよ!」
 要は嫌味にも乗ってこないカイトにイラついていたコレットが、カイトの机を叩くようにして身を乗り出す。
 無言のまま顔を上げたカイトは、確かにやつれた影があった。
 そのまま席を立つカイトに、コレットは肩を抱くように後去る。
「な…なによぉ」
 その動きはまさに電光石火。
 カイトの右手はコレットの弁当箱から卵焼きを掻っ攫った。
 言葉も無いコレットの前で、咀嚼もしないで飲み込む。
「なっ…なな」
「足んねぇ………食堂で飯食ってくる」
 フラフラとした足取りで教室を出るカイトを、ふたりは呆然と見送る。
「ナニ盗み食いしてんのよ! こらっ、ばカイト、逃げるなぁ!」
「うん。病気じゃないみたいだね」
「ミュウ! 何のん気なコト言って…あ! あぁ、タコさんウインナ−まで持ってかれてるぅ」
 ミュウは子犬のように喚く親友を尻目に、蒼く生い茂った桜の木を眺める。
 日差しの眩しい季節がやってきた。
「もう………夏だもんね」





 舞弦学園の学生食堂は三階に位置している。
 大半の生徒が学生寮に住んでいるため、昼時はいつも混み合った。
 昼飯を落ち着いて食べたい者は、ランクを落として購買のパン食にするか、ミュウやコレットのようにお弁当を作るしかない。
 ちなみに学生寮には炊事場がある。
 もっとも女子はともかく、男子で弁当を自作する奇特な人物は存在しない。
 舞弦学園男子寮で作成された『漢弁』を意中の相手に食わせると、100%ホモカップルを結びつけるという黒い伝説があるから尚更のコト。
 そんな訳で食い物を求めるカイトは、覚束ない足取りで廊下を歩く。
 身体の軋みは、言わずもがな筋肉痛だ。
 週末に一度の式堂兄妹との特訓の疲れが、水曜になっても抜けないのだ。
 今まで使っていなかった筋肉を酷使したせいだ。
 式堂兄妹が教える技術は、剣術や魔術という区切りの無い、統合戦闘システムとでも言うべきものだった。
 カイトにも漠然としか理解できないが、学校で教わる戦闘方法とはどこか違う。
 力と速度、では無い。
 流れと間、で行う、舞踏のイメージすら覚える流派。
 体術にしても、体格も腕力も劣る刹那から、投げ飛ばされ、押さえ込まれ、関節を極められた。
 魔術にしても、攻撃魔法を『斬って』『殺す』事が出来ると始めて知った。
「取りあえず飯………身体が保たねぇって」
 入り口で食券(カレーうどん大盛)を買ったカイトは、ほとんどガラガラの食堂に入った。
 コレットをからかいながら待った甲斐があったというものである。
 基本的に人込みは好きではない。
 昼休みを半分過ぎた今の時間。
 何人かのグループが隅に陣取っているだけだ。
 カイトは食券と引き換えに、金魚鉢のような丼を受け取る。
 そして、山のように福神漬けと一味唐辛子を乗せた。
 毎度のごとく食堂のおばちゃんが心配げな表情を見せるが、カイトは誰に何と言われようと自分の嗜好を変えるつもりは無い。
 適当な席に着き、割箸を割ったカイトの視界に、凄くイヤなものが映った。
 食堂の一番隅の奥。
 入り口から死角の場所で、ひとりの下級生を複数の上級生が囲んでいた。
 ひとりを多数で責める。
 それだけでカイトは感情のタガが外れそうなイラつきを覚える。
 偽善者、という訳じゃない。
 ただ、その光景を見るのが酷くイヤなだけだ。
 ああ、凄くイヤだ。
 我慢できないくらい。
 肩を縮こまらせて俯いた小柄な男子の、目の前に置かれていたグラスが倒される。
 カイトは反射的に腰を浮かせた。
「おいっ…!」
「おいおい、今日は又ずいぶんとダサいマネしてるな。大将?」
