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上高地
稜線上には雲が・・・ |
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小梨平キャンプ場
テントを張り終えて一安心 |
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涼しくて最高! |
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早速乾杯! |
27日 翌朝、小鳥のさえずりに夢を醒めされシュラフから抜け出る。辺りには朝靄が流れている。朝食を食べモーニングコーヒーの香りを楽しんでからテントの撤収にかかる。サァ〜準備はできたと言った瞬間に雨粒が落ちてきた。「こりゃ〜なんじゃい、これからという時に出鼻を挫かれ炊事場に逃げ込む。ここで少し様子見とするがなかなか雨は止みそうもない。
暫らくすると、炊事場の前の枝がいやに揺れるな〜と思いつつ外に出ると、野生のサルが木の実を食べていたのだ、そして屋根からドーンと音がしたので見上げると親子猿と思われる猿が遊んでいたのだ。私は、何回も上高地に来てはいるがサルに出会うのは初めてであった。
中々上がらない雨に痺れを切らし、いつまでもここに居てもしょうがないと腰を上げて今日の目的地の涸沢を目指すことにした。カラマツやハルニレの林に入っていく。途中までほぼ平だが少しずつ登るようになって明神館の建つ三叉路に着く。ここで一服休憩とする。明神館の庇の下は登山者が一杯で休む場所はない。
次は、徳澤園まで約1時間の行程である。白沢の橋を渡ると徳本峠(とくごうとうげ)への分岐がある。沢渡からの道が開通する前、徳本峠は上高地への唯一の道として歩かれていた峠だ。この峠から霞沢岳へ大橋さんが今年の春だったか昨年の秋だったか登っている。
この先、横尾までほぼ1時間ごとに山小屋があるので歩くペースがつかみやすい。徳沢まではほぼ平らで歩き易く若い衆がどんどん後ろから追い抜いて行く。「いいな〜若いのは!」と羨ましい限りだ。35分も歩いただろうか梓川に接近した辺りでので雨が止み、雨具を脱ぐ。早く雨が上がって「ホッ」とした。
徳沢園前も登山者がごった返している。ここも、いつものように「アザミ」咲いていた。徳沢から横尾の間で少しの登りがあり、上高地・明神・徳沢間より若干時間がかかる。
徳沢から新村橋まで15分。このあたりの樹間はズダヤクシュ・カニコウモリ・トリアシショウマ・等がいつも通りに咲いている。地図上の立石付近の河原に沿った崖付近に着くと、ここも同じくセンジュガンビ・ハクサンオミナエシ・ヤマホタルブクロ・イチヤクソウ等が咲いていた。
徳沢から横尾まで1時間丁度。早いペースだ。横尾は涸沢・槍ヶ岳・蝶が岳への分岐で、いつも登山者が一杯だ。涸沢へは小屋の前の吊橋を渡って行く。槍ヶ岳方面と別れるので人はぐんーと少なくなる。樹林の中の細くなった道を歩いていく。始めの内は緩やかな登りで、少しずつ登りらしい道になり、左に川と川の向こうの屏風岩が見えてくる。雨の後などは屏風岩を流れ落ちる沢の水が滝のように流れているのが見えるらしいが今日は滝となっていない。
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朝から生憎の雨・・・ |
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横尾につく頃には晴間が |
本谷橋は横尾からゆっくり歩いて1時間5分。休憩するには最高の休み場だ。橋は最近架け替えられた吊り橋で、良く揺れる橋で一人ずつ渡れと書かれていた。下の本流の上にも仮設の木の橋が設置されていた。吊り橋を渡り終える左手にハクサンシャクナゲが綺麗に咲いていた。
