ぱすてるチャイム
Pastel Chime
アナザーシーズン
Another-Season
〜もうひとつの恋の季節〜
第V章 鈴とメガネと
壁に剣先がこすって、火花が散った。
ついで大きな鉄拳が、ガツンと床に叩きつけられる。
跳び去るように間合いを開けたカイトは、ロングソードを逆手に握って踏み込んだ。
「走狐襲ッ!!」
重力が反転するような踏み込み。
下段から逆袈裟に振り上げた剣が、人型ゴーレムの装甲を撃ち砕く。
そのまま左手で印を組み、後列に残った最後の一体に指先を向ける。
「Flame Arrow!」
掌に生じた火球が、螺旋を描きながら黒い蝙蝠に直撃する。
舞い散る火花が花びらのように。
迷宮に刹那の静寂が戻る。
カイトは剣を握った右手と、魔力の残滓が残った左手を見つめた。
確信がある。
少しずつ強くなれている。
まだ、自分にも強くなれる可能性が残っている。
今はそれが、ただ嬉しかった。
「眠ぃ………」
つうか、だるい。
カイトは眉間を揉み解してから、腕を伸ばして大きく伸びをした。
今日は土曜日。
午後からのダンジョン実習に備えて頭と身体を休め、………早い話がサボリだ。
昨日の夜はシンゴと一緒に、優等生の苅部を巻き込んでの宴会をしていた。
学生寮とはいえ、男子寮は女子寮より規則が甘い。
先輩たちが伝手を築いてきた裏購買ルートからアルコールを仕入れ、嫌がる苅部が酔いつぶれるまで騒いでいたのだ。
計画立案から準備までしたのはシンゴだった。
カイトは人畜無害そうな顔をした級友の性格を、未だ掴みきれていなかった。
ちなみに苅部は、二日酔いで休んでいるという話だ。
人気の無い特別教室校舎の美術準備室で、カイトはもう一度大きく伸びをした。
「もう一眠りすっかな………」
時計を見ると三時間目が終わった、休憩時間である。
人物デッサンに使うソファーに寝転んだカイトだが、入り口が開いた音に心臓を跳ね上がらせる。
「…ね」
「…だもん」
複数の女の声が聞こえる。
カイトは入り口付近で何かしている女生徒ふたりを、背もたれの影から覗いた。
幸いソファーは入り口と逆向きに置いてある。
金髪の女子と黒髪の女子。
見たことの無い顔だった。
少なくともクラスメートではない。
ふたりは楽しそうに笑い合うと、そのまま準備室を出て行ってしまう。
「関係ないや………寝よ寝よ」
カイトはそのまま目を瞑った。
四時間目の終了を告げるチャイムの音で目が覚める。
「…腹減った」
カイトは脱いでいた学生服を羽織り、準備室の扉を開ける。
が、カギが掛かっている。
カイトは昼寝を邪魔した女子ふたりを思い出す。
カイトは後ろ頭を掻くと、ポケットからピッキングの道具を取り出す。
ダンジョンのトラップに比べれば、おもちゃのような錠前だ。
扉にしゃがみ込んだカイトの目線の先に、何か光るものが見える。
摘み上げたそれは、旧式のメガネだった。
と、隣にカギも置いてある。
何かの冗談かとも思ったが、カイトは深く考えずにカギを使って部屋を出た。
次の瞬間。
カイトは悲鳴を抑えて後去った。
目の前の廊下で、四つん這いになった女子生徒が居た。
「…メガネ…メガネ…」
カイトに気づいてないのか、ぺたぺた…と子犬のように廊下を這っている。
ちょうど真後ろのカイトには、スカートの裾から白の下着まで見える。
「なっ、何者だ?」
「はへ…」
なんと間抜けた返事をする娘なんだ、とカイトは感心する。
顔を上げた娘の首で、チリン…と可愛い鈴の音がした。
結われた柔らかそうな緑色の髪から、尖った耳が覗いている。
首のチョーカーに付けられた鈴のせいか、どこか子犬を連想させる。
そのこちらに向けられた蒼い瞳の焦点が合っていない。
「あの…どなたでしょうか?」
「って、それは俺の台詞…」
て訳でもないか。
カイトは胸の中で付け足した。
お互い、授業直後で無人のはずの場所にいるわけで。
まあ、素行の怪しさから言えば、このエルフ娘には及ばないだろう。
「それは置いといてだ。その…さ、何をしてるんだ? あんた」
「はぁ………ええと、なんでしたっけ?」
天然だ。
これは天然だ。
カイトは素早く判断を下した。
「そう、確かあなたのお名前を聞こうと」
A級だ。
これはA級だ。
カイトは敵のレベルを最上位だと判断した。
「いや、そうじゃなくって」
「そうですね。人に名前を聞く時には、自分からですよね」
