巻機山、米子沢遡行 2003.9.5〜7
月 日 9月5日(金)〜7日(日)
天 候 晴れのち雨/晴れ
メンバー 星野、一戸、関根、桜井、尾藤
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桜坂駐車場すぐの入渓点 |
ナメ滝が現れてきました |
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最初の30mの滝を登ります |
この上も滝が連続します |
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ヘツリも出てきます |
岩が濡れているのでザイルを延ばします |
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関根さんが登ります |
続いて沢登り初体験の桜井さんが登ります |
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尾藤さんは完全にシャワークライミングです |
冷たいから早く撮って! |
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綺麗な赤い岩の滝 |
ここはザイルで確保し、クラック沿いに登ります |
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ここは結構ショッパイね! |
12mすだれ状の滝、この谷一番の美漠です |
この後ゴルジュを高巻きしたが、ひどい藪漕ぎと悪天候でビバークする事となった・・・・
写真:星野、尾藤/文:星野
米子沢でビバーク
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高巻きした滝 |
一番の原因は高巻きに失敗したことでした。
10:00少し前、滝を高巻きする。30分程藪漕ぎした時点でおかしい事に気づき、一旦引き返したのですが藪がひどく同じ道に戻れなかった。沢に下りようとしたが急だっため危険と判断し、尾根に登り返すことにした。
この時点で、沢に戻る事を諦め、尾根から登山道に出ることを選択しました。
「道に迷ったら同じ道を引き返す、それでもだめなら尾根に出ろ。」山の鉄則ですね。
ただ、藪漕ぎの場合は必ずしも当てはまらないかもしれません。
ひどい藪漕ぎでした。自分の背丈よりもあるしゃくなげ、はい松、笹藪、とにかく藪の密度が半端じゃない。それに傾斜もかなりきつい場所でした。2時間程藪漕ぎして、ようやく傾斜もゆるくなり稜線らしき広い場所に出ることができた。
ただ、このあたりから天気が悪くなり、ガスがかかってきて視界が無くなってきた。皆疲れきっていた。トップを交代しながらも進むも、傾斜がゆるくなっただけで藪の深さは変わらなかった。次第に本格的に雨も降り出してきた。
途中、まともに昼食も食べていなかったため木の陰で休んで簡単に食事をする。沢で体がずぶ濡れ状態のため休んでいると寒い。この時点で時間は14:30頃だったろうか。とにかく地図とコンパスを頼りに登山道に出ることを目標に突き進む。
16:00過ぎ、ようやく一番標高の高い場所、樹林帯にでる。地図上ではもうすぐ登山道があるはずだった。登山道さえ見つかれば、巻機山の避難小屋に泊まることもできる。
しかし、相変わらずの視界の悪さと、藪漕ぎに中々登山道を見つけることができなかった。コンパスでは方角は間違ってなくても、視界が悪いため稜線から下りに入ると不安になり、引き返すという繰り返しとなった。(登山道は稜線上から群馬県側に少し下ったところにあった。地図とコンパスを信じて突き進めばよかったのだが・・・)
私自身、この時点でビバークもありうることを覚悟した。星野さんの判断で巻機山は西の方向になるので、南西に少し下って直接巻機山の方角に向かって歩きだすも深い藪に阻まれ、18:20分時間ぎれとなった。
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ビバークした樹林帯 |
暗くなってからの行動は危険なため、星野さんの合図でビバーク体制に入った。とにかく濡れたままなので寒い。雨の降りしきるなか何をするにもおっくうになる。
着替えのもって来ている関根さん、尾藤さんは着替えていた。私を含め、星野さん、桜井さんは日帰りの沢だったので着替えは車のなかに置いてきてしまった。
それでも、尾藤さんの勧めで靴下と渓流足袋を履き替えた。足元が少しだけ暖かくなった。
全員に食料を確認したが、水も食料もほとんど明日1日持つかどうかという程度だった。食料は皆で分け合う事とした。
焚き火をしようにも、雨で燃えそうなものがほとんどなかった。
星野さんが持っていたガスコンロ(途中まで使っていたガスタンク2個)を火力を一番小さくして、皆で肩を寄せ合って夜明けを待つこととした。
尾藤さんが濡れた笹の葉や小枝を乾かしながら燃やすが、大きな火種を作ることは出来なかった。
星野さんが大きな震えを何度も繰り返していた。とにかく寒い。関根さんがザックの片隅から携帯カイロを3個見つけだし、尾藤さん、星野さんと私に分けてくれた。濡れた腰に貼り付けた。少しでも暖かい。
とにかく寒かったが私自身、体力的にも精神的にもまだ余裕があった。皆を見ていても比較的落ち着いていて、パニックになっていなかった。