ここで大休憩とし昼食とするが、残念ながら沢の水は飲めない。その間、下山する人、やっと到着し人と皆ザックを下して休憩している。
ここから本当に辛い急登に取り掛かるが、ガレ場は無く歩きやすい道だ。しばらく急な登りが続き、汗が止まらない。「やばい、去年の男体山と同じだ、熱中症になってしまうかと」早めに休憩を取ることにした。水分とエネルギーの補給を取る。右に川が近付いてくると、前方に涸沢のカールが見えてくる。
いつもは消えている夏道が雪渓で埋まっている。涸沢小屋への分岐の道標にはトレースが付いておらず、全員涸沢ヒュッテ経由で涸沢小屋へ向かっている。左の涸沢ヒュッテへの道は、涸沢ヒュッテの従業員がスコップで毎日階段を作っているとのこと。雪渓から石の階段を登っていくと涸沢ヒュッテの本館入り口前に出る。
ここからからナナカマド咲く階段を下って行くとカールとテント場が目の前に現れ、標高2300mの今日の目的地到着である。涸沢から東に見えるのは、屏風の頭、右に目を移すと、前穂高岳の北尾根が続き、前穂高岳、穂高連峰の最高峰の奥穂高岳と続く。更に右に涸沢岳、涸沢槍と続き、連峰の北の外れの顕著な2つのピークが北穂高岳である。
キャンプ場への降り口に濱田君がまだかまだかといった顔で待っていた。山楽会のメンバーは別棟の東大涸沢診療所と一緒の個室「いわひばり」を借り切っていたのだ。
キャンプ場は全て雪の中である。大分デコボコしているが兎に角早くテントを張ろうということで、設営は出来たがどうもデコボコが気になる。受付からレンタル用のスコップを借りてきたが凍っているのでうまく出っ張りを崩せず、山は残ったままだ。なんてこったい!これは、寝るとき苦労するぞ!と、とにかく我が家が完成。
その時、カールの中を数頭の野猿が遊びながら横切って行く。こんな近くに堂々と現れるとはビックリして暫く様子を見ていたが、全て前穂北尾根の樹林に消えていった。それでは、涸沢団地の一員として乾杯しよう。売店でビール・サワーを買ってくる。その足で、山楽会の部屋へ表敬訪問する。宴会を始め少ししたら「星野君〜!」と外で聞き覚えのある声がする。テントを出てみるとまた、「星野君〜!」と濱田君が呼んでいる。「おう、こっちだよ〜、こっち、こっち」と濱田君が訪ねてきたのだ。ここでまたまた乾杯である。テントの中の宴会、なかなか話は尽きない。
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本谷橋 |
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涸沢手前の雪渓 |
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涸沢のテント場は雪でぎっしり |
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でこぼこの雪には参った
さらに傾斜している・・・・ |
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今夜は涼しさを通り越して寒いかも |
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28日、北穂高へ向けて登山開始 |
28日 いよいよ北穂高岳へ向かう。遅い出発となってしまったが、まぁ〜のんびり行こうやとAM7:00涸沢小屋右側の分岐からヘリポート脇横を北穂沢沿いに登って行く。この分岐から上部はいつも日光キスゲが黄色い花を咲かせている。そして今年は4年に一度の当たり年のコバイケソウの白い花が群落を作っていた。