まいった。
これはまいったな。
カイトは密やかな敗北感を感じる。
「ええと、ですね。セレス…セレス・ルーブランといいます。三年のB組です、はい」
「ああっと………カイト、相羽カイトだ。三年のA組」
カイトは馬鹿正直に答える。
「そんじゃ、セレスは何してたんだ…って、まず立ってくれ。頼むから」
「いえ、その…メガネをですね、探さなくちゃいけないんです」
「メガネって」
カイトは準備室に入って、出た。
手には旧式のメガネ。
「これか? って、んな訳ないか」
「あ、はいっ………これです! 有難う御座います」
ぺたん…と床に座り込んだセレスは喜んでメガネを掛ける。
「ひゃあ」
「な、なんだ。どうした?」
「い、いえ。男の人だとは、思わなかったもので」
「名前と、声で解んないか………ふつー」
カイトは疲れを感じて肩を落とした。
「その、すいません」
「謝んなくてもいいから。大体、なんで大事なもんを準備室なんかに置き忘れたんだ?」
様子からして、素の視力ではまともに歩けないようだし。
土曜日に美術室を使うクラスは無い。
でなければサボリに使えない。
セレスは曖昧で乾いた笑みを浮かべる。
「あはは…それが、ですね。隠されちゃいまして」
「そりゃ…」
イジメか、と言いかけて口を噤んだ。
そういう馬鹿なマネをする奴らはどこにでも居るらしい。
カイトは人の嫌がる事をして喜ぶという輩が、どうにも大嫌いだった。
「誰だか、やった奴は解るのかよ」
「ええ、まあ………」
セレスは自信なさそうに俯いてしまう。
カイトは腰に手を当てて溜息を吐いた。
「駄目だぜ、そんなんじゃ」
「えっ…?」
「こういう馬鹿なマネする奴らには、はっきり言ってやんなきゃ解らねぇんだよ」
カイトはセレスの腕を引っ張って立たせた。
「イジメとかやってる奴は、自分が何してるか解ってねぇんだ。だから、どっかで誰かが教えてやんねぇと、自分でもやめられなくなってくんだ」
言われた事があるから。
昔、誰かから教えてもらった事だから。
だから俺は、それが馬鹿げたマネだって知ってる。
セレスはぽーっとした顔でカイトを見つめていた。
「あ、いや、だからサ。イヤな事は、イヤだってはっきり言った方がいいぜ」
「は…はい。カイトさん」
気まずさを感じるカイトは、後ろ頭を掻いて時計を見た。
休み時間は終了し、ダンジョン実習の時間になっている。
最近の実習では、ミュウかコレットをパートナーに誘っている。
だが、どちらも予約をしていない場合、ふたりは一緒に実習行っており、おそらく今日もふたりで組んでいるだろう。
「まいったな………もう行ってるだろな」
「あ、あの…カイト、さん?」
セレスは俯いて指をこね合わせていた。
「いや、あんたが悪いわけじゃないぞ」
「あ、その…ですね。私でよければ、い…一緒にダンジョンに行きませんか?」
「え?」
「その、私のせいで間に合わなくなっちゃったとか、カイトさん良い人だとか、色々…その気を使わせちゃって申し訳ないとか」
ぱたぱたと赤面して慌てるセレスにカイトは吹き出す。
なにか隠し事の出来ない性格というか。
うん、属性は子犬系だろうと思う。
「ああ、そんじゃよろしく頼む」
「は…はい!」
セレスの専攻はスカウトだった。
エルフの弓使いといえば、昔からのスタンダードスタイルだ。
だが、ギャグ系のおとぼけ盗賊を連想させるのは仕方あるまい。
「ところでさ、セレス」
「は、はい。なんでしょう」
「いつからメガネ探してたんだ?」
「三時間目の授業終わってからですね、はい」
まる一時間も、廊下をぺたぺた這っていたのだろうか。
だが、その何となく嬉しそうな笑顔に、カイトは何もいえなかった。
カチコチ、と時計の秒針が回る。
酷く耳障りに感じる。
カイトは緊張している自分に気づいた。
放課後の進路指導室。
『アイバ』という苗字のせいで、小学生の時から出席番号は一番だ。
時にそれは酷く、うざったく感じる。
「さて、相羽くん」
教室に居るのはふたり。
カイトと担任のベネットだった。
窓の外から聞こえる放課後の喧騒が、遠くに聞こえる感じがする。
「あまりキツイ事を言いたくありませんが………」
「はい…」
ベネットは成績表から顔を上げ、俯いたカイトを見つめた。
「実技、筆記ともに…良い成績とはいえません」
「はい」