ただ、8時間に及ぶ藪漕ぎと濡れた体で、かなり体力を消耗していそうに見えた。極端に口数が少なくなり、「寒い、寒い」を繰り返していた星野さんが一番やばそうに見えた。雨は止むことなく降りしきり、明日もこの天気だったらやばいなと皆が思っていた。
ビバークに入った18:20から翌朝5:00までの時間はとても長かった。寝ると疲労凍死するのでは・・・と誰もが思っていた。時たま、うとうとするが熟睡はできる状況ではなかった。
時計を見るとまだ22:00とかでがっかりする。尾藤さんはずっと火の番をしてくれていた。ひざを抱えた同じ体制でいると疲れてくる。私と桜井さんはザックを下に引き、体を寄せ合って仰向けに横になった。顔の上には雨と風よけのためシートをかぶせた。時たま寒くて震えがくるが、体は楽になった。(皆はそのまま死んじゃうのではと心配だったようだが・・・)
1:00、2:00と時間の過ぎるのがどんどん遅く感じられる。標高1,900m、気温10度前後と思われるが、幸いにも極端に気温が下がらなかったし、風も強くなかった。
朝5:00、ようやく明るくなってきたが、雨のため視界が良くない。しばらくは誰も動こうとしない。
関根さんが、「ここにいてもしょうがない、携帯電話の使える稜線に出よう」ということでようやく動きだすことにする。2個目のカートリッジに取替えたが、ガスはまだ火がついていた。暖かいものを少しでも口にしようと、残り少ない水でお湯を沸かし、2人前のコーンスープを作り、5人で分けあって、パンと一緒に食べあった。
少しづつではあったが食事を済ませ、身支度してまた藪の中を登り返す。さすがに足が重い。全員がはぐれないように後ろを確認しながら進む。
時たま離れると「早いよー」と声が掛かる。30分くらい登り返して、稜線らしき一番高いところにでるが、樹林帯の中であり視界は相変わらず良くない。しばらく稜線上を動き回ってはみたが、昨日と変わらない。
6:00くらいに電波の状態の良いところで、佐藤さんに状況報告のため電話をする。佐藤さんの判断は、「天気の回復が見込めるので、稜線上から動かないで様子を見ては」であった。現場としてはその時点では天気が回復しそうに思えなかった。
関根さん、尾藤さんはすぐにでも警察に電話して救助を要請した方が良いのでは、早く連絡しないとどんどん遅くなるという意見だった。私の意見としては、警察沙汰というのにためらいもあったし、もう少し(午前中くらいまで)様子を見ることの方が良いと思った。
だが、万が一天気が回復しなかった場合、もう一泊のビバークには皆が耐えられないかもしれない。連絡は早いに越した事はない。という判断もあった。
結局、星野さんの判断で救助要請というよりも状況報告と判断を仰ぐということで、私が6:32分、110番通報した。
一通り説明した後、地元警察から電話があるからその場所を動かないでと言われた。
しばらくして、地元六日町警察から電話があり、全員の安否、住所、年齢、自宅などいろいろ細かく聞かれた。その間、電波の状態が悪く何度も電話が切れる。
警察の判断も、しばらく動かないで天気の回復を待て、であった。その間にも最悪の事を考えて準備は進めておくと言われた。
判断に従い、笹薮の中で天候の回復を待つ事とした。
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晴れていれば何でもない場所だが、牛ヶ岳分岐付近 |
この頃、雨は上がり、時たま薄日が差すこともあったが、まだガスが晴れることはなかった。疲れきって寝ている人もいた。私は藪の中の蚊がうるさく寝れなかった。何箇所か顔を刺されてしまった。
また、警察に電話した以上今後どうなるのか頭の中で色々な事を考えていた。
1時間くらい待っただろうか。ふと周りの明るさとともに、木の間から薄っすらと山の稜線が見えてきた。
皆に「晴れてきたぞ、確認してくる。」と言って樹林帯の端まで急いで行った。木の間からはっきりと巻機山の稜線と、手前に登山道が在るのを確認できた。
皆のところに戻り、西の方向を指さして歩き出す。相変わらず藪は深いが方向さへ分かれば、我慢できるというもの。力いっぱい前に進むと、皆から「早いよ!」と声が飛ぶ。樹林帯を抜けると目の前の傾斜がきつくなってきたので、北に進路を変えて藪を下って行く。
1時間くらいの藪漕ぎの末、やっと黒く横に線のように走っている登山道を発見する事ができた。皆はまだ藪の中だったが「登山道発見!」と大きな声を掛ける。
9:05分、全員が登山道に出る事が出来た。皆で一人一人握手して喜んだ。すぐに六日町警察に電話して、状況を報告。丁重にお礼と、ご迷惑をおかけした事を謝り電話を切った。星野さんは佐藤さんに電話で報告していた。
道に迷い、ビバークするにいたった原因はいろいろ有るにしても、ビバーク体制に入ってから、比較的全員落ち着いて行動できた事、あれこれ自分勝手に行動せず、決めた事に対して全員が一緒に行動できたことが良かったかなと思います。
でもつくづく天気が回復して良かったと思います。2日目も同じ天気だったら今頃どうなっていたか・・・・
登山道に出た後は疲れも吹き飛び、巻機山、割引岳を往復して桜坂駐車場へ無事下山した。
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巻機山頂上 |
ニセ巻機山頂上(9合目) |
文:一戸/写真:関根
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