 カイトの声と被るように、背後から揶揄するような声が聞こえた。
 吃驚して振り返ったカイトの後ろの席に座っていたのは、どこか精悍なイメージを宿した女子生徒だった。
 青味がかった髪の短い女子は、カイトに合図するようにウインクして立ち上がる。
「竜胆…ってめ」
「クーガー、あたしは今度こそあんたを見下げ果てたね。よりによって、下級生をフクロにしてイジメ? あんた等のプライドはゴミ箱にでも捨てちまったのかい」
 クーガーと呼ばれたリーダー格の男子生徒に見覚えがあった。
 三年A組のクラスメートだ。
「ご、誤解すんじゃねえ! これは、こいつの方から因縁つけてきたんだぜっ?」
「それはっ…あなた達が、沙耶先輩の悪口を言ってたから…」
「はっは〜ん。あたしに叩きのめされた仕返しに、千佐人にお返ししようってのかい? どうにも勘弁ならないねー」
 沙耶と呼ばれた少女は余裕の笑みを浮かべ、両手の指を鳴らして足を踏み出す。
 だが、その目はまったく笑っていない。
「だっ…!」
「おっと、大将。みんなが見てるぜ。無様なマネしてくれるなよ?」
 反射的に腰に手をやったクーガーだが、元よりそこには何も無い。
 そりゃ、食事にまで武器を持参するのは、余程の刃物依存症だろう。
 不幸な事に、クーガーの精神はそこまで病んではいなかった。
 一瞬、クーガーが腰に視線が向けた瞬間だった。
 三メートルもの距離を滑るような歩法で踏み込んだ沙耶は、手刀を居合抜きのような要領でクーガーの顎を撃ち貫く。
 かくん…と糸の切れた人形のように崩れるクーガーに、周りの生徒がいきり立った。
 こちらの騒ぎに気づいたのか、食堂に残った生徒が騒ぎ始める。
 だが、喧嘩じみた勝負は簡単に終結した。
 椅子から立ち上がりかけてたたらを踏む男子を、蹴りと手刀の一撃で黙らせていた。
 『強い』というより『巧い』とカイトは感心した。
 戦術というか、喧嘩のやり方を熟知しているらしい。
 それはいいが、中腰のまま固まった自分が馬鹿のようだった。
 後ろ頭を掻いたカイトだが、ひとりだけ逃げ出していた奴が、何事か呟いているのに気づく。
 同時に気づいた沙耶も、焦ったように叫んだ。
「詠唱………って馬鹿! 校舎の中で攻撃魔法使うなんて」
 突き出された腕に、螺旋を描くような火の矢。
 魔法の攻撃は決して外れる事が無い。
 あらゆる障害物や物理的防御をすり抜け、相殺できるのは自分の魔力のみ。
 そして、攻撃の的は沙耶ではなかった。
「え…?」
 ぽやあ…と事態に取り残された千佐人に、火蜥蜴の舌が伸びる。
「千佐人…っ!」
「きゃ…」
 慌てて手を伸ばす沙耶。
 妙に乙女ちっくな悲鳴を上げる千佐人の襟首を掴み、背中に庇ったのはカイトだった。
 呼吸をひとつ。
 火の流れを見る。
 螺旋を描く、火のカタチを借りた魔力の流れ。
 対象と術者を結ぶ接点。
 見える炎の塊ではなく、間に流れる線を切る。
 パキン、と皿が割れるような音がして、カイトの右手先で炎の矢が弾ける。
 『斬られて』『死んだ』自分の魔法を唖然と見ていた生徒が、前のめりに倒れる。
「まったく、とんでもない奴だね」
「同感だな」
 倒した男を腹立たしげに見下ろし、沙耶は両手をはたいた。
「相羽…だっけ? すまないね。つまんないコトに巻き込んじまった」
「イヤ、何もしてない………ていうか。俺、あんたの事、知らないんだけど?」
 そういえば、と頷いた沙耶はカイトの肩を軽く叩く。
「あんた、ミュウの幼馴染だろ? ミュウとは一年生の頃から友達だからね。あんたの話は良く聞かされてたんだ」
「………そっか、あんたが『さやちゃん』か」