それはカイト自身にとっても確認だった。
だが、改めて言われてショックを感じるのは、まだ自分に甘えている部分があったのだろう。
「このままだったら、冒険者業はおろか、卒業すらも危ないのですよ?」
夕日で真っ赤に染まった教室に、厳しい沈黙が満ちる。
ベネットは溜息を吐き、中指でメガネを押さえた。
「今更、私から言われずとも解っているでしょうが、ここから成績を挽回するのは並大抵の努力では難しいでしょう」
「はい」
「ひとつだけ、アドバイスをするとするなら、まず自分の専攻を選びなさい」
カイトの成績を見る限り、全体的に低目なのは明らかだ。
剣術技能、スカウト技能、魔術技能、神術技能すべてが同じ修練度なのだ。
何をさせてもそこそこ出来るが故の、典型的な器用貧乏タイプ。
だが、世の中に必要とされるのはオールマイティなアマチュアではなく、常にスペシャリストなプロフェッショナルなのだ。
「………何にせよ、真剣に卒業する気があるのなら、これまでの二年間を取り返す気持ちで頑張りなさい」
カイトは黙って頷いた。
今の自分に、なにも言う資格は無いのだから。
「はあ………」
カイトは中庭のベンチに腰掛けていた。
口から出るのは溜息ばかりだ。
『卒業すら危ないでしょう』
ミュウを守れるだけの強さを求め、ここ三ヶ月はがむしゃらに走ってきた。
少しは自信を持ち始めた、と言わなければ嘘になる。
だが実際、それはカタチにもなっていない、ただの思い上がりだった。
何をしたらいいか解らない。
焦りだけが込みあがる。
「………やあ」
「うわっ…」
突然、背後から掛けられた声に、カイトはベンチから滑り落ちそうになる。
反転した視界に、いつか見た黒い兄妹が立っていた。
「久しぶりだな」
「こんにちは、カイトさん」
刹那は結構、面白おかしい格好のカイトに、優しく微笑んで挨拶をした。
「えっと、甲斐那さんに刹那さん…だっけ?」
「はい………覚えていて下さいましたか」
相変わらず、刹那の笑みは儚げだった。
夕日の中でさえ、夜に浮かぶ月の趣すらある。
「忘れちゃいないけど、ふたりもとどうしたんだ?」
「ああ、これを返しに来たんだ」
そういって甲斐那は一本の傘を差し出す。
「わざわざ返しにきてくれたのか………持っててくれても良かったのに」
「そうはいかない。借りたものは持ち主に返すのが道理だ」
「相変わらず、律儀だね…」
カイトは苦笑して傘を受け取った。
服装がレトロな黒学生服のままなので、転校してきたというわけでもないのだろう。
純粋に傘を返却するために来たに違いない。
「………どうかなさいましたか?」
「え?」
気遣わしげな刹那の問いに、カイトは自己嫌悪を感じた。
ほとんど初対面の少女に見抜かれるほど、今の自分は哀れな顔をしているらしい。
「何か…悩み事か?」
「いや、そんなんじゃ………」
甲斐那の言葉を否定しかけ、台詞が止まった。
「良ければ話してくれないか?」
「はい…悩み事は誰かに話すだけで、落ち着くものです」
多分、この時の自分は弱っていたのだろう。
気がつくとカイトは、春からの出来事を、このほとんど初対面の兄妹に全部ぶちまけていた。
幼馴染を守れなかった事。
自分の実力の欠如。
何をしているのか解らないジレンマ。
「………って、何言ってんだろ、俺。悪ぃ…つまんねぇ話し聞かせた」
「いいえ、そんな事はありません」
「そうだな。私にも君の気持ちが………解らないでもない」
甲斐那は妹にさり気ない眼差しを向けた。
ゆっくりと闇の帳が、人気の無い中庭を覆い始める。
「君は………強くなりたいのか?」
「え?」
カイトが顔を上げると、甲斐那はまっすぐに自分を見詰めていた。
「もう一度聞く。君は強くなりたいか?」
「ああ、俺は、強くなりたい」
迷いは無い。
その気持ちに嘘は無い。
「では、私が君を鍛えよう」
「にいさま…?」
刹那は僅かに驚いたように兄を振り返った。
カイトは甲斐那の視線に、気圧される自分と、惹き付けられる自分に気づく。
冗談でからかっているのでは、決して無い。
「どうする? 決して易しくは無いし、君が望む力ではないかもしれない。力が身につくとも限らない」
たとえそれでも。
「頼む………甲斐那さん。俺を、鍛えてくれ!」
「ああ、解った」
固い握手をする男ふたりを、刹那は面白そうな、優しげな微笑を浮かべて見守っていた。