オームはオームの法則をいかにして発見したか


 オームがオームの法則を発見したのは1827年です。当時,電流計はその原理がすでに知られていました(注1)。一方,電圧計は,1820年代当時,まだ存在していませんでした。それどころか「電圧」という概念もまだなかったのです(注2)。

 では,どのようにして,オームはオームの法則にたどりついたのでしょう か。(注3)

 実は,オームは,オームの法則を発見する実験の中で電圧を測っていない のです。

 オームが用いた実験装置の電源は「熱電流」でした(注4)。種類の異なる金属の両端を接合し回路をつくり,その2カ所の接合部に異なる温度を与えると起電力が発生し,電流が流れます。これを「熱電流」といいます。熱電対の原理ですね。この起電力は,接合部の温度を一定に保つ限り一定です。オームは2種類の金属にビスマスと銅を用いています。





 図のabb'a'はビスマス,abcdとa'b'c'd'は銅でできています。cdとc'd'の下端は台上のカップm,m'の水銀に浸してあります。この水銀に,測定する導体の両端を浸し回路を閉じます。abとa'b'の2本の足を,abは沸騰水に,a'b'は氷水につけます。すると,熱電流が,b'→b→c→d→d'→c'→b'の方向に流れます。

 円筒形の部分はねじり秤による電流計です。tt'はsから金属線で吊り下げられている磁針です。bc部分を流れる電流の大きさはtt'にはたらく力の大きさに比例するので,tt'が最初の位置に戻るまで上部のsをねじり,そのねじりの角度を計るというものです。

 この回路には,電源の内部抵抗のようなものが存在しませんから,非常に好都合です(注5)。オームは色々な長さや太さの導体に対して実験を行い,その結果,導体に流れる電流の大きさは,断面積に比例し,長さに反比例することを見いだしました。(注6)

 さらにオームは,装置の異なる金属の接合部に与える温度を色々に変化させ,回路に流れる電流が,接合部の温度差に比例することを発見しました。

 これらの結果を,オームは,1827年に発表したわけです。

 したがって,オームの法則を正しく表現すると,

 「熱電流を用いた回路に流れる電流は,回路をつくる導体の断面積に比例し,導体の長さに反比例し,2カ所の接合部に与える温度差に比例する。」

 ということになるでしょうか。

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(注1)電流計の原理は,1820年にエルステッドが発見した電流の磁気作用です。

(注2)だいたい,現在の電圧計にしても,実際には電圧計内部を流れる微小な電流の大きさを測っているだけで,オームの法則を用いて電流から電圧に換算しているだけです。したがって,電圧計と電流計を使って導体の電流と電圧を測ったデータから,オームの法則を検証しようとしても,それは,原理的には,導線の分岐点で電流が分流するときに,その比は元の電流の大きさによらず一定である,ということを検証していることになってしまいます。

(注3)ボルタ電池を何個も直列にして電圧を変化させればよいようにも思いますが,ボルタ電池では内部抵抗が大きすぎて,流す電流を変化させると電圧まで変化してしまう,と考えられます。したがって,ボルタ電池もダメです。ちなみに,ボルタ電池が発明されたのは1800年,ダニエル電池が発明されたのは1836年です。

(注4)1821年に,ドイツのゼーベックが熱電流を発見しています。

(注5)測定する導体以外の装置の部分に伴う抵抗はもちろんありますが。

(注6)実は,オームより6年も早い1821年,イギリスのデービーは,導体に対する電流の流れやすさについての実験をしていて,オームとほぼ同様の結論を得ています。
 1799年にボルタが電堆を発明し,翌1800年にニコ ルソンとカーライルがこの電堆を用いて水を電気分できることを発見します。そこでデービーは,この電解漕と導体を並列にしたものに,電源としてのボルタ電池(その頃は電漕になっていた)をつないだときに,導体の太さがある値よりも大きくなると電気分解が止み,また,導体の長さがある長さよりも短くなると電気分解が止むことから,導体に対する電流の流れやすさは,導体の断面積に比例し,導体の長さに反比例すると結論したと言われています。しかし,デービーは,今で言う電圧につながる概念を持っていなかったので,「オームの法則」は,「デービーの法則」と呼ばれることはないんですね。





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