「ん、んん?」
「い、いや。沙耶………じゃなくて、竜胆か」
 笑顔で怖い目をするのは止めて欲しいものである。
「あの…あの、あの」
「おっと、千佐人も怪我は無いかい?」
 カイトの後ろから顔を出したのは、絡まれていた小柄な男子だった。
 明るい茶色の髪をした、こういってはなんだが、いかにもイジメられそうな感じだ。
 千佐人は顔を真っ赤にして頭を下げた。
「あの、有難う御座いました。沙耶先輩と………相羽先輩」
「ま、気にすんな」
 くしゃ、と頭に手を置いて撫でるカイトを、千佐人は何故か潤んだ瞳で見つめる。
 悪寒がしたカイトは半歩引いて沙耶に話を振った。
「ところで、ずいぶん嫌われてるみたいだな、こいつらに」
「ああ、ま…最初の理由はつまんないコトだったんだけどねー。しつこく絡んでくるから相手して叩きのめしたら、ムキになっちまったんだろうね。あたしだけなら兎も角、千佐人にまで手を出したのは許せないけどさ」
「そんな、ボクは何ともないですから」
「弟…って訳じゃないよな?」
「あたしが門下生だった剣術道場の、跡取ってコトになるのかな?」
 沙耶は兎も角、千佐人は道場の跡取ってタイプじゃない気がする。
 三人は仲良く食堂を追い出された。
 喧嘩両成敗というわけだろうが、片方のグループは全員保健室送りだ。
 それも実質、沙耶ひとりに叩きのめされたわけで、ムキになるクーガーの気持ちが解らないでもない。
「はぁ………しばらく学食出入り禁止か。昼飯どうしよう?」
 カイトは溜息を吐いて、なんとも哀れっぽく呟く。
「あ、あの…相羽先輩っ。ボク…ボクが先輩のお弁当作ります!」
「イヤ、気を遣わなくっていい。………ていうかマジで」
「いいじゃないか、相羽。可愛い後輩の手作り弁当も」
「おまっ…竜胆! お前らは男子寮の黒伝説をしらないからそういうコトが言えるんだ」
「へぇ………そんな噂話で後輩の好意を無にするんだ。ミュウのイメージ壊れそうだな」
 なんと意地の悪い目をする女だろう。
 こいつは全部承知で脅迫をしてるに違いない。
 カイトは『好き嫌いはありますか?』と無邪気な笑顔で尋ねる千佐人をかわしながら、教室への道のりを急いだ。
「ところで………あんた変わった技を使うんだね?」
「ああ、『虚刃』のコトか」
 魔力を殺したアレの事だろう。
 一対一。
 単体対象の魔法にしか効果はないが、魔法が苦手な戦士には場合によっては切り札になる。
 式堂兄妹から初めて伝授された、『弐堂式絶招』刃の基本技だった。
「ウツロハ…ね。ま、詳しくは聞かないけどさ。機会があったら教えてよ」
「俺も、使いこなせてる訳じゃなし」
 というか、実際に使ったのは初めてだった。
 色々と、メンドクサイ事態になりそうで、カイトは知らず早足になっていた。





 さて。
 お茶筒というものをご存知だろうか?
 文字通りお茶っ葉を入れるための円筒形の長筒だ。
 それに水を入れ、ついでに意味もなく大量の捕獲したオタマジャクシ等を入れてみたりスル。
 蓋をしたお茶筒に、更にガムテープで強力な『封印』をスル。
 ソレをタイムカプセルのように神社の裏の木の下などに埋めたりスル。
 そこに子供ながらの純粋狂気な願いを込めて、『大きく育て』なんて『神の摂理』に反する願いを込めて遺棄スル。
 ずっと、それこそ十数年も忘れていた記憶を思い出す。
 キミはソレを掘り起こせるだろうか?
「少なくとも、俺には無理だな………」
 カイトはデッキブラシ片手に呟いた。
 植物じゃあるまいし、発芽したオタマジャクシが蛙の樹にでも育つと思っていたのだろうか。
 ていうか『蠱毒』?