北穂沢は雪渓となっており最初だけ雪渓上を歩き、雪渓を抜けるとガレの階段状で歩きやすい。しばらく北穂沢沿いを登った後、お花畑の中を登って行く。ハクサンフウロやクルマユリが咲いているのが目に入るが、それよりもコバイケソウの群落と前穂北尾根のどうしても目が行ってしまう。
ガレ場を過ぎ南陵への分岐に出る。スラブ状の長い鎖場付近は大渋滞で白いヘルメット部隊が中々進まない、もう30分以上かかっている。下ってくる人と声を掛け合って、譲り合って進もうにも進まないので左側から三点支持で追い越して行く。次は急な長いハシゴを登っていくと南陵に出る。
奥穂高岳がすぐそこに見え鞍部に赤い穂高岳山荘も見える。ここから岩場の登りが増え花の種類も増えてくる。北穂高岳の南峰と北穂沢源頭が近付いてきて、岩場を行くと1坪位のスペースが整地され、数字の番号がふってある。ここが南峰下の南陵のテラスで、テント指定地であった。
この辺りで頂上付近から聞いた様な訛りの話し声が風に乗って聞こえてくる。多分、濱田君達だろう。テラスを抜け奥穂高岳からの道を合わせ、北穂沢源頭の雪渓をトラバースする。ここも今年は雪が多く残っていて、涸沢ヒュッテと同じ様に北穂小屋の従業員がスコップで毎日階段を作っているとのこと。北穂小屋への雪の階段を上って行き、少しの登りで北穂高岳の北峰に到着した。北峰頂上はガスに覆われて展望は何もない。取りあえず証拠写真を撮ってから小屋に行こうかと下り始めた時10数人のパーィが登ってきた。その中に友達の濱田君の姿があったので挨拶を交わしながら頂上へ戻り、再度濱田君と記念写真を撮る。彼らは我々よりも1時間早い6時に出発したとのことで、リ−ダーからは、ザックが軽いと思うがそれにしても早いと感心されてしまった。
南峰はガスに煙り、すぐ隣に見える松涛岩がそそり立っている。計画では涸沢岳を越えて奥穂高岳を登頂後、穂高山荘からザイテングラードを下山する予定であったが展望は望めず、天気予報では雨の可能性もあるので諦めて下山にかかる。濱田君たちの山楽会は奥穂小屋泊まりなので余裕だが雨が心配だ。下山路はゆっくり下ったため登りでは撮れなかった花の写真を撮りながら下る。ハクサンイチゲ・ヤマハハコグサ・アオノツガザクラ・コケモモ・ツガザクラ・ミヤマキンバイ・シナノキンバイ・コイワカガミ・ヨツバシオガマ・ミヤマタイコンソウ・ミヤマカラマツ・ハクサンフウロウ・テガタチドリ・サンカヨウ・グンナイフウロウ・クロユリ・イワギキョウ・ナナカマド等が咲き乱れている。登りの時南稜分岐で追い越していった若い女性4人グループがやっと登ってきた。その後にクサリ場に屯っていたグループをやり過ごし、梯子・クサリ場に出る。今度は付近に誰もいないので、あっけなくクリアし、南稜分岐へ着く。あとキャンプ場まで30分位の所で突然の雨が降ってきた。ガスの時は花を愛でるのが楽しみなのだがその楽しみも無残に奪われてしまった。
キャンプ場へ着き、雨の中でのテントの撤収にかかる。手が冷たい。どうにかザックに詰めてヒュッテの屋根の下に避難。
雨宿りしながらの昼食。一戸さんと尾藤さんは900円の展望ラーメンを注文、私は持参したカップメンを食べる。隣の若いペアの客はオデンにビール。「美味いよ、最高だって!」 雨が上がったので、再度パッキンのし直し、遅い14:35出発となった。ヒュッテ横からすぐ雪渓の下山で雪が腐っているので慎重に下るが、アイゼンは必要としなかったが、登って来る若い人は皆軽アイゼン着用していた。
今日の朝、救助隊事務所の天気予報通りの「曇り時々晴れ一時雨」のその通りの天候となってしまった。雪渓を抜け、ガラ道ながら歩き易い道を下り本谷橋へ。今日は休んでいる人がいない。とその時40代くらいかと思える女性が自分のザックを背負い手にもう一つザックを抱えて早足で下って行く。何があったのだろうか?