 そんなに誰かを憎んでたのか、餓鬼の頃の俺は。
 おまけに『神社の裏の木の下』とくれば、なんか『想像を絶する液体』に化学変化していても不思議じゃない、感じがする。
 まぁ、それに類似する液体が足下に澱んでいる。
「なんか居る………絶対」
「居るわね………完璧になにか棲んでる」
 カイトの隣に立つコレットが、珍しく陰鬱な表情でプールを覗き込んでいる。
 約一年弱の間、『熟成』されたプールの水は、不思議なほどにトロミがあるように見える。
 アオミドロとか浮き草で、水は真緑色だ。
 一言で言えば『なんかヌルヌルしてる』のである。
 そんな水面から漂ってくる塩素の清潔な匂いが、いっそ異常に感じられる。
「居るな………絶対」
「居るわ………完璧」
「もう…ふたりとも、サボってないで早く始めましょう?」
 なんだかんだと理由をつけて動こうとしないふたりを、バケツを運んできたミュウが咎める。
 いつもならダンジョン実習である土曜日。
 三年A組は来週から始まる水泳授業のために、プール掃除に駆り出されていた。
 理由はA組の水泳授業が一番目だから、である。
 報酬として単位や学内通貨も支給されるが、とても割に合う役割とは思えなかった。
 実際、他のクラスメートも面倒くさそうに掃除を始めていた。
 特に男子は端から諦めて、木陰で涼んでいる生徒の方が多い。
「ミュウ、無理だって………溶けるって」
「そうよ、無理なものは無理よ………噛まれちゃうってば」
 カイトとコレットは一致団結してごねた。
 息の合った掛け合いに、ミュウは腰に手を当てて溜息を吐いた。
「何でこんな時だけ仲良くなるの? 掃除が終わったら、自由時間でプールを開放してくれるって言ってたじゃない。頑張ろっ、ね?」
「う〜…そうね。駄々をこねてても事態は進展しないわ。ここはチャッチャと掃除を済ませて、思い切りプールで遊ぶのが吉ね」
「そーそー、頑張れ頑張れ。子供は動けー」
 フェンスに寄りかかったカイトの、やる気ゼロの態度にコレットのツインポニーが震える。
 諦めずにハッパを掛けようとするミュウを、ニッコリ微笑んだコレットが止める。
「そう、あんたはそこで休んでるのね? 凄いわ、女子供を働かせて遊んでるなんて、まるでヒモみたい! ホント、格好イイわね〜カイト君は」
 カイトに聞かせるには、ずいぶんと大きな声だった。
「そうよ、掃除しなさいよ。相羽君」
「真面目なのは女子だけよね」
「ホント、男なんて肝心な時に、てんで役立たずなんだから」
 と、コレットの台詞にクラス中の女子が賛同する。
 サボっていた男子達は、自分に矛先が向く前に掃除を始めた。
「き、汚えぞっ。コレット!」
「ふん。正しい者が勝つのよ。あんたはゴミ掃除」
「ふふっ………。はい、カイト君。バケツだよ」
 がっくりと肩を落としたカイトは、敗北を認めて袖を捲った。





「あーシンドイ。ダンジョン実習の方が、まだマシだぜ」
「熱いよ〜早くプールに入りたーい」
「あ、ふたりとも。ベネット先生が来たよ?」
 プール掃除を終えた三年A組の生徒達は、プールサイドにへたり込んでいた。
 プールの底にスライムが大量発生していたり、発生したガスでシンゴが倒れるなどのトラブルがあったが、その甲斐あってプールは綺麗に蘇っている。
 後は、空の水槽に水を入れるだけである。
「先生? どうかしたんですか」
 ベネットは怪訝な、というより困った顔でポンプ室から出てきた。
「先生、早く…早くプール」
「コレット、お前は子供か………って、何かあったんですか?」
「ああ、相場君。ええ、そうですね、少し問題が発生しました。水が出ないんです」
「そんなぁ、水が出ないって…それじゃプールは」
「今日は諦めてもらうしか………」
 ブーイングが唱和する。
 抜き打ちテストでもこれほどの不満は生じなかっただろう。