屏風岩が見えてきたがあんなにも雨が降ったのに滝の姿を拝む事はとうとう出来なかった。岩小屋跡17:04通過する手前で先程の女性が戻ってきた。その先に梓川の堤防を正面に見て左に折れながら横尾大橋に着く、17:27。
昔、相原さんたちと河原の中にテント張って、暴風雨にテントが風で飛ばされないように支柱を握りながら朝を待ったが、その時に上流が決壊したぞ!との声にテントの撤収に掛かるがあっと言う間に水位が膝上まで上がり、ペグを抜く暇もなく這う這うの体で、横尾の冬季小屋に逃げこんだ記憶があるので、今回は水場とトイレの近い道路側の芝生の真ん中に設営した。
今日は、星を見ながらの宴会の始まりだ。7時過ぎには、消灯になったテントが多いのにびっくり!もう少し楽しもうよ。
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いよいよ本格的な登りです |
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今年はコバイケイソウの当り年で、群落が綺麗です |
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北穂の岩場 |
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垂直に近いですが、まだ余裕です |
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北穂頂上直下の雪渓 |
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北穂高岳頂上 |
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前穂をバックにお花畑 |
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涸沢ヒュッテで昼食、ラーメンが美味かった |
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涸沢から雪渓の下り
スリップしないよう慎重に・・・ |
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やっと本谷橋に着きます |
29日 早くも下山する日になってしまった。夜から降り出した雨は止む気配を見せない。朝食を食べてからテントの中でパッキングし、取りあえずトイレ前の庇の下のベンチにザックを預けてテントを撤収する。たっぷりと水分を含んで2倍に重量を増した重いテントとツエルト。一戸さん、尾藤さん重いのを持たせてしまって本当に申し訳ございませんでした。既に大半が出発してしまったキャンプ場は、雨のためかひとしお静かだ。
6時50分出発。徳沢まではたいした登りはないが、久しぶりに昔の60リットル超えザック。重さに、驚くともにバテバテです。
この道は晴れていればルンルン気分で歩けるのだか、何せ雨の中、下を見て黙々と歩くしかない。歩いて30分もしないうちに早い人とすれ違う。どこから出発して来たのだろう?朝、上高地を一番で出発しても横尾まで休憩なしで3時間かかるので9時頃になるので、徳澤園あたりに泊まった人達だろうか、元々3人の中で一番体力(悲しいかな老齢化のため)がないこともあって、色んな人に追い越されるが、何とか、徳沢・明神・上高地と各ポイント間を計画書のとおり1時間で歩き通すことが出来て良かった。
9時バスターミナル着。着替えを早くすれば9時10分発のバスに乗れたのだが次の9時45分発に乗り、沢渡大橋10時15分着。登山靴を脱いで「ホッ」とする。さぁ〜これから諏訪サービスエリア諏訪湖サービスエリアに併設されている温泉施設「ハイウェイ温泉 諏訪湖」で山の汗を流すことにする。沢渡駐車場から松本ICまでは来た時の道を戻り、長野自動車道から岡谷JCTで中央自動車道に入り約45qで諏訪湖SAだ。
SAの一番右手の小さな建物が「ハイウェイ温泉 諏訪湖」だ。番台と言うか受付で595円を払って入る(こんな中途半端な料金は珍しい)。 浴室は2階にある。夏休み期間中だから混んでいるかと思ったが,お客は誰もいない、まるっきりの貸切だった。温泉は上諏訪温泉からの引き湯。残念ながら塩素臭が目立っていた。内湯から諏訪湖が一望のもと。男性は2つ湯船があり、左が少し熱めで右が少し温い。そろそろ出ようかと行った時に親子が入ってきたので風呂からが上がり、SA内の食堂で遅い昼食だ。私はラーメンを注文、一戸・尾藤さんは蕎麦を注文。久しぶりの生メンのラーメンが美味かった。
諏訪湖SAからは、順調で八王子JCTで圏央道に入り小雨のパラ付く中川島ICで降りるところを桶川北本ICまで行ってしまい、R17経由で大宮駅へ無事帰ってきた。
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横尾のテント場で乾杯 |
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諏訪湖SAの温泉で汗を流します |