「皆さん無茶を言わないで下さい。ポンプが壊れている様子はないので、水流調整室に何らかのトラブルが生じたのでしょう。………そうね、二、三日中にはなんとか」
 プールの水は、ダンジョンの中の地下水脈から汲み上げている。
 施設が老朽化していることもあり、些細な原因でポンプが止まる事があるという。
 再起動させるには、一度地下の揚水機をリセットしなければならない。
「はい!」
 コレットが勢い良く手を上げる。
 それにしても『はい』はないだろう、とカイトは内心呆れる。
 授業中じゃないんだから。
「はいはいはい! わたし、見に行ってお水出してきます」
「コレットさん? ………そう、ね。お願いします。念のため、もうひとりくらい」
「じゃあ、私も行きます」
 ミュウが立候補して、取りあえずその場は収まった。
 上位階層とはいえモンスターが出没するので、武器を持参する。
 ただ服装は体操服のままだ。
 体操服とはいえ、舞弦学園仕様の体操服はちょっとした装甲になる。
「じゃ、ミュウ。任せるわね」
「うん。皆でゆっくり待っててね、陽子ちゃん」
 本当なら自分の役割だったかも知れないと考え、クラス委員長の陽子が見送る。
「気にしなくてもいいんじゃないかしら?」
「クレア、か。そうかもね」
「そうよ。だって、楽しそうじゃない」
 陽子の隣に腰を降ろした保健委員のクレアが、なにやらモメているカイト達を眺める。
 嫌がるカイトを無理やり道連れにするつもりらしい。
 すぐに業を煮やしたコレットが、カイトの後頭部を魔杖で殴って気絶させる。
 そのまま引きづられていくカイトに、クレアはクスクスと笑う。
「大変ね。カイト君も」
「本人は結構楽しそうじゃない? ま………いつまでも三人一緒って訳にはいかないでしょうけど」





 ダンジョン施設の中心に位置する重厚な扉を開けると、地下へと続く扉がある。
 地下一階に広がるフロアはたいした広さではない。
 地上からの階段を下りて、まっすぐ続く通路の先には、転移施設がある。
 魔法の転移装置は、生徒を過去の進攻階層深度まで瞬間移動させる機能がある。
 実習開始直後は転移待ちの生徒でにぎわう大通路も、今の時間は静かなものだった。
 いや、静かだった。
 今さっきまでは。
「てめぇ、急所に渾身の力込めて一撃か? 運が悪けりゃ逝くぞ、マジで」
「あんたが男らしくないからでしょ!」
 いつもなら『まあまあ』と止めに入るミュウは、胸を押さえて赤面していた。
「男らしいも何も、最初からきっぱり断っただろ? メンドイからイヤだって」
「女々しいコト断言しないでよ。あんた、馬鹿?」
「くっ………どうやらテメエとは一度はっきり決着つけた方がいいみたいだな。チビジャリ」
「なっ………そうね。その空っぽのオツムを教育してあげるわ。ばカイト」
「こっ、んの小学生!」
「なによ! 大ボケ、色ボケ、すっとボケ男」
「………おいおい、凄い啖呵だね?」
 呆れた声色の突っ込みに、五センチの距離で睨みあっていたふたりが跳び退る。
「あれ、沙耶ちゃん?」
「やあ、三人で何してるんだい?」
 迷宮の奥、転移施設から現れた沙耶が腕を組んで小首を傾げる。
 四月の始めなら兎も角、三人の装備は深いフロア向きではない。
「ちょっとね。先生に頼まれて、水流調整室の様子を確認に行くところなの」
「竜胆こそどうしたんだよ? あがるには、まだ早いんじゃないのか」
「ああ、相羽………ま、色々さ」
 割と親しげに挨拶をかわすカイトと沙耶に、ミュウとコレットが顔を見合わせる。
「ふ〜ん、怪我した様子はないよな?」
 と、カイトは沙耶の後ろに隠れるようにしている人影に気づいた。
 鈴の音が、聞こえた気がしないでもないような。
 緑色の三つ編みがひょこ…と揺れ、屈むようにしているが尻が出ている。
 まさに『頭隠さず尻も隠さず』状態である。
 そんなお惚けっ子に、カイトは何となく覚えがあった。
「セレスか………ひょっとして?」
「あ、はい。どうも、カイトさん…こんにちは」
 セレスは恥ずかしそうに三つ編みを押さえ、ぺこ…と頭を下げる。
「なんで…って、実習時間だから変じゃないんだケド」
「そーですね。あはは」
「相羽の知り合いかい? パートナーとはぐれて道に迷ってたみたいだったからさ。余計なお世話かとは思ったんだけど、連れてきちまったのさ」
「うう…そーなんです」
 どよん、と落ち込むセレスに、カイトは溜息を吐いた。
 迷子うんぬんは『流石』と思うが、はぐれたのは意図的に『置いてきぼり』させられたに違いない。
 沙耶ならずとも、何となく世話を焼きたくなるのも解らなくない。
「それだけじゃないんだけどね」
「っていうと?」
「なにか、嫌な感じなんだよ。今日のダンジョンの中はさ。ほら、四月のオリエンテーションの時だったかな、トラブルが起きたのは。あんな感じ」
「………へぇ」
 カイトは平静を装って唾を飲んだ。
 無意識に、腰に挿したロングソードの柄を握り締める。
 胸の傷痕が痛む。
 肉体の傷ではなく、精神に突き刺さったままの屈辱の棘が痛む。
「ま、気のせいだとは思うケド。気をつけて」
「それじゃカイトさん、また今度」
「ああ、んじゃな」
 カイトは軽く手を振って二人を見送る。
 そして、その自分の手を見つめる。
 ちょうど自分が立っているのは、あの時のあの場所だった。
 あれから、自分は変わったのだろうか?
 少しでも、この手で守れる力が持てたのだろうか?
 そして、俺は何を守りたいんだろう………?
「カイト君、そろそろ行こ?」
 ミュウが背後からカイトの腕を取る。
 あの時から、ずっと昔から変わらない、信頼の瞳。
 それだけは裏切りたくない。
「ああ、行こうか」
「うん!」
「行こうか………じゃないわよ」
 どこか取り残された感じのコレットは、頭の上に手を組んで呟いた。





 日曜日の早朝。
 朝もやで覆われた無人の校庭。
 舞弦学園のグラウンド隅にある鍛錬場で、鋭い掛け声があがった。
 カイトは下段に構えた剣を、突き刺すように突進した。
「踏み込みが甘い」
 汗だくのカイトの全力攻撃を、甲斐那は片手に握った刀で軽々と捌いていく。
 影のように見守る刹那が、へたり込んだカイトにタオルを差し出した。
「どうか…なさいましたか?」
「え?」
「お顔に、迷いが見えます」
 言葉数も少なく、冷たく見える刹那だが、本当は優しい心の人だとカイトは気づいていた。
 黙して語らずではなく、必要な時に必要な言葉を選んでいるだけなのだ。
「強さって………強いって、どういう事なんだろう?」
 武器を使った殺傷技術を研く事か。
 魔法の破壊力を増大させる事か。
 神への信仰心で揺るがない精神力を作る事か。
 誰も追いつけない速度領域に到達する事か。
 わがままを押し通せる為の『力』なのか、誰かを『守る』為の力になってくれるのか。
 自分はまだ弱いままなのか。
 『そうだ』と認める自分がいて、『違う』と否定する自分もいる。
「それは………キミが自分で確かめろ」
「甲斐那さん」
「君が決めるんだ。自分の『チカラ』の意味を。キミは自分で選択しなければならない」
 それは、教えられるものでも、与えられるものでもない。
 甲斐那は黙って刀を構える。
 揺るがないのその姿勢に、カイトは甲斐那の選んだ『チカラ』の道を見た気がした。
 投げ出していた剣を手に、立ち上がったカイトは再び構えを取る。
「こい」
「お願いします!」
 打ち合う剣戟の響き。
 歌うように、舞うように。
 舞弦学園に響き渡るように、いつまでも続いていた。







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